ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 津田敏秀著 「医学的根拠とは何か」 (岩波新書 2013年11月 )

2014年10月20日 | 書評
人間を忘れた医学ー医学的根拠とは疫学的エビデンスのこと  第6回

2) 疫学の歩み(数量化が病気の原因を明らかにした) (その2)

4)現代疫学の時期では、1956年オックスフォード大学のアリス・スチュアートは妊婦が受ける腹部放射線診断で、胎児主産後の白血病や悪性腫瘍に頻度が高まることに基づき、1997年ドールらは10ミリグレイの妊婦への被ばくにより出生後の小児がん頻度が上昇すると結論づけた。今日の日本でこの診断放射線による健康影響が、原発事故の放射線被ばく影響を軽視する目的で使われ、医学的診断放射線の危険性を啓発する雰囲気で話されることがないのは、実に不可思議なことである。IARCではCTスキャンの健康影響を調べるため100万人の患者を対象とする研究を開始したという。サイナイ病院のセリコフは1964年、アスベストの健康影響に関する国際会議を開き、アスベストが悪性中皮腫を引き起こすことを明らかにした。1970年ごろよりIARCは荷との発癌物質の分類を始め、2012年にはIARCモノグラフは第100巻になった。1992年アメリカのハーバード大学のシュワルツとドカリーによりPM2.5 を含む粒子状物質濃度の健康被害が報じられ、1997年の大気汚染基準の大改正につながった。大気1立方メートル中の微粒子100μgの増加が4%の死亡率の増加につながるという。この結果は1952年のロンドンスモッグ事件を説明できるという。

 日本の医学研究は数量化の方向へは向かわず、メカニズム派の実験室でのミクロ研究に向かったため、この動きから取り残されてしまった。社会問題が起きるたびに日本の医学会は右往左往するだけであった。それは人間を対象として検証するという基本姿勢が忘れられていたからである。疫学においては、疾患の発生速度を変える要因を病気の原因とみなす。「何倍その病気が多発する」という発生の程度(オッズ比)によって因果関係を知るのである。感染症で病原菌やウイルスを同定したから因果関係を証明したと称するのを「病因論的病名」という。それに対して高血圧、腰痛やがんにように症状のみから定義することもできる。がんの原因は分かっていなくてもいいのである。実はがんの原因は遺伝子調節機構の損傷程度の理解でいいのだ。遺伝子や細胞実験で得られる結果では、人間のばらつきが大きすぎて果たして発症するかどうかは不明と言っていい。では因果関係とは何であろうか。個別の観察だけを追求しても因果関係は見えてこない。イギリスの哲学者ヒュームは1747年「人間知性研究」において「客観的因果率の否定問題」として次のように述べている。「原因とは第1の対象の後に続いて起こる第2の対象に類似した対象が起こることで、第1の対象がなかったら第2の対象は存在しなかったであろう」というなら、個別の観察ではこのヒュームの定義は満たせない。この事態で用いられるのが疫学である。喫煙影響の疫学調査結果を否定する裁判判決でよく用いられる論理は「疫学調査の結果算出される危険度は集団を対象とし、疾病と要因の間の関係を述べたもので、暴露群の特定個人の疾病原因を特定するものではない」といって被告無罪を出す。これらの判決では集団と個人を対置し、疫学の役割が集団の因果関係であり個人でないとするが、では臨床医学や基礎医学的根拠で殺人罪の凶器にように個人における因果関係を明らかにできるというのであろうか。まるで疫学の意味するところを理解できていない判決である。疫学は非暴露群で発生する疾病発生率と、暴露群で発生する疾病発生率を比較して何倍の増加があるからそれを原因とするのである。個人暴露群にいたために数倍の発生率の増加の危険にさらされたということを裁判官は判例集からみて理解できていないだけのことである。受動喫煙に関する裁判の意見書において杉田稔東邦大学名誉教授は「疫学は要因と疾病の間に集団的なあるいは一般的な関連がみられたということを意味しているにすぎません。疫学研究の結果のみでは特定の個人における因果関係の判断を行うことは不適切です」とたばこ業界を擁護する発言を行っている。また法学者もこの見解を支援し、明治大学法学部新美養文教授も「集団レベルの因果関係と集団に属する個人レベルの因果関係は異なる」という。日本人の中には確率論になじまないというかリスク論を理解できない人が多い。社会学的にはその要因を取り除けば劇的に症例が減少すれば十分なのである。それ以上の議論は不要なのである。日本では医学部を中心に統計学や疫学というと「集団」というイメージが強く、個別確定診断(疾病が起きた1対1の原因論)というイメージの強い医学や医療でギャップが生じやすい。

(つづく)