ブログ 「ごまめの歯軋り」

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時代の遺物 「日本医師会」の政治献金団体「日本医師連盟」

2008年09月18日 | 時事問題
2008年9月18日13時1分
日医連盟「与党を推薦」表明 地方を牽制 
 次期衆院選での対応について、日本医師会の政治団体・日本医師連盟は18日会見し、47都道府県の医師連盟に対して「自民党を中心とした政権与党の候補者を推薦する」との基本方針を示し、「その趣旨に沿った行動をお願いする」と指示したことを明らかにした。
 民主党を推薦する方針を17日に決めた下部団体の茨城県医師連盟を牽制(けんせい)した形だ。日医連盟の羽生田俊・常任執行委員は「連盟規約に処分や罰則がなく、茨城県の方針は容認できないが反対もできない」と話した。日医連盟は、茨城県内の選挙区から立候補する自民党公認候補から支援の要請があった場合、県医師連盟とは別に直接支援を決めることもあるという。

シーラカンス「日本医師会」よさらば!あなたの時代はとうの昔に終っている
 そもそも日本医師会は開業医の経済的利益擁護のために活動してきた。日本医師連盟と云うトンネル団体を作って、自民党に政治献金を継続してきた。そして医療費の分捕り合戦である「中央社会保障医療協議会」で開業医の利益を優先した。元会長故武見太朗氏の権謀術数は政治家の間で神通力を有していた時代は確かにあった。しかし社会からは嫌われ者になり、当の自民党からも嫌われた。医療技術の高度化と制度の多岐化専門化によって、医師会はしだいにシーラカンスになって、厚生労働省の各審議会に委員を送り込んでいるものの、論議政策をリードし決定する能力はとうに失われている。むしろ官僚に簡単に誘導されるお偉方にすぎない。そして厚生労働省の政策決定のための道具に成り下がっている。知識と情報を集める能力を欠き、診療報酬改定でさえまともな意見がいえない状況である。医療事故調査委員会設置法案に良く考えもせず賛成してしまったのは最大の汚点である。もはや開業医と病院勤務医の利害が離れているのも関らず、関係団体に相談も無く病院勤務医を苦しめる政策に賛成した。
2008年12月1日より「公益法人制度改革三法」の施行が予定されている。今後5年以内に日本医師会は、公益法人か一般社団法人に移行しなければならない。ところが日本医師会は昨年5月に公益法人化を目指す方針を決めたが、不特定多数の公益に寄与し、公平な参加と第3者の監視が可能で。特定の団体に支配されない組織足りうるのか、何ひとつ改革をせぬまま圧力団体の組織を引きずって行けると思っているのだろうか。日本医師会よさらば。あなたの時代はとうの昔に終っている。

京都の料亭はミシュランの評価を拒否する。こんな頑固さはあってもいい!

2008年09月18日 | 時事問題
asahi.com 2008年9月18日0時46分
「ミシュラン京都版」に壁 「一見さんお断り」の文化
 東京版ガイドの発売で大きな話題を呼んだ「ミシュラン」が、日本料理の老舗(しにせ)や名店が集まる京都でひそかに調査を進めている。しかし、古都が培った食文化を「世界標準」で評価されることに抵抗感が強く、ガイドへの掲載申し入れに「拒否」「保留」と答える店が続出。「ミシュランは『一見さんお断り』の文化にそぐわない」との声も上がっている。
 店主は「星」の評価を拒んだ理由について、「料理だけで判断する姿勢が気に入らなかった」と話し、「京料理は打ち水された玄関や手入れの行き届いた庭など、もてなしのすべてが文化。フランスの調査員が、我々の文化や伝統を学んでいるとは思えない」と不信感を募らせる。

料亭とは京都のみの文化です。庭、座敷、花、絵、懐石料理、サービスを総合的に味わうのが料亭です。
東京には懐石料亭はありません。あるとすれば割烹料理屋です。大阪の食い倒れは無国籍料理。写真の町は、川床の看板と、法善寺横町のような道の狭さからして、恐らく先斗町でしょう。先斗町は観光化されていて、あまり良い料亭はありません。本当の料亭はもっと静かなところに在ります。京都の料理とは、お寺で味わう精進料理、料亭で味わう懐石料理、庶民が町で味わう家庭料理「おばんざい」の3種類です。

政治問題  砂田一郎著 「アメリカ大統領の権力」 中公新書

2008年09月18日 | 書評
クリントン、ブッシュJr大統領とリーダーシップの低下 第10回
大統領選挙 (1)

 1960年以降の大統領選挙と議会選挙を見てみると、大きな転換点が見えてくる。1960年のケネディ大統領から1992年のクリントン大統領成立まで30年以上、下院では民主党が圧倒的に与党であった。上院も1980年代上期を除いて民主党が与党であった。これほど強かった議会での民主党が1994年のクリントン大統領第二期から10年以上は下院・上院ともに共和党が与党である。しかし民主と共和党の議席数の差は下院で10から20程度(総数435人)、上院で10以内(総数100人)2006年に民主党が与党に返り咲いた。はっきりとした支持政党の変化が1994年に起きた。その間大統領は民主党と共和党の交代である。著しい偏りは無い。

