ブログ 「ごまめの歯軋り」

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太田農水相 辞任は当然だけど 緊張感が無い

2008年09月19日 | 時事問題
asahi.com 2008年9月19日11時35分
太田農水相辞任へ 汚染米問題で引責
 太田農水相は19日、農薬などで汚染された事故米の不正転用問題をめぐる一連の農林水産省の対応の責任をとり、同日の閣議後、福田首相と会談して、辞任する意向を伝えた。首相も同日中に辞任させる方針だ。
 「私どもに責任があると今の段階では考えていない」と発言した白須敏朗事務次官が19日付で辞任。一方、太田農水相も12日「人体に影響がないことは自信をもって申し上げられる。だからあんまりじたばた騒いでいない」などと発言し、野党側は「こんな発言を続けられたら国民はたまったもんじゃない。即刻やめるか、総理が罷免すべきだ」(民主党の鳩山由紀夫幹事長)と責任を追及する構えを見せていた。

凡そ最低の内閣総理大臣と農水大臣 自民党に政権維持の責任感はない
お坊ちゃま二世首相の投げ出しに似て、なんと無責任な農水相の辞任 まるで緊張感も責任感もない。有権者の皆さん あなたならどうします。自民党に引導を渡しますか。奈落まで続けさせますか。

政治問題 砂田一郎著 「アメリカ大統領の権力」 中公新書

2008年09月19日 | 書評
クリントン、ブッシュJr大統領とリーダーシップの低下 第11回
大統領の権力とリーダーシップ

 連邦議会を動かして自己の政策課題を立法化して実現する力が大統領の権力である。行政府の長である大統領には法案の提出権はない。日本では内閣立法と議員立法があって、殆どが内閣立法である。これを官僚内閣制といって官僚の権力の源泉である。アメリカは権力分立制で、合衆国憲法は立法権を議会に、行政権を大統領にゆだねて相互の抑制によって均衡をとっている。大統領は三権分立の一つの権力に過ぎないともいえる。大統領には党派的官職任命権、裁量権がある。官僚の総裁的な強力な権限が大統領に与えられている。まや議会に対しては憲法第一条に立法拒否権と立法を勧告する権限がある。国家の緊急事態に対応するには行政権を持って単独行動できる大統領のほうが適している場合もある。ニューディール政策をさまざまな立法政策で実現したローズベルト大統領は、立法リーダシップの行使を特徴とする現代大統領制を実現した。ジョンソン大統領も目覚しい立法成果を上げた。1964年公民権法、65年高齢者医療保険法など両院で大統領の政党が安定多数を占めていたので、立法成功率は82%とケネディと並んでいた。クリントン大統領の最初の2年間は民主党が両院の多数党であったので立法成功率は86%であったが、共和党が両院で優位になった後期2年間のそれは36%と惨めなものであった。ジョンソン・ニクソン大統領の1963-1974年は大統領への権力集中が顕著になり、大統領が承認しない政策への予算の凍結といった権力の濫用が続いた、いわゆる帝王的大統領制の時代であった。

経済問題 神田秀樹著 「会社法入門」 岩波新書

2008年09月19日 | 書評
21世紀の「会社法」はIT革命と資本市場への対応をめざすもの 第11回
株式会社の資金調達 (3)

 多数の者が安心して株式会社に出資する事ができて初めて株式会社制度が成り立つ。株主は出資金額だけの責任を持つ(株の価値がゼロになっても文句は言えない)。株主の自益権は会社から直接経済的利益を受ける権利で、共益権とは会社の経営に参加する権利である。共益権には株主総会での議決権と会社の監督是正権である。会社法では株式の権利の内容は同一であることが原則である。これが「普通株式」のことであるが、特別な目的のため「優先株式」を発行する事ができる。議決権はないが、配当を特別に高くするとか、利益がなくとも利益を受ける権利を保留するといった「非参加的」「累積的」優先株である。優先株式を一定期間後に普通株式に強制転換株式とすることも可能である。株主平等の原則のために株券と云う有価証券を発行する。2004年度からは株券不発行制度というペーパーレス化を推進し2009年に振り替え制度に移る。上場会社は全て振り替え株式会社になる予定である。株主名簿の名義書き換えから口座欄への数の増減の記載が譲渡の効力要件となる。

文藝散歩 五味文彦著 「源義経」 岩波新書

2008年09月19日 | 書評
源平合戦の英雄「源義経」像を文献・史料から探る 第10回
4) 奥州藤原氏と源頼朝挙兵、義仲追討ー「吾妻鏡」より

 義経を受け入れた奥州藤原氏は、初代清衡は継父清原氏から奥六郡を受領し、平泉に拠をおいて陸奥・出羽を支配下び置いた。二代の基衡と三代の秀衡と続いて1170年鎮守府将軍に任じられ従五位下に叙された。1181年には陸奥守になるなど繁栄の極みを迎えた。金を朝廷に送り平清盛の日宋貿易を経営したのもこの時期であった。三代秀衡は陸奥守藤原基成の娘との間に泰衡を儲けた。また秀衡は朝廷の変や乱で逃げた来た公家、朝廷の不満分子を積極的に受け入れた。その流れの中で義経らが受け入れられたようだ。

 1180年8月17日以仁王の令旨に応じて源頼朝は石橋山で挙兵したが破れ、10月20日富士川の戦いで勝利したときに、義経が奥州から駆けつけた。この時藤原秀衡は藤原継信・忠信兄弟を従者として派遣した。これ以降の義経の動きは鎌倉幕府の歴史書「吾妻鏡」(歴代将軍記)から得られる。物語は「平家物語」から得られる。頼朝の義経に対する位置づけは1181年の鶴岡八幡宮の上棟式で馬を引けと云う命令に明らかである。義経を源氏嫡流として別格に置くのではなく、あくまで御家人と同じ旗下レベルに置くものである。頼朝は信濃の義仲、尾張の行家、常陸の信太義広らをけん制しながら覇業達成を目指したのである。1183年義仲から子息清水義高を人質に取っているのである。義仲が平家追討で西国へ向った時に頼朝は後白河法皇より東海・東山・北陸の支配権を得た。北陸は義仲の抗議で返還されたが、頼朝は義仲や義経が兵を進めるたびに支配権を拡大していった

自作漢詩 「江村秋事」

2008年09月19日 | 漢詩・自由詩


僻巷江村水稲     僻巷江村に 水稲香り

烟郊気爽立新     烟郊気爽かに 新涼に立つ

蕎花野色三分白     蕎花野の色は 三分の白 
   
霜葉山光一半     霜葉山の光は 一半の黄
 
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(赤い字は韻:七陽 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)