ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

文芸散歩  金田鬼一訳 「グリム童話集」 岩波文庫(1-5冊)

2013年03月29日 | 書評
ドイツ民俗研究の宝庫「児童と家庭向けのおとぎばなし」 第89回

* KHM 148  神さまのけだものと悪魔のけだもの
神様はすべての動物を作られましたが、山羊だけは作られませんでした。悪魔が尻尾のある山羊を作りましたが、山谷で引っ掛けて邪魔になるので悪魔は山羊の尻尾を全部切り落としました。神様はなぜあんな害になるものを創ったのか悪魔に問いましたが、悪魔は人の害をするのだから仕方がない、よい性質の山羊にするには金が必要だと神様をゆすりました。神様は柏の木の葉が枯れたころ金を渡すからと約束しました。悪魔がやってくると神様はコンスタンチノープルのお寺の柏の葉はまだ緑だといって金は渡しません。柏の木はドイツでは堅実剛健ならびに自由独立の象徴で、ゲルマン・ケルト民族の神木です。柏の葉は新葉ができても古い葉は落ちません。悪魔は神様に一杯食わされました。

* KHM 149  うつばり
魔法使いが鶏が木の梁(うつばり)を担ぐ術を披露しましたが、側で見ていた女の子が4つ葉のクローバー(うまごやしの葉)を持って、鶏が持っているのは梁ではなく藁だと叫んだ途端、魔法は破れました。4つ葉のクローバーは幸福をもたらすものとされていますが、昔は悪魔の妖術を見破ることが出来るとされていました。この話はここで終っても良かったのですが、後半に悪魔が娘に報復をする話は蛇足ではないだろうか。落ちが悪く児童にどう教えていいのか苦しむ。

* KHM 150  こじきばあさん
乞食のおばあさんに焚火で体を温めるように勧めた若者がいましたが、おばあさんの着物に火が移りました。若者は気が付いたのですが、消しませんでした。この話は内容が断片的で混乱しています。
(つづく)


読書ノート 宇沢弘文著 「ケインズ一般理論を読む」 岩波現代文庫

2013年03月28日 | 書評
市民に分かるようにケインズ「雇用・利子及び貨幣の一般理論」を解読する 第16回

第6講 第4篇「投資誘因」 (3)
貯蓄の増加はその分消費財・サービスへの需要が減ることになり、現在の消費の減少は将来の消費期待の減少となり、雇用を減らすことにつながる。古典派経済学は貯蓄は富の保有に対する需要であって、投資への需要と同じく消費と雇用を増やす効果があるという。しかしケインズは貯蓄は資本や資産それ自体を保有するのではなく、そこから生み出される収益を求めてなされるので、富の所有の移転に過ぎず、新しい富の創出は投資による期待収益によってなされるという。日本におけるような貯金一辺倒では経済活性化につながらないというものだ。資本の蓄積が高度に進んで投資の限界効率がゼロに落ち込んでしまった(新たな投資先が見つからない)社会では、失業の発生と豊富の中の貧困化という現象が見られるようになった。そのとき戦争が企画され、大震災が歓迎されたり、不要不急な大規模事業に向かうのは一時的な鎮静剤(麻薬)効果を求めるあがきである。ケインズは「利子生活者階級の安楽死こそ資本主義の救済策である」とご神託を開述されるが、これは社会革命である。資本設備が新しく生産されるには,投資の限界効率がすくなくとも利子率を超えていなければならない。ケインズは利子と貨幣の本質的な性質に迫る。かってケインズは「利子とは当座の購入の権利を放棄する報酬である」といい、ここで「貨幣利子率は貨幣の先物契約に伴う収益率である」という。するとすべての種類の資本-資産に対して利子率(収益率)の概念を導入することが出来る。これを任意の資産の「自己利子率」と呼ぶ。ある資産の産出量ー資産を維持する経費+資産を保有したことによる便宜を資産の自己利子率と定義する。貨幣の特徴は経費はゼロで、便宜とは流動性プレミアムのことである。従って貨幣利子率が資産の自己利子率の上限となる。そして貨幣蓄積量が増えてもその自己利子率は極わずかしか低下しない特徴を持つ。そして貨幣供給は管理通貨制度をとっていれば、いかなる要因にも影響されない。流動性の罠におちいっている状態では解決策は貨幣供給量の増加である。つまり投資の限界効率をなんとかして上昇させればいいからである。すべての資産のうち自己利子率が最も大きな貨幣について、その利子率が投資の限界効率の最大なものに等しい限り、投資はそれ以上増加しない。