 2000年の大統領選挙は厳しい接戦であった。1億4000万人が投票し、得票総数はゴアが5099万票、ブッシュJrが5045万票で伯仲しているが、得票総数でははっきりとゴアの勝利であった。しかしアメリカ大統領選挙は形式的には間接選挙制であるので、538人の大統領選挙人を州毎の選挙民に比例して選ぶのである。しかも州で勝てば州の大統領選挙人を総取りできるウィナーテイクオール方式である。2000年の大統領選挙はフロリダ州の疑問票をめぐってどちらの陣営が勝つかで25人の選挙人の帰趨が争われた。1票の差であっても25人全部を獲得できるのである。25人の選挙人で全国の選挙人総数の勝敗が左右するのであった。結局最高裁判所の裁定(闇の力が働いて)によって、ゴアは不服ながら裁定に従った。

 得票総数で勝っていても、選挙人数で負ける例は過去の大統領選で3回あった。大きな人口を有する州で勝敗が決定するのである。これを選挙のバイアスという。又選挙の管理は州に任せられているので、票の様式、印刷などは州毎に違うことも混乱の一因であった。20人以上の選挙人を出す州はカルフォニア(54人)、ニューヨーク(33人)、テキサス(32人)、フロリダ(25人)、ペンシルバニア(23人)、イリノイ(22人)、オハイオ(21人)である。

経済問題 神田秀樹著 「会社法入門」 岩波新書

2008年09月18日 | 書評
21世紀の「会社法」はIT革命と資本市場への対応をめざすもの 第10回

株式会社の資金調達 (2)

本書は株式会社制度を記述しながら、「株式とは不思議な仕組みである」とか「株式会社とは不思議な存在である」という感嘆詞、ため息が何度か出てくる。これは人間の頭が作った仕組みであるから、抽象的で「有るか無きかの危い存在」に見える事から出てくるのであろう。人間の約束ごとにしてはよく出来たシステムだと云う満足感も混じっているのかもしれない。それはともかく、株主は資金を出す人であり、会社の事業の所有者であると云う大前提からスタートする。会社が必要な資金は、会社が儲けた利益を次の事業の資金とした内部資金と、外部から調達する外部資金がある。外部資金とは銀行から借りる場合と最近主流になった株式や社債を発行して資本市場から資金を集める方法がある。株式や社債の発行について会社法はさまざまなルールを置いている。株や社債を有価証券化(紙に書いた)または無券面化(電子化)した振替制度による。社債権者も株主と同様な保護におかれる事は先の利害調整に述べた通りである。授権株式制度と云うのは重要な制度である。会社が将来発行する予定の株式数を定款で定めておく。経営者は機動的な資金調達を可能とするため、株主総会の決議に寄らなくても四倍までは増資できるのである。発行可能株式総数を決めておくことは株主の持ち株比率の低下の下限が分るようにしておくのである。新株発行において既存株主の利害を調整するため三つのルールが考慮される。

第一ルール 新株は必ず既存株主に対して持株比率に比例して発行するルール
第二ルール 既存株主に対して経済的損失を与えないような払い込み金額を考慮するルール
第三ルール 新株発行をするべきかどうかを既存株主自身が決定するルール
日本の会社法は非公開会社(全部株式譲渡制限会社)については第一のルールを主としルール三も考慮する。第三者に特別に有利な払い込み金額での新株発行も株主総会の特別決議を経れば可能である。(第三者有利発行は株主総会特別決議を得ていない場合は差止事由となる)既存株主は授権株式数の枠まで持株比率の低下は覚悟しなければならないが、それ以上の希薄化に対しては第三ルールで対抗できる。株主に対して不利益をもたらす株式発行が不正であるかどうかを判定する場合、その発行目的が合理的であれば許されることを「主要目的ルール」という。


文藝散歩 五味文彦著 「源義経」 岩波新書

2008年09月18日 | 書評
源平合戦の英雄「源義経」像を文献・史料から探る 第9回
3)弁慶との出会いー「義経記」より

 「義経記」の義経修行時代の話は「しょうもん坊」から始まる。「平治物語」では義経に謀反を勧めたのは諸陵助重頼とされるが、「義経記」はしょうもん坊(四条聖)に変えられる。源頼朝に謀反を勧めたのが高雄の文覚聖人である話の対比で義経に謀反を勧めたのは四条聖と云う話にしたのであろう。なおしょうもんとは「声聞師」から来た言葉で室町時代の幸若舞の演者で物語の語り部であった。「牛若貴船詣」の話は貴船神社が呪詛神であったことから来る。金売り商人吉次との出会いから鞍馬寺を脱出し奥州へ向う。途中熱田神宮大宮司の家で義経は自ずから元服したとされる。「義経記」卷三より弁慶の話が主になる。弁慶の名前は「吾妻鏡」では西国へ逃げる義経一行四人の中に出、「平家物語」では一の谷の戦いに初めて出てくる。弁慶は熊野別当が参拝に来た二位大納言の娘を奪い取って生んだ子とされている。拾われて比叡山に上がったという。手の付けられない暴れ坊主で西塔の武蔵坊弁慶と名乗り、大原や四国、姫路で修行(暴れた)したということだ。よそ者の修行者は何時も寺の大衆といざこざを起すのが常である。弁慶物語は義経物語のコピーに他ならない。義経と弁慶の出会いは五条天神(祇園社の末社で疫病退散の神)と清水寺である。弁慶物語に出る五条大橋は清水寺参拝の為の橋である。さてどちらで弁慶と牛若が出会ったのでしょうか。京都検定では五条天神が正解です。