ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 津田敏秀著 「医学的根拠とは何か」 (岩波新書 2013年11月 ) 

2014年10月15日 | 書評
人間を忘れた医学ー医学的根拠とは疫学的エビデンスのこと 第1回

序(その1)

 日本では医学的根拠の混乱が続いている。そのため多くの公害事件、薬害事件などで被害が拡大した。専門家がいう「科学的根拠がない」という逃げ口上で、多くの被害者の解決がおくれ、最後には政治の介入により解決が図られた。だから専門家は「御用学者」といわれ、専門家には問題解決能力がないことが今回の福島原発事故で国民はいやというほど見せつけらた。アカデミックの専門家の権威は地に落ちた。普通の判断力で明らかな因果関係があると認められることでも、確信的御用学者は平気で因果関係を認めようとはしない。そしてその時の口上が上に書いた「科学的根拠がない」という言葉である。分子的レベルで理解できないければ因果関係ではないというのだ。これは時間稼ぎの「目つぶし」に過ぎないのであるが、厚生労働省、環境省、経済産業省、文部科学省などで雇われている各種審議会の「御用学者」の権威でもって役所の官僚はその意見を採用し「無作為」を通し、裁判所は「被告無罪」を言い渡すのである。「予防原則」に関する欧州委員会ECのリスクコミュニケーションでは、予防原則はリスク解析とリスク管理に対する組織的取り組みの一環であることことを強調して、科学的な証拠が不充分、不完全であるが、環境やヒト、動植物の健康に与える危険性がEUの選択した保護策に脅威を及ぼすと考える正当な理由がある場合に予防原則が適用される。科学的根拠が不十分であっても、国民を被害から守るためであれば、行政的禁止措置がとれるのである。日本では「科学的根拠がはっきりしない」という理由で行政は被害者を玄関払いができる。水俣病においても魚が水俣病の原因であることが分かった段階で、チッソの排水溝をふさぐ措置がとれたはずである。そこへ確信犯的御用医学者が攪乱したのである。日本の医学研究は世界の常識からかけ離れたところにある。それこそガラパゴス的進化物となっている。医学研究は人間の健康や病気に関する研究を行うことが目的のはずである。しかしそこでは人間を観察対象とした臨床研究や医学研究はほとんど行われていないというショッキングな事実を本書が暴露するのである。臨床研究はほとんど海外任せで、動物や遺伝子を相手とする基礎研究が中心である。それだけなら話は簡単であるが、医学専門家としての社会的役割が逸脱していることが問題なのである。病気を含めて人間に関する問題で、日本の医学専門家は科学的根拠に基づいた判断を放棄したままである。医者は「臓器を見て患者をみない」とよく言われるが、それは大学の医学教育がなせることである。人間を生活から見てゆく臨床経験がないからである。医学研究が実験室での研究に終始している。ここで言葉を整理しておくと、病棟や外来で患者を対象にして研究することを「臨床研究」とよび、地域や職場などで人の病気を研究するのを「公衆衛生研究」あるいは「疫学研究」という。疫学は「科学の文法」と呼ばれる統計学を駆使して人間の病気を数値化するのである。疫学が先進国では医学的根拠として重要視される。分子レベル、遺伝子レベルの研究成果(これだけが医学的根拠というのではなく、ミクロ研究は傍証にすぎず、決して病気の原因まで行き着くことはないのだが)がなくても、病気の原因を判断できるのである。そして行政措置(薬などの禁止措置、原因物質の特定)をとれば、その症例が激減するのである。
著者津田敏秀氏のプロフィールを見てゆこう。氏は1958年生まれ、岡山大学医学部医学科卒業。岡山大学大学院医学研究科修了。岡山大学医学部助手、講師などを経て、現在は岡山大学大学院環境学研究科教授。専攻は疫学、環境医学、因果推論、臨床疫学、食品保健、産業保健である。著書には「市民のための疫学入門」(緑風出版)、「医学者は公害問題で何をしてきたか」(岩波書店)、「医学と仮説」)(岩波書店)などがある

(つづく)