ブログ 「ごまめの歯軋り」

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米原子力空母ワシントン 横須賀母港化

2008年09月25日 | 時事問題
asahi.com 2008年9月25日15時6分
米原子力空母G・ワシントン、横須賀配備
 米原子力空母ジョージ・ワシントン(GW)が25日午前、神奈川県横須賀市に入港し、米海軍横須賀基地に配備された。1973年に米軍が日本に空母を配備して以来、原子力空母の日本母港化は初めてとなる。米軍は対テロ戦などの拠点として太平洋重視を進めており、その一環での戦力増強となった。

日本非核三原則はどうなった?
原子力空母は核兵器でないというのが政府見解であるが、核兵器搭載は軍事秘密のため情報開示はしない。原子力潜水艦寄港と同じ問題を含む。核を積まないことでは威嚇効果はないのだ。横須賀港への配備は母港化ということで、危険性は一気に高まる。原子力空母が他国の攻撃の対象になる事は今の世界情勢からはありえないとしても、放射線汚染問題は横須賀の農産物の風評被害にもなる。

読書ノート 橋本治著 「日本の行く道」 集英社新書

2008年09月25日 | 書評
今の日本の社会はどっかおかしい もうひとつの選択肢があったら 第3回

橋本治著  「乱世を生きる-市場原理は嘘かもしれない」 集英社新書(2005年11月) -バブル崩壊後何が起きたんだろうー

 橋本氏は「今の日本の社会のありかたはおかしい」という。これが「負け組」のひがみでなく、経済的貧富の差を固定化する方向がおかしいというのである。「不必要な富を望まない選択肢だってある」というような痩せ我慢を主張するようでもあり、氏の論旨の持って行き方は大変面白いのだが、「負け組の言うことは聞かないという日本社会の方向がめちゃくちゃだ」ということが氏の入り口になっている。とにかく現在の世界を動かしているのは投資家だということは事実のようだ。別に現在だけでなく昔から投資家はいた。1980年代に日本の生産力は世界一になって、輸出先と投資先は飽和しもう何処へ投資していいか分らなくなったのだ。アメリカの要請もあって、日本は内需を喚起すべくリゾート法などを作って土地価格の上昇は無限だという神話に埋没した。もう完全にあの時は狐がついていたのだ。狂ったように土地に投資した銀行・不動産などは昭和の終わりと同時にはじけた。これをバブル崩壊という。時を同じくして東欧・ソ連邦の社会主義国が崩壊し冷戦は終わった。アメリカの軍需産業は縮小統合の時代になって経済の氷河期に落ち込んだ。アメリカは日本の生産力と冷戦終結というダブルパンチによって死に体から必死の脱出策を講じた。それが金融資本主義(投機資本主義)によって、世界(ロシア、東南アジアと日本・韓国など)から蓄積を略奪する方向へ向かい、各国へ破壊ビジネス(ヘッジファンドM&Aや規制緩和)を仕掛けていった。方向を見失った日本の金融資本はめぼしい投資先もない状況で、アメリカの要求通りに金融ビッグバンを実施して、デフレスパイラルに陥った。金を貸す相手がいないので金利はどんどん下って、金が流通しなくなった。経済は流れていなくてはならない(自転車操業とは違うが)それが流れないのだから閉鎖観や「何にも出来ない」手詰まり観が支配したのだった。そこで橋本氏独特の(経済学者ではないので)方向みたいなものをいう。「経済はもう満杯になったのだから、そこから出るにはもう経済の発展を考えても仕方がない。ただ人間には我慢する力が残っているだろう」と。


