今の日本の社会はどっかおかしい もうひとつの選択肢があってもいい 第5回
第一章 「子供の問題」で「大人の問題」を考えてみる
子供のいじめと自殺と云う問題は実は過去の問題が全て積み重なった今の問題である。そしてそれは子供の問題であると同時に大人の世界でも背景を同じくする問題である。いじめは昔からあったが自殺はなかった。子供の頭の中が急速に大人になって自殺と云う複雑な手段を弄するようになったのである。そして遺書まで書くのである。最も哀れなのが自分の親による虐待の事実である。子供は自分の存在は親から守られるものと信じている。親から虐待を受ければ子供の存在が否定されるようなもので虐待を認めようとしないから悲惨である。いじめも学校と云う環境での虐待すなわち自分の存在の否定である。遺書を書いて抗議する子もいる。昔の「いじめっ子」はじつは学校から疎外された子供が学校の良い子をいじめるので、学校の先生に訴えれば保護された。子供を保護する親のいる家とおなじである。ところが今のいじめは友達全員であるので学校では逃げようがない。先生までいじめの側にまわることがある。逃げようがないので自分を消すという行為になる。これが自殺である。いまや日本は毎年3万人の人が自殺する「自殺大国」になっている。自殺は交通事故死以上にありふれた現象になった。ネットで「自殺サイト」ができて、「みんなで死ねば怖くない」と云う風潮も生まれている。これは今の社会で「人間性と云う価値」が無視され、安い歯車のひとつで人間関係が稀薄で孤立しているように感じられるからである。無論リストラによる経済的貧困、ワーキングプアーという労働問題、ストレス・過労によるうつや精神疲労などが重なっている。人を食って生きる人種と人に食われる人種がいる事は確かであるが、食われる側にセーフティネットと云う助け合いが不十分であるかもしれない。都会における人間関係の崩壊も大きな要因である。
第一章 「子供の問題」で「大人の問題」を考えてみる
子供のいじめと自殺と云う問題は実は過去の問題が全て積み重なった今の問題である。そしてそれは子供の問題であると同時に大人の世界でも背景を同じくする問題である。いじめは昔からあったが自殺はなかった。子供の頭の中が急速に大人になって自殺と云う複雑な手段を弄するようになったのである。そして遺書まで書くのである。最も哀れなのが自分の親による虐待の事実である。子供は自分の存在は親から守られるものと信じている。親から虐待を受ければ子供の存在が否定されるようなもので虐待を認めようとしないから悲惨である。いじめも学校と云う環境での虐待すなわち自分の存在の否定である。遺書を書いて抗議する子もいる。昔の「いじめっ子」はじつは学校から疎外された子供が学校の良い子をいじめるので、学校の先生に訴えれば保護された。子供を保護する親のいる家とおなじである。ところが今のいじめは友達全員であるので学校では逃げようがない。先生までいじめの側にまわることがある。逃げようがないので自分を消すという行為になる。これが自殺である。いまや日本は毎年3万人の人が自殺する「自殺大国」になっている。自殺は交通事故死以上にありふれた現象になった。ネットで「自殺サイト」ができて、「みんなで死ねば怖くない」と云う風潮も生まれている。これは今の社会で「人間性と云う価値」が無視され、安い歯車のひとつで人間関係が稀薄で孤立しているように感じられるからである。無論リストラによる経済的貧困、ワーキングプアーという労働問題、ストレス・過労によるうつや精神疲労などが重なっている。人を食って生きる人種と人に食われる人種がいる事は確かであるが、食われる側にセーフティネットと云う助け合いが不十分であるかもしれない。都会における人間関係の崩壊も大きな要因である。