ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 宮崎勇・本庄真・田谷禎三著 「日本経済図説」 第4版(岩波新書 2013)

2014年10月04日 | 書評
激変する国際・社会環境の中で日本経済を読む 第11回 最終回

10) 日本経済の展望
① 未来論

 日本の将来については、人口動態、国民の貯蓄率、そして重要な行為者政府の政策によってコースは変化するであろう。また国際環境という外的要因が劇的に日本の将来を決定づけるかもしれない。要はそれに対応できる姿勢と歴史の教訓を忘れないことである。その教訓の一つが平和であり戦争をしないことである。なかでも日本は核兵器を持たないことである。戦後復興から高度経済成長を経て、インフラ整備と国民生活の向上を成し遂げ、蓄積した資産が土地バブルを引き起こして、長期の不良債権処理とデフレ不況の時代が続いた。同時に世界市場の自由化と金融危機によって日本はその対応に苦慮している現在である。将来日本社会がどのようなものであってほしいか価値観が問われている。
② 経済計画
 旧共産圏や新興国の経済計画は良く知られているが、西側の自由主義国でも全くの無計画はあり得ない。現在市場経済の下での経済計画が求められている。日本では戦後1955年に「経済自立5か年計画」(鳩山首相)、1960年に「国民所得倍増計画」(池田首相)、1965年に「中期経済計画」(佐藤首相)、1967年に「経済社会発展計画」(佐藤首相)、1970年に「新経済社会発展計画」(佐藤首相)、1973年に「経済社会基本計画」(田中首相)、1979年に「新経済社会7か年計画」(大平首相)、1983年に「経済社会の展望と指針」(中曽根首相)、1988年に「経済運営5か年計画」(竹下首相)、1992年に「生活大国5か年計画」(宮沢首相)、1995年に「構造改革のための経済社会計画」(村山首相)、1999年に「経済新生の政策方針」(小渕首相)が出された。時代によって計画の目標や政策手段は異なるが、民間主体の市場原理を中心とした経済運営の指針であった。
③ 災害復興
 2011年3月東日本大震災直後は経済活動が混乱し、実質GDPはマイナスとなった。しかし生産のためのインフラ整備が進み7月には経済成長率はプラスに転じた。その後は復旧復興特需に乗って経済成長率は高まった。それは日本の生産設備の破壊が東北の原発電力だけであったこと、その他の産業の中心が大都市にあり無傷であったことが大きい。つまりダメージは住宅、インフラといったストックであり、その復旧には時間がかかるが、その間フローとしての生産活動はかえって高まるのである。復旧復興に向けた支援には被害状況の把握が必要であるが、震災後12日に内閣府から大づかみの被害想定推計が出された。この経験が中央防災会議で予今後想される東海地震などの被害想定に生かされることが望まれる。支援には多額の資金が必要で、2011年度予算92兆円は最終的には106兆円となった。大震災関連経費は15兆円であった。その財源のほとんどは復興債と呼ぶ国際発行によって賄われた。
④ 経済運営と規制改革
 経済・金融のグローバル化や情報化、社会の少子高齢化など経済環境の変化が著しいときは、経済構造変化の阻害要因となりかねない制度の改革が必要となる。既得権に阻まれて改革ができないときは経済発展は困難となる。過去3つの大きな経済体制の変革が行われた。一つは中曽根内閣における日本電信電話公社の民営化と専売公社の民営化(1985年)、国鉄の民営化(1987年)であった。次いで日米構造協議(1989年)による大規模小売店舗法の規制緩和、独占禁止法の厳格化、公正取引員会の強化であった。橋本内閣(1996年から1998年)の下で6大改革があった。金融システム改革(ビックバン)、行政改革、財政構造改革、社会保障改革、経済構造改革、教育改革である。第3の改革は小泉内閣(2001年から2006年)での官から民への経済諮問会議の活用、郵政民営化、道路公団民営化、地方自治行政の三位一体改革である。民主党政権の下で、消費税の引き上げを中心とする財政再建の動き、社会保障改革、TPPへの参加問題が明確に課題とされた。
⑤ アベノミクス
