ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 新藤宗幸著 「教育委員会」  (岩波新書 2013年11月 )

2014年10月24日 | 書評
文部省・教育委員会の中央集権的タテ支配を廃止し、教育を子供と市民の手に取り戻そう 第2回

序(その2)

教育委員会とは市民には見えにくい存在である。いじめ問題などの報道で表に出てくるのは学校の校長である。教育委員会には都道府県教育委員会と市町村教育員会の2段階の組織があって、当然上級組織は都道府県教育委員会である。都道府県教育委員会と政令指定都市教育委員会は教員採用と人事権を持っているので、市町村の学校という組織の上に立っていることは確かである。教育委員会が教育行政の責任者であるにもかかわらず、市民のほうでも教育委員会は何をしているのだろうかと興味を持つ人は少なく、2001年の地方教育行政法で教育委員会会議は原則公開となっているのに、長野県内43市町村の教育員会会議への傍聴に行く人はゼロであったと信濃毎日新聞(2013年2月13日)は伝えている。こうしたなかで、2011年10月に大津市の中学校2年生がいじめを苦にした自殺事件が起きた。生徒の両親が学校側に調査を求めたが埒があかず、大津地裁に加害者とされる同級生と保護者を相手取って損害賠償請求訴訟を起こした。大津市の事件は市教育委員会や学校が、事件の重大性への認識を全く欠いていたことを浮き彫りにした。おそらく学校側はいじめがったことを認識していたといえば、対処しなかった無作為の罪に問われるので終始一貫いじめがあったとは知らなかったとしらを切り続けるという構図である。このような中で市長は教育委員会と学校の対応を批判して、真相解明のための第3者委員会を発足させた。第3者委員会は生徒の自殺がいじめによるものと結論付けた。このような無責任で無能な教育委員会と学校からなる教育行政組織はどうして生まれたのかを考察し、学校を生徒の側に取り戻すための改革案を提案することが本書の動機である。教育員は5名からなる非常勤職(ただし給料は支給される)であって、月に1度、2時間ほど開かれる形骸化した組織であるが、それを取り仕切るのが教育委員会の事務局(県では教育庁)と教育長である。教育委員長は教育委員から互選される持ち回り職に過ぎない。教育委員会の事務局にはエリート教員と目される専門職の人が大半を占めている。教員のエリートコースとは、教員採用から、主任をへて教頭クラスから学校を去り、教育委員会の事務局に入る。それから学校の校長になって、再び教育委員会の幹部要職に戻り、最後に教育長になるというコースで定年後は教育関連の外部団体に出る(ユネスコなど)。学校がおかしくなり始めたのは、2001年の第1次地方分権改革を受けて小中学校の学区編成が大幅に自由化されたころに始まる。2003年には学校選択制の導入を示した局長通知が学校教員を自由競争にさらした。小中学校運営に第1義的な責任は市町村教育員会なるのは当然であるが、都道府県教育員会は県内の教員の人事権(教員の県内採用と移動を支配)をもっているので、教員の身分は市町村にあるが、「県費負担教職員」というように給料は都道府県からもらっている。と言っても教員の給与は国が1/3、県が2/3を負担している。だから都道府県教育委員会の姿は市民にはほとんど見えないが、市町村教育委員会や学校に隠然たる影響力をもつのである。人材活用法によって教員の給与は行政職員よりは高く設定されているが、時間外手当は支給されない。「ゆとり教育」のアンチテーゼとして「詰め込み教育」と「学力低下」が教員の肩に重くのしかかった。そして「指導力不足教員」なる言葉で、2002年より「指導力不足教員」の判定マニュアルや授業評価といった「管理教育」が教員を対象として開始された。文部省には教育委員会への行政上の指導権はないが、全国都道府県教育長協議会を通じて指導・助言・援助、是正・指示が都道府県教育委員会に対してなされるので、文部省の上意が都道府県教育委員会→市町村教育委員会→学校長というルートで下達される閉鎖的なタテの行政系列がもたらされた。教育委員(定員5名、任期5年)は非常勤職で、地方の名士、大学教授や経営者、教員経験者が首長の指名と議会の承認をえて任命されるので、官僚主導と同じように事務局主導となっている。こうした事務局主導支配を許している教育委員会が、いつも文部省のご意向を見ているため教育現場との乖離、学校の実情とかけ離れた教育行政をもたらしている。文教の閉鎖的はタテ社会の行政の仕組みが病根である。

(つづく)