「投資誘因」の最後の章においてケインズは「雇用の一般理論」を次のようにまとめた。雇用の独立変数としては、消費性向、投資の限界効率表、利子率の3つがある。従属変数としては、雇用量、賃金単位の国民所得の2つである。しかし投資の限界効率表は長期の期待に依存し、利子率は流動性選好と貨幣の供給量に依存するので、究極の独立変数として、
①消費性向、流動性性向、将来の収益期待という心理的要素 
②当事者の交渉により決定される貨幣賃金、
③中央銀行の操作による貨幣供給量である。
投資はその限界効率が市場利子率に等しい水準に決まるとして、投資の増加によって雇用量が増え所得が上昇したとき、所得と貯蓄の関係はずれてゆく。ケインズは資本主義経済の際だった特徴として、所得と雇用とが絶えず変動してゆくが、極端な不安定性は存在しないと見ている。安定的に働く要因として、
①限界消費性向は1以下で、投資乗数は1より大きいが極端ではない。 
②期待収益あるいは利子率による投資への影響は極端ではない(弾力性は小さい)。
③貨幣賃金と雇用量は連動して動く。
④投資の増加は限界効率を下げ、その逆も成り立つ。
以上の4つの条件が充たされる時、資本主義経済について雇用量、国民所得、物価水準は絶えず変化するが、極端なダンピングには抑制力が働き自律的な安定を生む。長期的には完全雇用には至らず最低水準よりは高い雇用の状態が続く。いわゆる長期停滞の状態が現代資本主義の典型的な姿である。バブルは虚構である。
(つづく)

文芸散歩  金田鬼一訳 「グリム童話集」 岩波文庫(1-5冊)

2013年03月28日 | 書評
ドイツ民俗研究の宝庫「児童と家庭向けのおとぎばなし」 第88回

* KHM 145  親不孝なむすこ
年老いた親が息子の家に来たところ、息子は鶏の丸焼きを隠しました。親には食べさせたくなかったからです。お父さんが帰ってから息子は焼き鳥を食卓の上に乗せようと掴むと、鶏はいつの間にか大きなヒキガエルとなっていました。そして息子の顔にぴたりくっついてはなれません。このヒキガエルを親不孝息子は毎日養ってゆかなければなりません。気がふれた息子は家を出て歩き回っているということです。

* KHM 146  かぶら
兵隊を除隊になった兄弟がいました。兄は金持ちで、弟は貧乏でした。弟は百姓になり、小さな畑をたがやして蕪の種を植えました。蕪はどんどん生長し荷車いっぱいの大きさになりました。男は大蕪を王様に献上し、生活の窮状を訴えると王様は兄以上の金持ちにしてくれました。これを聞いた兄は蕪ひとつで金持ちになれるならと。金貨と馬を王様に献上しました。王様はこの返礼に大蕪を授けました。怒った兄は弟を殺そうと企み悪者を抱きこんで、ある森の中で弟を袋に入れ立ち木につるした時に、馬音がしたので悪者は慌てて逃げ出しました。書生が馬に乗ってきたので、弟は書生に呼びかけこの袋は知恵袋で自分はすっかり知恵者になったと騙して、自分は木から下ろしてもらい、代わりに書生が入り木につるしましたという。最後の落ちが不自然で、書生を何も騙す必要はなく、救助を求めればいいだけのことです。

* KHM 147  わかくやきなおされた小男
中世の詩人ザックスの笑話詩「猿の起源」を散文化したようなものだそうです。神様が鍛冶屋に立ち寄ったとき、見るもあわれな年寄りが恵みものを無心にやってきました。神様は鍛冶屋からふいごと炉を借りて、この爺さんを炉に入れて水で冷やして20歳ぐらいの若者に焼き直しました。これを見ていた鍛冶屋は年寄りのしゅうとめをつかまえて炉に入れ水ふろに入れましたところ、婆さんは真っ赤な顔をしてヒーヒー泣いていました。これを見ていた女2人が子供を生みましたが、お猿のような顔をして生まれるとすぐに森にかけこみましたとさ。これがお猿の起源です。
(つづく)


読書ノート 宇沢弘文著 「ケインズ一般理論を読む」 岩波現代文庫

2013年03月27日 | 書評
市民に分かるようにケインズ「雇用・利子及び貨幣の一般理論」を解読する 第15回

第6講 第4篇「投資誘因」 (2)
 投資の限界効率のスケジュールによって新しい投資に必要な貸付資金に対する需要が決まってくるわけだが、市場利子率は貸し付け資金の供給を規定する。利子率に関する古典派の考えは、「利子率は投資と貯蓄が等しくなるような水準に決まる」という。市場利子率は貸し付け資金の需要と供給とが均衡する水準であるので、これを「貸し付け資金説」という。ここでケインズは「利子率の一般理論」を提案する。つまり所得水準、雇用水準に応じて投資と貯蓄の流れが決まるため、流動性の高い金融資産(現金)で保有するか、流動性は少し犠牲にして収益性の高い金融資産(債券など)で貯蓄するという流動性選好によって貯蓄の形が決まるとした。利子率は流動性を犠牲にすることに対する報酬である。ケインズは貨幣を「銀行預金残高と流通現金残高」と定義し、利子率は資産を貨幣の形で保有しようとする欲求と貨幣の供給量とを均衡させる価格であるという。つまり利子率は貨幣の供給量によって決まるとケインズは主張する。貨幣供給量を増加させると利子率は低くなり投資が増えるため、雇用水準を高め、所得の増加に伴う流動性選好の上昇(投機的要素)に吸収されるという。所得水準と価格水準も高くなる。これを「ケインズ的プロセス」と呼ぶ。貨幣は経済取引の決済手段として、富の保蔵手段としての役割がある。現金を保有していても一切価値を生まないのになお一定量の貨幣は手元に持ちたいのである。これをケインズの「流動性選好理論」と呼ぶが、それは利子率に関する不確実性の存在であり、満期を持つ負債(長期で購買支配力を取り戻すことができる財)に対して将来どのような利子率が支配するかを考慮することである。

