ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 新藤宗幸著 「教育委員会」  (岩波新書 2013年11月 )

2014年10月30日 | 書評
文部省・教育委員会の中央集権的タテ支配を廃止し、教育を子供と市民の手に取り戻そう 第8回

3) 垂直下降型行政システムの中での教育委員会 (その1)

 全国すべての市町村に教育委員会の設置を義務付ける1956年の地方教育行政法は、文部省の指導機関としての存在価値を高め、一律の統制を敷きやすい体制を作る上で大いに役立った。1956年当時での都道府県の教育委員会の委員構成を見ると、それ以前の教職経験のある委員の比率は50%を占めていたものが、新しい体制では27%に下がった。しかし都道府県の教育委員会から教職員組合の影響力排除という意味では必ずしも文部省側の一方的勝利とはいえない。これは55体制下の自民党と社会党の勢力分野を反映しているのである。教育長の任命法も変わった。都道府県教育長は事前に文部相の承認を必要とし、市町村の教育長は都道府県教育委員会の承認を必要とした。まるで戦前の地方自治体官僚の任命制の復活である。地方教育行政法は中央の文部大臣と自治体の教育委員会との上下関係を定めた。地方の教育行政において国の指導的地位および市町村に対する都道府県の「指導的地位」を明確に記述している。指導・助言・勧告・措置要求・基準設置権限の方向が国→都道府県―市町村というピラミッド構造が法律で明言された。教育委員会法時代の「指導・助言」という言葉が、上から下への「統制」という言葉に転化したのである。これに加えて教育行政においても機関委託業務制度が設けられた。これは地方教育行政の一部分が国の教育行政の下請け機関化したということである。機関委託業務の大半は知事認可の私立学校に関するもの、博物館・図書館・社会教育などである。機関委任事務の管理執行について国の指導監督権限を定めている。地方教育行政法は公立諸学校の教員の人事権は都道府県教育委員会に一元化された。教育員会と地方自治体との関係では、地方教育行政法では教育行政にかかる予算案や条例案などの議会への提出権は首長の権限とした。しかし首長は教育行政の事務執行権限は持たないものとされた。教育員会は予算面。、人的資源面あらみて、自治体の中では抜きんでた行政組織である。自治体(県・市町村)の教育費は2012年で自治体予算の17.4%を占め、民生費が22.5%に次ぐ支出である。教育関係職員は全地方公務員の38%を占めている。このような大規模組織が文部省を頂点とする教育委員会として自治体内に存在することは、自治体の予算で飯を食っている職員の業務命令系統が中央の文部省にあること自体が問題視されるのである。1995年5月の地方分権化推進法に則って橋本首相は1997年「地方分権化計画」を立て、2000年4月より地方分権化推進一括法が施行された。2000年の第1次地方分権改革の中で、地方教育行政の改革点は以下であった。以下の点から法的には市町村教育委員会さらに学校の裁量範囲が広がったことになる。
① 教育長の事前上級機関承認制が、都道府県・市町村ともに廃止された。そして都道府県と政令指定都市の教育長は教育委員から選任されることになった。教育委員の員数は教育長が別枠なので6名とすることができる。
② 機関委任事務制度を全廃し、自治体の業務とした。また文部相や都道府県教育委員会の「措置要求」権は廃止された。上級機関の「必要な指導、助言、援助をおこなうものとする」は「・・・行うことができる」と一歩和らいだ表現に改められた。
③ 都道府県教育委員会の「基準設定」権が廃止された。

 しかしながら2000年改革で、「教育行政の一般行政からの分離・独立」、「非権力的行政、指導・助言・援助・勧告」と言った論理で専門職のつながりを強調したタテの行政系列の支配の基盤は多少は揺らいだのだろうか。官僚機構はそれほど弱いものではない。日本の官僚機構の巧みさは、政権の政治指向を権限の拡大に結び付け自己増殖する組織である。東日本大震災の復興予算を契機に予算拡大に邁進する各省の姿を見ると、官僚機構が国を食い蝕んでゆくことが明白である。国が死んでも(統治者が変わっても)官僚機構は生き残るのである。2003年小泉政権は「三位一体改革」を打ち出し、4兆円規模の国庫補助の廃止による地方財源化、3兆円規模の地方への税源移譲、地方交付税の縮減を柱とした。中央教育審議会は小中学校教員の給与国庫負担率を現行の1/2から1/3とし、都道府県負担率を2/3とした。本来は国庫負担分を全廃して地方財源化すれば、地方自治体が教育行政を行うということになるのであるが、この奇妙な1/3国庫負担率引き下げは、地方分権化の流れに乗りながらも文部省による地方教育統制の足掛かりを残すための術策であろう。文部省には多数の「l教育団体」を傘下にしている。中でも行政系列の中核は「全国都道府県教育長協議会」である。「全国都道府県教育長協議会」には4つの部会(教育内容、社会教育、教育行政、教育財政)と総合部会(教育の国際化)、特別部会(テーマごとに)があり、部会の主査は教育長が交代で務め、文部省の担当官や国立教育政策研究所の官が加わり、政策の審議をしている。この部会報告書はいずれ文部省の政策となるので、教育行政についても文部省官僚機構との「共同統治ルール」を作成する場である。全国都道府県教育長協議会は最も有力なタテの行政系列の役目を担っている。教育長をサポートするのはエリート教員からなる事務局の指導主事たちである。ここで上に述べた文部省の教育行政の3つの論理を点検しよう。
①  「非権力的行政、指導・助言・援助・勧告」の論理: いろいろな学者によって教育行政論が展開されているが、精神的権威に裏打ちされた教育現場に必要と要請に即したサービス行政とか、援助行政、行政らしからぬ行政といった言葉で、文部省の指導・助言・援助・勧告権の持つ意味を和らげている。しかし行政処分にいたらない業界指導・助言は官僚の最もよくする行政の特徴である。それによって行政の意思の徹底を図るのであり、それが行政の裁量幅を広げている。
② 「教育行政の一般行政からの分離・独立」の論理: 戦前の教育が国家主義に奉仕させられた反省に立って、教育行政の独立性を高度に保障するという立派な(矛盾した)論理がある。実は戦後文部省が存続の危機に立った時期に内務省との権限争いでいわれ出した論理である。この論理で文部省の独立を勝ち取り、教育委員会制度を支える論理となった。ところがその論理は最近では薄らいでいるというより、文部官僚自体が政権の政治指向に迎合し右翼化の旗振りをしているのである。政治と無関係な行政はあり得ないように、「政治的中立性の確保」と「教育行政の一般行政からの分離・独立」とは自治・分権のあり方や地方自治体政府の行政組織での存在を洞察するものでなくてはならない。
③ 「専門性」の論理: 教育委員会の専門性を高めるべきだという議論があるが、素人教育長とか専門家教育長というのが存在するであろうか。官僚は行政分野に精通しなければならないとしても、とても3年という期間では専門家たりえない。教育長と言えど行政家であり専門家を期待することはできない。教育行政の閉鎖性(村組織化)を高めるだけである。東電福島原発事故以来、専門家が今日ほど権威と能力を疑われた時期はない。タコツボ化したムラの権益を守るだけの教育関係者の閉鎖集団であってはならない

(つづく)