 2012年12月自民党・公明党が圧勝して、第2次安倍内閣が誕生した。アベノミクスよ呼ばれるデフレからの脱却と経済成長率の引き上げを目指す経済政策が打ち出された。それは次の3つの柱からなる。①大胆な金融政策、②機動的な財政政策、③民間投資を喚起する成長戦略である。黒田日銀総裁は大胆な金融緩和政策を採用した。それは2%のインフレターゲットを2年程度で実現するため、長期国債を銀行から大量に買うことでマネタリーベース「お金の総量」を2倍にすることを目標とした。金融機関の投資を呼び込んだり、デフレマインドを払拭する心理作戦である。実体のない花見景気になりかねない危険性はある。金融緩和政策効果には時間がかかるため、財政的に即効性のある(呼び水)10兆円を超える2012年度補正予算を実施した。内外の経済環境に柔軟に対応できる体質を強化する規制緩和を中心とした施策には、実行力と決断力のある政権の安定が必要である。今見えているアベノミクスは金融緩和ムードを盛り上げることで期待感を煽ることであるが、規制改革や実体経済の需要拡大策などはこれからの課題である。
⑥ 主要国間の政策協調
 戦後の世界経済秩序はIMF国際通貨基金とGATT→WTO 世界貿易機関によって構築しようとしてきたが、自由な貿易の枠組みは必ずしもうまくいっていない。2001年に始まったドーハ―ラウンドは決着しそうにない。そこで地域別のグループ化が進んだが、やはり世界全体で貿易自由化が望まれる。国際的な問題を主要国の首脳で話し合うG7、G20 が重要な場となってきた。2010年でG7のGDPシェアーは50%、G20のシェアーは85%であるのでG20 が次第に重要性を帯びてきた。世界貿易を枠踏みを議論するにも2国間貿易が基礎となるため、その帰納法で結論を導くには気が遠くなるような努力が必要である。
⑦ アジアの中の日本
 地域別のグループ化が進んだといっても、アジアは多様であり、独自性を持っているので簡単にくくることはできない。そこでNIEsとかASEAN、中国の実力が向上するにつれて、垂直分業から水平分業に変わってきた。東アジアの域内貿易は圧倒的に部品など中間財が主流である。ここで最終製品が組み立てられ、欧米に輸出されるという構図である。韓国は債務を返済し、技術的にも優れた貿易立国として立場を固めつつある。香港は貿易金融面で発展を続けている。中国は世界の工場として、1990年代以降経済成長率は10%を維持し、GDPは日本を抜いて世界第2位となった。ASEAN5か国の経済成長も著しい。今やアジアの域内貿易は中国へ向かうパイプが太くなる一方、米国欧州への輸出も中国の独擅場となった。日本は中国の後塵を拝し、他のアジア諸国の急迫を受ける立場であるが、日本がアジアで周辺国化しないためにも、国際化に積極的貢献しなければならない。アジア諸国のキャッチアップ(日本も欧米のキャッチアップで成長したのだから)の時間は短いので、その経済発展を脅威と感じるのではなく、日本は互恵平等の立場から席亜平和と発展に貢献しなければならない。
⑧ 「内なる国際化」
 経済の国際化を円滑に進め、国際協調の実をあげるには、モノ・人・カネの交流を自由かつ頻繁に行わなければならない。日本の対内直接投資残高は主要国では最低(国内で投資する対象がない)で、外国人労働者の割合も最低である。モノの交流では市場開放を通じて自由に選択できる環境を作らなければならない。情報の交流では外国人を差別してはならない。人権・教育機会・労働条件・住宅・生活環境において外国人差別があってはならない。市場経済のグローバリゼーションにより、会計基準など「国際標準」が求められる。普遍的な共通基準・ルールを内なる基準にしなければならない。国・企業・地域のレベル、個人のレベルでも「内なる国際化」が求められる。
⑨ 政治と経済
 近年日本の政権交代が毎年のように繰り返されている。戦後の首相の平均在任期間は24か月(2年)である。比較的短いといわれるイタリアでも30か月、長いといわれるドイツでは90ヶ月(7年半)である。IMFのエコノミストは経済成長率と首相在任期間の関係を分析したが、内閣の変更は経済成長率を引き下げるというものであった。政治的不安定が経済に影響する原因なのか、経済的困難が政治寿命を下げるのか、統計的相関はあっても因果は不明ではあるが。ただ政治的不安定では安心して経済活動が発展しないという心理的要因であることはいえる。
⑩ 平和と発展のための貢献
 戦後の経済発展によって生活実態は向上してきた。21世紀は成長を実現しながら生活の質を一層高め、国際的貢献を果たすべき時代であるといえる。国内的には政治的・社会的にも55体制後の枠組みを急いで確立しなければならない。憲法の精神に照らしても、日本の貢献は非軍事面におかれるべきである。世界的には共存共栄の道を歩むべきである。

(完)