人口学は人口減少と少子・高齢化をどこまで解明したのか 第5回
少子化と人口転換論ー出生率・死亡率の低下とその要因 (1)
合計特殊出生率は先に説明した通りであるが、より大雑把には総出生率という指標もある。1年間に生まれた出生数を15歳から49歳の女性の総数で割った数値である。日本人女性の年齢別出生率曲線は1930年は20歳から40歳までなだらかなお椀型であったが、1970年には26歳ごろにピークを持つ鋭い峰型に変り、2005年には山自体が低くなって30歳でピークを持つ山形になった。1930年代は自然出生力に近い確率であるが、近年は子供を生まなくなってきていることと高齢出産が明白である。2000年の合計特殊出産率は1.37で、女児を生んだ数を女性数で割った総再生産率は0.666であった。これは子供を生む女性の数が再生される場合を1(1対1の「人口置き替え水準」)として66%である。置き替え水準は現代の日本では児童の死亡率を考慮すると合計特殊出生率が2.1程度である。日本では1975年以降2.1をきった。日本における出産の遅れは、主として結婚の遅れによる。更に遅れると結婚そのものの機会が失われ、出産数もさらに減少するだろう。出生率が低下すれば子供の数が少なくなり相対的に高齢化するのは自明である。女性の平均寿命が80歳以上になると高齢人口比率を25%以下に抑えるには総再生産率を0.8以上にする必要がある。今は0.66である。高齢人口比率を10%以下にするには総再生産率を1.5以上にする必要がある。すべて現状では出来ない相談かもしれない。
近代的人口転換以前の途上国の人口動態は多産多死であり、人口分布はピラミッド型で安定していた。日本は既に1974年から今日まで30余年間、合計特殊出生率は2.1以下で人口置き換え水準を割っていた。にもかかわらず死亡率が更に下回り人口は緩やかに増加し続けたのである。しかし遂に2005年に初めて人口が減少した。このタイムラグを人口増加モメンタム(力学の運動量保存に模して)という。1995年ごろから日本の人口増加加速度は減少に転じた。したがって今いかなる出生率向上策を講じたとしても(効果あるとは思えないが)、このマイナス加速度(今生きている人はどうしょうもないから)が反転してどこかでバランスが取れるとしてもトータル50年以上後の世のことである。
少子化と人口転換論ー出生率・死亡率の低下とその要因 (1)
合計特殊出生率は先に説明した通りであるが、より大雑把には総出生率という指標もある。1年間に生まれた出生数を15歳から49歳の女性の総数で割った数値である。日本人女性の年齢別出生率曲線は1930年は20歳から40歳までなだらかなお椀型であったが、1970年には26歳ごろにピークを持つ鋭い峰型に変り、2005年には山自体が低くなって30歳でピークを持つ山形になった。1930年代は自然出生力に近い確率であるが、近年は子供を生まなくなってきていることと高齢出産が明白である。2000年の合計特殊出産率は1.37で、女児を生んだ数を女性数で割った総再生産率は0.666であった。これは子供を生む女性の数が再生される場合を1(1対1の「人口置き替え水準」)として66%である。置き替え水準は現代の日本では児童の死亡率を考慮すると合計特殊出生率が2.1程度である。日本では1975年以降2.1をきった。日本における出産の遅れは、主として結婚の遅れによる。更に遅れると結婚そのものの機会が失われ、出産数もさらに減少するだろう。出生率が低下すれば子供の数が少なくなり相対的に高齢化するのは自明である。女性の平均寿命が80歳以上になると高齢人口比率を25%以下に抑えるには総再生産率を0.8以上にする必要がある。今は0.66である。高齢人口比率を10%以下にするには総再生産率を1.5以上にする必要がある。すべて現状では出来ない相談かもしれない。
近代的人口転換以前の途上国の人口動態は多産多死であり、人口分布はピラミッド型で安定していた。日本は既に1974年から今日まで30余年間、合計特殊出生率は2.1以下で人口置き換え水準を割っていた。にもかかわらず死亡率が更に下回り人口は緩やかに増加し続けたのである。しかし遂に2005年に初めて人口が減少した。このタイムラグを人口増加モメンタム(力学の運動量保存に模して)という。1995年ごろから日本の人口増加加速度は減少に転じた。したがって今いかなる出生率向上策を講じたとしても(効果あるとは思えないが)、このマイナス加速度(今生きている人はどうしょうもないから)が反転してどこかでバランスが取れるとしてもトータル50年以上後の世のことである。