ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 津田敏秀著 「医学的根拠とは何か」 (岩波新書 2013年11月 )

2014年10月17日 | 書評
人間を忘れた医学ー医学的根拠とは疫学的エビデンスのこと 第3回

1) 医学の3つの根拠(直感派・メカニズム派・数量化派) (その1)

 本書は医学の3つの根拠と称して、直感派・メカニズム派・数量化派を挙げているが、直感派(経験派)については、外科医に多い職人芸的な技のことであり、あまり考察はしていないので取り上げることもない。だから本書はベルナール(1813-1878)に始まる実験医学とルイ(1787-1872)に始まる臨床疫学の2つのアプローチが対立軸である。二人はほぼ同時代のフランスの医師であった。ルイは当時までよく行われていた炎症治療の「瀉血」の効果に疑問を持ち、1828年に論文を書いて、患者のグループを条件が同じになるように注意深く2つのグループに揃え、Ⅰ-4日目に瀉血したグループ、5日以降に瀉血したグループに分けて生存率・死亡率を表にした。すると早い時期に瀉血するとかえって死亡率が高いことが分かった。こうした患者をグループ分けをして比較する方法でルイは臨床疫学にパイオニアとされた。ルイはフランスの数学者ラプラスの「確率計算」を引用している。近代統計学の祖と言われるベルギーのケトレーは母集団の平均(大数の法則)という概念を出した。しかしルイの結果に対しては当時の医師から「個々の患者を見ない、平均的人間という抽象概念である」と批判が出された。こうした批判を「直感派」と呼ぶ。症例や治療例の数量化はなかなか理解されず、個々の患者の経験を数量化することの意味が受け入れられなかった。これに対してルイのように患者を集団として扱い、事例を数量化して集計し統計学を用いて分析する医師を「数量化派」と呼ぶ。そこへ生理学者ベルナールが現れ、「実験医学序説」を書いた。病気は特定の原因から生じて決定論的に進行するという主張を「メカニズム」派と呼ぶ。このメカニズム派は19世紀の細菌学の支持を得て、古典力学と同じ絶対的決定論を構築し、それが以後の医学の主流をなした。「確率の哲学的意味」の著書の中でラプラースは、決定論的世界はデモン(魔)しか知りえないので、人間の無知と限定された知識ゆえに統計学や確率の概念が必要であるという。20世紀に入ってもイギリスではメカニズム派細菌学者と数量化派の論争は続いた。メカニズム派は「統計学は洞察を与えるかもしれないが、科学的根拠は与えない」と述べた。統計派は近代統計学の創始者ピアソン(1857-1936)とゴルトン(1822-1911)は1901年に生物統計学バイオメトリカを提唱した。ピアソンは「科学の文法」で、因果関係の法則は概念上のもので、決して実際に観察できるものではないという不可知論を唱え、遺伝学に科学的根拠を与える方向に向かった。

(つづく)