「ミスター年金」衆議院議員長妻昭氏が国会で暴く 第1回
著者長妻昭氏を簡単に紹介する。東京都練馬区出身。東京都立練馬高等学校、慶應義塾大学を卒業し、日本電気の営業マン、日経ビジネス記者を経て、1995年7月22日に行われた第17回参議院議員通常選挙に平成維新の会公認で出馬するが、落選。その後、新党さきがけを経て旧民主党結党に参加し、1996年10月20日実施の第41回衆議院議員総選挙に東京都第10区から出馬し、当時自由民主党・清和会元職で後に志帥会旗揚げ参加の小林興起に完敗した(新進党現職鮫島宗明と支持層が重なった事が最大の敗因)。2000年6月25日に行われた第42回衆議院議員総選挙において東京都第7区から出馬し、大勇会で現職の粕谷茂を破り初当選を果たした。続く第43回総選挙(2003年11月9日)でも小選挙区で当選。第44回総選挙(2005年9月11日)では、自由民主党新人で当選後に清和会に属する松本文明に敗北したものの、比例復活により三選した。
長妻氏は年金記録問題の際、急先鋒として一年以上にわたって政府・社会保険庁を追及しつづけ、5000万件の「年金もれ」の存在を明らかにした。このことから「ミスター年金」という異名を持つようになった。小泉純一郎政権時の2006年夏ごろから、委員会等で厚生労働省や社会保険庁の施策を盛んに追及するようになり、同時に支払った年金が未納扱いになっている事実を採り上げるようになった。2006年6月には前記の年金未納問題および「国民年金の未納者を行方不明者として扱い、納税率が上がったように見せる」「年収用件を満たしていない対象者の年金免除や猶予を意図的に行わない」ことを指摘し、さらに2006年7月には4件の年金記入漏れを社保庁に公式に認めさせることになった。 安倍政権となった2006年秋以降追及は本格化し、11月には36万人分の年金漏れを指摘し、2007年2月には年金の納付記録漏れが2006年6月現在で5000万件以上あることを柳沢伯夫厚生労働大臣に認めさせるに至った。 2007年5月の年金記録問題では民主党内で率先して自民党の対応を批判し、それがメディアで報道された。テレビ朝日系列の『サンデープロジェクト』に出演した際には、田原総一郎から、「民主党は長妻さんに5000万くらいボーナスを出すべきですよ」と冗談を受けた。
著者長妻昭氏を簡単に紹介する。東京都練馬区出身。東京都立練馬高等学校、慶應義塾大学を卒業し、日本電気の営業マン、日経ビジネス記者を経て、1995年7月22日に行われた第17回参議院議員通常選挙に平成維新の会公認で出馬するが、落選。その後、新党さきがけを経て旧民主党結党に参加し、1996年10月20日実施の第41回衆議院議員総選挙に東京都第10区から出馬し、当時自由民主党・清和会元職で後に志帥会旗揚げ参加の小林興起に完敗した(新進党現職鮫島宗明と支持層が重なった事が最大の敗因)。2000年6月25日に行われた第42回衆議院議員総選挙において東京都第7区から出馬し、大勇会で現職の粕谷茂を破り初当選を果たした。続く第43回総選挙(2003年11月9日)でも小選挙区で当選。第44回総選挙(2005年9月11日)では、自由民主党新人で当選後に清和会に属する松本文明に敗北したものの、比例復活により三選した。
長妻氏は年金記録問題の際、急先鋒として一年以上にわたって政府・社会保険庁を追及しつづけ、5000万件の「年金もれ」の存在を明らかにした。このことから「ミスター年金」という異名を持つようになった。小泉純一郎政権時の2006年夏ごろから、委員会等で厚生労働省や社会保険庁の施策を盛んに追及するようになり、同時に支払った年金が未納扱いになっている事実を採り上げるようになった。2006年6月には前記の年金未納問題および「国民年金の未納者を行方不明者として扱い、納税率が上がったように見せる」「年収用件を満たしていない対象者の年金免除や猶予を意図的に行わない」ことを指摘し、さらに2006年7月には4件の年金記入漏れを社保庁に公式に認めさせることになった。 安倍政権となった2006年秋以降追及は本格化し、11月には36万人分の年金漏れを指摘し、2007年2月には年金の納付記録漏れが2006年6月現在で5000万件以上あることを柳沢伯夫厚生労働大臣に認めさせるに至った。 2007年5月の年金記録問題では民主党内で率先して自民党の対応を批判し、それがメディアで報道された。テレビ朝日系列の『サンデープロジェクト』に出演した際には、田原総一郎から、「民主党は長妻さんに5000万くらいボーナスを出すべきですよ」と冗談を受けた。