ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文藝散歩 五味文彦著 「源義経」 岩波新書

2008年09月18日 | 書評
源平合戦の英雄「源義経」像を文献・史料から探る 第9回
3)弁慶との出会いー「義経記」より

 「義経記」の義経修行時代の話は「しょうもん坊」から始まる。「平治物語」では義経に謀反を勧めたのは諸陵助重頼とされるが、「義経記」はしょうもん坊(四条聖)に変えられる。源頼朝に謀反を勧めたのが高雄の文覚聖人である話の対比で義経に謀反を勧めたのは四条聖と云う話にしたのであろう。なおしょうもんとは「声聞師」から来た言葉で室町時代の幸若舞の演者で物語の語り部であった。「牛若貴船詣」の話は貴船神社が呪詛神であったことから来る。金売り商人吉次との出会いから鞍馬寺を脱出し奥州へ向う。途中熱田神宮大宮司の家で義経は自ずから元服したとされる。「義経記」卷三より弁慶の話が主になる。弁慶の名前は「吾妻鏡」では西国へ逃げる義経一行四人の中に出、「平家物語」では一の谷の戦いに初めて出てくる。弁慶は熊野別当が参拝に来た二位大納言の娘を奪い取って生んだ子とされている。拾われて比叡山に上がったという。手の付けられない暴れ坊主で西塔の武蔵坊弁慶と名乗り、大原や四国、姫路で修行(暴れた)したということだ。よそ者の修行者は何時も寺の大衆といざこざを起すのが常である。弁慶物語は義経物語のコピーに他ならない。義経と弁慶の出会いは五条天神(祇園社の末社で疫病退散の神)と清水寺である。弁慶物語に出る五条大橋は清水寺参拝の為の橋である。さてどちらで弁慶と牛若が出会ったのでしょうか。京都検定では五条天神が正解です。



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