ブログ 「ごまめの歯軋り」

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米国大手証券会社リーマンブラザース倒産  金融危機不安は世界を走る

2008年09月16日 | 時事問題
asahi.com 2008年9月16日7時31分
NY株暴落504ドル安、原油95ドル台 危機感深刻
 【ワシントン=西崎香】15日のニューヨーク市場は金融危機の深刻化が大きく波及し、株式市場のダウ工業株平均の終値は先週末より504.48ドル安い1万0917.51ドルに暴落した。市場の混乱は原油相場にも波及し、終値は約半年ぶりに90ドル台に落ち込んだ。

asahi.com 2008年9月16日9時29分
東証1万2000円割れ今年最安値に リーマン破綻影響
 16日の東京株式市場では、米証券大手リーマン・ブラザーズの経営破綻(はたん)で前日の米国株価が大幅に下落したことから、日経平均株価は急落。3月17日につけた年初来安値の1万1787円51銭を下回って推移している。午前9時36分には前週末比589円15銭安い1万1625円61銭まで下落した。

山一証券倒産とは桁違いに影響がでる。 サブプライムローン問題はまだ清算が済んでいなかったようで、アメリカが購買力を失うと世界中は不況になることは必至である。原油価格もついでに下がってありがたいが。

政治問題 砂田一郎著 「アメリカ大統領の権力」 中公新書

2008年09月16日 | 書評
クリントン、ブッシュJr大統領とリーダーシップの低下 第8回
軍の総司令官としての権力と戦時大統領制 (1)

 合衆国憲法第二条は「大統領は合衆国の陸海軍、および各州の民兵の総司令官である」と規定している。しかし戦争を宣言する権限は大統領ではなく連邦議会に与えた。戦争に関しても権力の分立をはかった。議会に宣戦布告を要請するのはいつも大統領である。戦争時の大統領権限は平時とは比較にならないほど大きい。これを戦時大統領制と呼んでいる。大統領が議会に宣戦布告を求めた最初の戦争はマジソン大統領(1812年対英戦争)であった。19世紀になって世界の帝国主義の植民地戦争にアメリカも参加していったのが、ポーク大統領の1846年対メキシコ戦争、マッキンレー大統領の1898年米西せんそうであった。1914年ウイルソン大統領による第1次世界大戦、ローズベルト大統領による第2次世界大戦の戦時大統領には共通点がある。どちらもアメリカは求められて参戦したのである。自由、民主主義、平和というビジョンを持って同盟国を勝利に導いた。そして戦後復興を援助したのである。道義的に理由のある戦争であったとされている。冷戦時、1950年の朝鮮戦争ではトルーマン大統領は議会に宣戦布告を求めなかった。三万人の戦争犠牲者を出して政治的・軍事的に得るものは何もなかったと云う道義無き闘いであった。何時始まって何時終わったのか、議会の同意を得たのかはっきりしないのが1963年ジョンソン大統領のベトナム戦争である。トンキン湾決議をもって無制限の戦争に入った。50万人の軍隊を派遣して、名誉ある撤退を掲げたのがニクソン大統領である。彼も議会に同意を求めた形跡は無い。

経済問題  神田秀樹著 「会社法入門」 岩波新書

2008年09月16日 | 書評
21世紀の「会社法」はIT革命と資本市場への対応をめざすもの 第8回
株式会社の機関 (4)

役員と「株主代表訴訟」
 役員(取締役、会計参与、監査役)、執行役、会計監査人を「役員等」という。職務を委任された役員等は「忠実義務」、「善管義務」を負うので、任務懈怠の場合、会社に対して賠償責任を負う。株主全員の同意がある時取締役の責任を問う。新会社法では一定の条件で責任軽減を認めた。株主総会決議による事後の責任は軽減され、定款規定を置いた上での取締役会決議に基づく責任の軽減である。また株主や債権者の損害を想定した会社以外の第二者に対する損害賠償責任を規定した。会社に代わって株主が取締役を訴えることができる「株主代表訴訟」もできた。この時株主は自分の利益は得られないが、訴状に貼る印紙額は8200円でよいと云う規定ができたので、訴訟を起すことが容易になった。一株主運動はここから始まった。取締役や監査役に提訴判断を任せておくだけでは十分でないと見られるような、大和銀行、野村證券の事件が多発したからである。


文藝散歩 五味文彦著 「源義経」 岩波新書

2008年09月16日 | 書評
源平合戦の英雄「源義経」像を文献・史料から探る 第7回
1)幼少期ー史料稀薄 (2)

 「平治物語」によると、1156年の保元の乱後に権力を得た後白河院の近臣藤原通憲(俊西)と藤原信頼の権力争いに端を発する。信頼が義朝を誘い、平清盛が熊野参詣で留守の時に兵を動かした。俊西を殺すのが精一杯で清盛が帰京して形勢は逆転し、二条天皇を清盛に奪われて敗走し、尾張で義朝は自害した。嫡男悪源太義平19歳は近江で捕まり斬首、次男朝長は自害、五男希義は土佐に配流された。三男頼朝は捕らわれ斬首されるところを池の禅尼の助命で伊豆に配流となった。常盤は義経ら子三人を連れて大和国宇陀郡竜門に非難したが、常盤の母関屋が捕まって詮議されているので、京に戻った。おもわず義経の命は救われ(清盛が常盤の体と交換に義経を許したといわれている)、継父藤原長成の養育で鞍馬寺に修行に入った。常磐は平清盛との間に女子一人をもうけたが、清盛に捨てられた後藤原長成の妻となり多くの子を生んだ。常盤の逃避行は室町期に入って幸若舞曲の「伏見常磐」などに強い母親像として話題を提供してゆくのである。

自作漢詩 「十五夜」

2008年09月16日 | 漢詩・自由詩


橘柚放香秋満     橘柚香を放ち 秋空に満つ

梧桐葉落夜蕭     梧桐葉落ち 夜蕭蕭

中庭仰見千家月     中庭仰ぎ見る 千家の月
    
孤客高樓一坐     孤客高樓 一坐の風 


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(赤い字は韻:一東 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)