 ケインズは流動性を支配する4つの動機(貯蓄の動機に似ている)を導入する。
①所得動機(支払いにそなえた貨幣保有) 
②営業動機(売上回収と営業的支出の時間間隔) 
③予備的動機(突然の購入機会や支出に備える) 
④投機的動機(市場価格の変動に対する知識を持って利益を確保するため) 
 企業活動に必要な①から③に要する貨幣量は国民所得水準の規模によってきまってくるが、貨幣当局(日銀)による貨幣管理の経済的効果は主として投機的動機に現れる。これを「オープンマーケットオペレーション」という。金融当局への期待が流動性選好自体にも影響を与えるからである。金融当局は常にシグナルを発し続けるのである。貨幣供給量が増えたとき、それは一部は投機的動機による貨幣需要に吸収される。証券に対する需要が増え利子率が低下する。利子率が独立的政策変数として現れ、貨幣供給量が逆に従属的変数に変わるのである。したがってケインズ的金融政策というとき利子率をある水準に安定的に維持しようとする政策を意味する。マネタリストの金融政策とは貨幣供給量と変化量を安定化させる政策であった。ケインズは貨幣流通速度として(所得/貨幣供給量)を定義し、投機的動機以外の①-③のための利子率は貨幣供給量に等しいので貨幣流通速度は短い期間ではほぼ一定と見られる。利子率がある水準よりも低いような状態で、利子率が極僅かしか上昇しない(利子率の変化率 臨界変化率)という期待では金融資産に対する需要はゼロとなり、貨幣に対する需要が限りなく多くなる。これをケインズは「流動性の罠」と呼んだ。
(つづく)



文芸散歩  金田鬼一訳 「グリム童話集」 岩波文庫(1-5冊)

2013年03月27日 | 書評
ドイツ民俗研究の宝庫「児童と家庭向けのおとぎばなし」 第87回

* KHM 142  ジメリの山
「開けゴマ!」(ゴマははじけて散ることから開くことの象徴です)で有名なアラビアンナイトの「アリババと40人の盗賊」の話に類似しています。二人の兄弟がいました。貧乏な弟は大きなはげ山に差し掛かると、盗賊が12人も現れ「ゼムジの山や、開け」と呼びかけると岩が開け中に入ってゆくのが見えました。暫くすると盗賊は出てきて「ゼムジの山やしまれ!」と呼びかけると岩が閉まりました。これを見た弟は言葉を覚えていて同じ号令で岩を開きました。中に入ると財宝が一杯あって弟は財宝をかすとって岩を閉めて逃げ帰りました。何度かゼムジの山へ出かけて急に裕福になった弟をみて、金持ちの兄は弟を問い詰めました。弟はしかたなしに教えましたが、入るときの言葉は間違えなかったので、財宝を積める限り車に積んででようとするとき言葉を間違って「ジメリの山や開け」と叫んだので戸は開きません。そのうち12人の盗賊が帰ってきて兄を見つけ殺しました。

* KHM 143  旅にでる
貧乏な女に知恵の足りない息子がいました。旅に出て稼ぐつもりで家を出ました。状況に応じて言葉を使う事を知らず、教えられた言葉を正反対の状況で使ってお仕置きを受けるという手の込んだ連鎖話です。漁師の前で「たんとない」と言ってどやされ、「うんととれ」と言えと教えられます。首吊り台のまえで「うんととれ」といってお上からどやされ、「神よ永劫の罰を受けた魂を慰めたまえ」と教えられます。このような失敗談を次々と展開する話ですが、結局村へ帰り二度と外へは出ませんでした。

* KHM 144  ろばの若さま
動物婿話型の童話です。ロバは愚鈍や剛情の象徴です。王さんとお妃の間にロバの子が出来ました。陽気な子どもに育ち、とりわけ琵琶がうまく弾けました。ロバの王子様は当てのない音楽修行のたびに出ました。ある国にはいり王様から歓待されお姫様と結婚しました。お姫様の寝室に入るとロバは皮を脱ぎ捨てりりしい人間の姿になりました。そこである夜王子様が皮を脱いでベットに入ったのを見計らって、王様はその皮を焚火で燃やしました。
(つづく)