ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 河野稠果著 「人口学への招待」 中公新書

2008年06月12日 | 書評
人口学は人口減少と少子・高齢化をどこまで解明したのか 第5回

少子化と人口転換論ー出生率・死亡率の低下とその要因 (1)

 合計特殊出生率は先に説明した通りであるが、より大雑把には総出生率という指標もある。1年間に生まれた出生数を15歳から49歳の女性の総数で割った数値である。日本人女性の年齢別出生率曲線は1930年は20歳から40歳までなだらかなお椀型であったが、1970年には26歳ごろにピークを持つ鋭い峰型に変り、2005年には山自体が低くなって30歳でピークを持つ山形になった。1930年代は自然出生力に近い確率であるが、近年は子供を生まなくなってきていることと高齢出産が明白である。2000年の合計特殊出産率は1.37で、女児を生んだ数を女性数で割った総再生産率は0.666であった。これは子供を生む女性の数が再生される場合を1(1対1の「人口置き替え水準」)として66%である。置き替え水準は現代の日本では児童の死亡率を考慮すると合計特殊出生率が2.1程度である。日本では1975年以降2.1をきった。日本における出産の遅れは、主として結婚の遅れによる。更に遅れると結婚そのものの機会が失われ、出産数もさらに減少するだろう。出生率が低下すれば子供の数が少なくなり相対的に高齢化するのは自明である。女性の平均寿命が80歳以上になると高齢人口比率を25%以下に抑えるには総再生産率を0.8以上にする必要がある。今は0.66である。高齢人口比率を10%以下にするには総再生産率を1.5以上にする必要がある。すべて現状では出来ない相談かもしれない。

 近代的人口転換以前の途上国の人口動態は多産多死であり、人口分布はピラミッド型で安定していた。日本は既に1974年から今日まで30余年間、合計特殊出生率は2.1以下で人口置き換え水準を割っていた。にもかかわらず死亡率が更に下回り人口は緩やかに増加し続けたのである。しかし遂に2005年に初めて人口が減少した。このタイムラグを人口増加モメンタム(力学の運動量保存に模して)という。1995年ごろから日本の人口増加加速度は減少に転じた。したがって今いかなる出生率向上策を講じたとしても(効果あるとは思えないが)、このマイナス加速度(今生きている人はどうしょうもないから)が反転してどこかでバランスが取れるとしてもトータル50年以上後の世のことである。

文芸散歩 「平家物語」 佐藤謙三校註 角川古典文庫

2008年06月12日 | 書評
日本文学史上最大の叙事詩 勃興する武士、躍動する文章 第66回
平家物語 卷第十一

弓流
余りの見事さに平家の五十歳くらいの男が船の上で舞い始まった。余一今度も弓を放つとその男の胸元を射通した。やったりと云う人もいたが、興ざめだと云う人もいた。平家は口惜しいと思って、二百余人ほど渚に上がり、源氏は八十騎で闘った。夜になって平家は船に上がり、源氏は陸に引いて休戦となった。源氏側は疲れ果てていたので、何故ここで平家が夜討ちをかけなかったのかが運の分かれ目となった。

志渡合戦
平家は讃岐国志度の浦へ移った。志度の浦では平家千騎と義経八十騎で合戦になった。源氏の援軍が来たので平家は大軍が来たと勘違いして舟に引き上げた。伊勢の三郎義盛は平家方の田内左衛門教能をたばかって心変わりをさせ源氏方の人質とした。この嘘による謀略で、教能の父阿波民部重能の心変わりを誘う戦術であった。こうして義経は四国を平定した。このころ摂津福嶋に取り残された梶原の二百艘も屋島に着いた。

壇浦合戦
平家は長門国引島に着き、義経は兄範頼と合流して長門国追津に着いた。平家側の武将熊野別当湛増は二千余人と船二百艘を率いて源氏へ寝返った。伊予国河野四郎通信も百五十艘の船を連れて源氏へ入れた。あわせて源氏の船は三千艘、平家の船は千艘となって会い対した。元歴二年三月二十四日の卯の刻に長門の国壇ノ浦赤間が関で源平の矢あわせとなった。さてその日また義経と梶原の先陣争いで喧嘩となった。梶原は義経は大将なのだから先陣は侍大将の梶原に任せるべきと主張し、義経は大将は頼朝で自分は侍にすぎないので先陣に出るといって聞かず、互いに刀を抜かんばかりの喧嘩である。土肥と三浦介が仲裁に入った。梶原は深く義経を恨み「この殿は天性侍の主にはなり難し」といった。この恨みが義経讒言につながるのである。

自作漢詩 「梅雨江村」

2008年06月12日 | 漢詩・自由詩


疎疎梅雨竹孫     疎疎たる梅雨 竹孫斉し

暗暗陰雲臨水     暗暗たる陰雲 水に臨んで低し

沙岸双鴎飛漠漠     沙岸の双鴎 飛んで漠漠
 
幽庭芳草湿萋     幽庭の芳草 湿ひて萋萋

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(赤い字は韻:八斉 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)

CD 今日の一枚 テレマン「トリオ・ソナタ」

2008年06月12日 | 音楽
テレマン「トリオ・ソナタ」 
フルートとリコーダー:ブリュッヘン 
ADD 1978 BMG

ソナタという形式はバロック時代に、合奏ソナタ、ソロソナタ、トリオソナタと変遷した。トリオソナタは三声部からなり、二つの旋律楽器と通奏低音(通常複数楽器)で構成される。ソナタはコレッリが確立した(均斉が取れ、節度があり、整然として、洗練された)音楽であった。テレマンはコッレリの作風を受け継いで、上声部の二つの楽器の均等性、通奏低音の旋律への参加、緩ー急ー緩ー急の楽章配列を守った。演奏者は古楽演奏で有名なオランダ・ベルギーの音楽界を代表する人々で、フルートとリコーダーにフランス・ブリュヘン、バルトルド・クイッケン、ヴィオラダガンバにヴィーラント・クイッケン、ヴァイオリンにジキスヴァルト・クイッケン、チェロにアンナ・ビルスマ、クエンバロにグスタフ・レオンハルトという錚々たる面々である。本CDには10曲のソナタが収録され、2枚のCDとなっている。