経済問題  富田俊基著 「財投改革の虚と実」  東洋経済新報社

2008年09月25日 | 書評
財政投融資の実の改革は財投事業の見直しだ 第3回

序 (3)
財投(財政投融資)とは、国の信用力を背景に融資などの金融的手法を用いる財政政策であり、政治と市場による規律が求められる。12001年度より年郵便貯金と年金の財投への預託を廃止し自主運用にまかせ、特殊法人は財投機関債を市場へ発行して自主資金調達を行うとした財投改革がスタートした。自主調達が出来ない事業には、国が金融市場から調達した国債を精査した上で財投する2本立てとなった。同時に個別の財投事業見直しは「特殊法人等整理合理化計画」と「財政投融資の総点検」によって行われた。これらの改革によって財投計画の規模はピーク時の1996年度40兆円から2007年度の14兆円と1/3にまで減少した。財投計画残高も2007年度にはピーク時の約6割の250兆円に縮減した。財投の貸付先はかって大きなウエイトを占めていた公共事業のシェアーは10%以下に減り、代わって中小零細企業、学生、農業向けの財投機関と地方自治体向けの財投が8割を占めるようになった。2006年には財投の剰余金12兆円が国債償還に回された。この成果を生み出した財投改革とは、組織の改革や財投機関債の発行といったことではなく、個々の財投事業の見直しによって進展したと云うことである。前者の改革を「虚の改革」、後者の改革を「実の改革」と呼ぶ。2007年度から郵便・年金の預託金の払い戻しが完了し、財投債は全部が市場に発行される。2008年度より政策金融機関の改革が実施される。それまでに財務の健全性に問題がある財投機関は当該事業からの撤退を条件に財投への繰り上げ償還をペナルティ無しで行い、免除された補償金で財務の健全化を図る。これによって財投が不良債権を抱えていると云う懸念は払拭された。2008年度から財政投融資金特別会計と産業投資特別会計が統合された。


文藝散歩 五味文彦著 「源義経」  岩波新書

2008年09月25日 | 書評
源平合戦の英雄「源義経」像を文献・史料から探る 第16回

6)平家追討の英雄ー「平家物語」より (1)

瀬戸内海では範頼の平家追討軍はもたもたして戦闘が出来ず九州下関に移動した。1185年3月の範頼の書状には九州は範頼が沙汰し、義経は四国を沙汰することになった。都には鎌倉殿使いとして中原久経と近藤国平がはいった。二人はさしたる大名ではなかったが、文武の実務使として手堅い人事であった。屋島の合戦から壇ノ浦の合戦までの義経最大の見せ場を「平家物語」卷第十一より収録する。

逆櫓
元歴二年正月十日、九郎判官義経、後白河院に平家追討を奏問し三年余りの源平の戦いに終止符を打つ決意を伝えた。二月三日義経の軍は摂津福嶋において船揃えをし、兄の三河守範頼も摂津国神崎に船揃えをした。二月十六日船を修理して船を出す時、侍大将梶原平三景時は船の回転を良くするため「逆櫓」を立てようとしたところ、義経は逃げるための櫓は必要ないと反対した。ここから義経と梶原の内輪もめが始まり、義経の運命にもかかわる梶原の義経に他する怨念が生じるのである。義経は梶原ら二百艘の船を置いて、たった五艘で阿波へ向って出発した。同行したのは、伊勢の三郎義盛、奥州の佐藤三郎兵衛嗣信、四郎兵衛忠信、江田源三、熊井太朗、武蔵坊弁慶、金子十郎家忠、伊豆の田代冠者信綱、後藤兵衛実基・新兵衛基清親子らであった。軍の規律を大将自ら破ったことになり、侍大将という指揮官を抜きにしては軍は動かないので、大将の親衛隊だけで戦に出かけたことになる。この辺が義経の異常さであり、勇敢さでもあった。

勝浦合戦
二月十六日、五艘の船と馬九十騎で阿波の勝浦に上陸した義経は、まず伊勢三郎義盛に現地の侍で案内役を連れてこさせた。坂西近藤六親家を屋島への案内とした。勝浦の平家方である桜庭介能遠を討って門出の戦とした。

大阪越
平家の陣を近藤六親家に尋ねると屋島には千騎ほどだという。平家は各地に兵を分散させていたようだ。阿波の平家方田内左衛門教能が伊予国の河野征伐に出て留守なのを幸いに、阿波と讃岐の境の大阪越を夜を徹して越えた。二月十八日、讃岐国引田から高松に着いて、高松を焼き払って屋島に向った。屋島では源氏が大勢で攻めてきたと思って沖の船に避難したが、屋島の御所を焼き払った源氏義経軍は七八十騎ばかりが渚にでた。


自作漢詩 「万珠沙華」

2008年09月25日 | 漢詩・自由詩
晴陰秋色満江     晴陰秋色 江城に満つ

汀曲無人積水     汀曲に人無く 積水清し

月魄蕎花今夜白     月魄蕎花 今夜白
    
万珠沙華映波     万珠沙華 波に映じて明なり

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(赤い字は韻:八庚 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)