ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 橋本治著 「日本の行く道」 集英社新書

2008年09月27日 | 書評
今の日本の社会はどっかおかしい もうひとつの選択肢があってもいい 第5回

第一章 「子供の問題」で「大人の問題」を考えてみる

子供のいじめと自殺と云う問題は実は過去の問題が全て積み重なった今の問題である。そしてそれは子供の問題であると同時に大人の世界でも背景を同じくする問題である。いじめは昔からあったが自殺はなかった。子供の頭の中が急速に大人になって自殺と云う複雑な手段を弄するようになったのである。そして遺書まで書くのである。最も哀れなのが自分の親による虐待の事実である。子供は自分の存在は親から守られるものと信じている。親から虐待を受ければ子供の存在が否定されるようなもので虐待を認めようとしないから悲惨である。いじめも学校と云う環境での虐待すなわち自分の存在の否定である。遺書を書いて抗議する子もいる。昔の「いじめっ子」はじつは学校から疎外された子供が学校の良い子をいじめるので、学校の先生に訴えれば保護された。子供を保護する親のいる家とおなじである。ところが今のいじめは友達全員であるので学校では逃げようがない。先生までいじめの側にまわることがある。逃げようがないので自分を消すという行為になる。これが自殺である。いまや日本は毎年3万人の人が自殺する「自殺大国」になっている。自殺は交通事故死以上にありふれた現象になった。ネットで「自殺サイト」ができて、「みんなで死ねば怖くない」と云う風潮も生まれている。これは今の社会で「人間性と云う価値」が無視され、安い歯車のひとつで人間関係が稀薄で孤立しているように感じられるからである。無論リストラによる経済的貧困、ワーキングプアーという労働問題、ストレス・過労によるうつや精神疲労などが重なっている。人を食って生きる人種と人に食われる人種がいる事は確かであるが、食われる側にセーフティネットと云う助け合いが不十分であるかもしれない。都会における人間関係の崩壊も大きな要因である。



経済問題  富田俊基著 「財投改革の虚と実」  東洋経済新報社

2008年09月27日 | 書評
財政投融資の実の改革は財投事業の見直しだ 第5回

序(5)
本書は次のように構成される。
第一章「資金調達の仕組みの改革」では、2001年度からの財投の新しい資金調達の仕組みの実施プロセスを検証する。財投機関の自己調達は市場より高い資金調達を余儀なくされている。郵便貯金・年金の預託金制度から財投債発行に移った。国会の議決を必要とする財投債は最も信用力が高く国債金利を基準に設定されるので国民負担も少ない。
第二章「マーケットにおける財投機関債」では、市場が財投機関債をどのように受け入れたのかを検証する。やはりマーケットでは政治が決めるべき信頼によって、財投機関債と国債との格差が変動した。住宅金融公庫の財投機関債(住宅MBS)は資産担保の形態をとったので信用リスクフリーとなった。繰り上げ償還リスクに対応したスプレッド(格差)が市場で決まるようになった。
第三章「財投事業の見直し」では、改革の実の部分の成果を検証する。個別事業の廃止と縮減が進み、財務の健全性に問題がある事業の撤退と補償金無しの繰り上げ償還を国費で行って財投から不良債権を追放した。
第四章「行政改革推進法」では、政府資産・債務改革、政策金利改革を取り上げる。財投貸付金の圧縮を行うことを目的として、融資から政府保証へシフトし、財投貸付金の証券化をおこなう事になった。市場に政治を任せるようなことになった。地方自治体貸付の「公営企業金融公庫」は廃止され「地方自治体金融機構」に引き継がれる。


文藝散歩 五味文彦著 「源義経」 岩波新書

2008年09月27日 | 書評
源平合戦の英雄「源義経」像を文献・史料から探る 第18回

6)平家追討の英雄ー「平家物語」より (3)

壇浦合戦
平家は長門国引島に着き、義経は兄範頼と合流して長門国追津に着いた。平家側の武将熊野別当湛増は二千余人と船二百艘を率いて源氏へ寝返った。伊予国河野四郎通信も百五十艘の船を連れて源氏へ入れた。あわせて源氏の船は三千艘、平家の船は千艘となって会い対した。元歴二年三月二十四日の卯の刻に長門の国壇ノ浦赤間が関で源平の矢あわせとなった。さてその日また義経と梶原の先陣争いで喧嘩となった。梶原は義経は大将なのだから先陣は侍大将の梶原に任せるべきと主張し、義経は大将は頼朝で自分は侍にすぎないので先陣に出るといって聞かず、互いに刀を抜かんばかりの喧嘩である。土肥と三浦介が仲裁に入った。梶原は深く義経を恨み「この殿は天性侍の主にはなり難し」といった。この恨みが義経讒言につながるのである。

遠矢
壇ノ浦では平家の船は汐に流され、源氏の船には追手となった。平家は千艘を三手に分け、山賀兵藤次秀遠が先陣五百艘を、松浦塔が三百艘で第二陣、平家の公達らが二百艘で三陣を組んだ。山賀兵藤次秀遠、和田小太郎義盛、仁井紀四郎親清、開源氏浅利与一らの遠矢合戦をして、ここを一途に源平死力を尽くした戦いとなった。

先帝御入水
ここで平家方の戦線脱落・裏切りが開始され平家は総崩れとなった。阿波の民部重能は教能が人質になっていたので源氏へ寝返った。四国鎮西の兵は皆平家を背いて源氏についた。はやここまでと感じ取った二位殿は、神璽を脇に挟み、宝剣を腰にさし、主上を抱いて「極楽往生と云う都にゆこう」と海に入られた。


自作漢詩 「雨聲沈沈」

2008年09月27日 | 漢詩・自由詩
江上陰雲秋色     江上陰雲 秋色哀たり

梧桐葉落雨聲     梧桐葉落ちて 雨聲催す

沈沈積潦滴還歇     沈沈と積潦 滴ちて還た歇み
    
繙帙未眠捲復     帙を繙き未だ眠らず 捲いて復た開く

 
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(赤い字は韻:十灰 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)

CD 今日の一枚 バッハ「モテット集」

2008年09月27日 | 音楽
バッハ「モテット集」BWV205-230 
ハンス・マルティン・シュナイト指揮ハンブルグ古楽管楽アンサンブル 
カペラ・アカデミカ・ウイーンとレーゲンスブルグ大聖堂少年合唱団 
ADD 1973 ARCHIV

このCDにはバッハのモテット集から新作と思しき6曲が収録されている。バッハ合唱音楽の極地を示す珠玉のモテットである。教会カンタータは朝の礼拝でラテン語で歌われたので、モテットは葬儀や追悼礼拝で用いられた。8声部二重合唱が多い。
1.主に向かいて新しき歌を歌え
2.み霊はわれらの弱きを助けたたまう
3.イエスよ、わが喜び
4.恐るる無かれ、われ汝とともにあり
5.来ませ、イエスよ来ませ
6.主をあがめまつれ、諸々の異邦人よ