ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 津田敏秀著 「医学的根拠とは何か」 (岩波新書 2013年11月 )

2014年10月18日 | 書評
人間を忘れた医学ー医学的根拠とは疫学的エビデンスのこと  第4回

1) 医学の3つの根拠(直感派・メカニズム派・数量化派) (その2)

 日本の医学研究者は3つの根拠のうち直感派・メカニズム派を信じ、人のデーターの数量化を認める人は少なかった。現在の人の臨床研究の方向を決定づけたのは、「科学的根拠に基づいた医学」EBMである。1992年ガイアットらが提唱した「EBM宣言」がそれである。そこには医学的根拠を「根拠に基づいた医学は、直感、系統的でない臨床経験、病態生理学的合理付けを、臨床判断の十分な基本的根拠としては重要視しない。そして臨床研究からの根拠の検証を重要視する」と宣言した。臨床研究とは厚生労働省の倫理指針によると、「医療における疾病の予防方法、診断法及び治療法の改善、疾病原因及び病態の理解並びに生活の質の口上を目的として行われる医学系研究であって、人を対象とするもの」と定義した。薬の効果を検証する治験も含まれる。直感、系統的でない臨床経験とは直感派のことで、病態生理学的合理付けとは動物実験・試験管研究のことで実験医学を科学的医学と信奉するメカニズム派のことで、EBM宣言はこの2者を医学的根拠として重要視しないというのである。歴史上メカニズムに基づく医学的判断は多くの間違いを犯してきた。それを整理すると、①メカニズムでは治療効果ありだったのに、臨床研究では逆効果だった例、②メカニズム研究では効果がありそうだったのに、臨床研究ではその効果は疑わしくかつ有害な副作用が認められた例、③メカニズムでは説明できなかったために、比較臨床研究で有効な治療法の受容を遅らせた例に分類され、具体的には次にその例を示す。

①メカニズムでは治療効果ありだったのに、臨床研究では逆効果だった例
* 急性心不全死亡と抗不整脈薬(抗不整脈薬で急性心不全死を防げるとしたが、実際は死亡につながった)
* 乳児突然死症候群SIDSとうつぶせ寝(うつぶせ寝によって乳児突然死を防げるとしたが、実際は死亡につながった)
* ヒト成長ホルモンと異化亢進
* 臓器不全と酸素供給
* 心疾患のリスク上昇と閉経後のホルモン置換療法
* 乳がん治療におけるラジカル乳房切除手術
* 外傷からの回復における安静
* 乳がんに対する早期スクリーニング
②メカニズム研究では効果がありそうだったのに、臨床研究ではその効果は疑わしくかつ有害な副作用が認められた例
* 脳卒中後の脳の損傷とニモジビン
* 湿疹とサクラソウ・オイル
* 敗血症ショックとサイトカイン
* 一般的な予防のための早期スクリーニング
* 定期的な歯科チェック
* 膝の骨関節症と関節鏡手術
* 心臓疾患とビタミンE
* 閉経後の女性におけるフッ化塩を用いた骨折予防
③メカニズムでは説明できなかったために、比較臨床研究で有効な治療法の受容を遅らせた例
* 産褥熱と術者の手洗い
* 消化性潰瘍とヘリコバクター・ピロリ
* 子癇とマグネシウム

 医学上の常識とされたことがいかに間違いが多かったか、そして今でも医者は反省しないどころか有効性を主張して患者を増やしているのである。一般的な予防のための早期スクリーニングとは定期健康診断(健診、人間ドック)の病気の早期発見のことであるが、何の効果もないどころか不要な手術を強いられて命を落としたり、X線撮影でがん発生確率を増やしたりしていることである。近藤誠著 「医者に殺されない47の心得」(アスコム 2013年2月) にもその事例がまとめられている。なぜこうもメカニズム派の治療法提案に間違いが多いかについては、メカニズムの考察が浅い(複雑な発症過程を読み切れていない)、マウス動物実験をもとにしてるので人間の複雑さに当てはまらない、薬の治験データー処理にウソが多いなどが考えられる。とても医学的エビデンスに基づいているとは思えない。EBM宣言が出てから20年以上が経つが、日本では一向にEBMが広がらない。大学でも教育されず、EBMを医学本流とはみないで馬鹿にする医者が多いのは、EBMの基本となる臨床研究や疫学の方法論が日本の医学界に定着していないためである。治療効果の検証よりもパフォーマンスを重視する外科医を職人派名医としてもてはやす風潮が強い日本独特のガラパゴス的進化の滑稽例なのかもしれない。病気には多くの要因、人体には多くの関連制御物質があり、ベルナールが想定したような、1対1の因果関係で説明できる場合は、認識レベルでいってもほとんど現実にはあり得ない。分子、遺伝子に還元して理解することは不可能である。日本医学がメカニズム派にこだわるのは明治以来の輸入ドイツ医学にこだわったためであり、イギリス医学の経験主義を導入したならまた違った日本の医学になっていたかもしれない。

(つづく)