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京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

私の生まれ育った神戸という街は、人々の喜びも悲しみも包み込むような街であってほしい。

2019-11-11 22:48:23 | 国際・政治

今日、ツイッターを朝、見ておりますと、こんな記事を見つけました(クリックするとリンク先に行けるはず。そこに記事があります)。

「2020年、神戸は震災から25年を迎えます」神戸市長がテクノロジーに込める想いとは。
Facebook、楽天、NTTドコモなどと連携した市政運営や、500 Startupsとの起業家支援プログラム「500 KOBE ACCELERATOR」といった取り組みがある (2019年11月11日、AMBI 20代向けハイクラス転職サイト)

この記事を読んで、私が率直に思ったことを書いておきます。

まず、私はなんかこの記事読んで、あらためて今の神戸市長の都市経営に対する発想が、恐ろしく感じられました。

もともと神戸市は私が子どもの頃から、「株式会社神戸市」なんて言われるくらい…。たとえば、山を削って海を埋め立て、住宅団地と工業地域・港湾整備の両方をやってみたり…。あるいは、そのための外国債券のやりくりをして差額で儲けたりなんかしてきた都市です。

要するに神戸市って、首長らの「企業経営的」あるいは「開発独裁的」な指向の強い自治体だと思うんですよね。また、私は明治維新期の「開港」以来、日本政府のすすめる国策的な近代化の「最先端」を歩んできたのが、神戸だと思っています。

ただ、そういう神戸をめぐる政治・経済の動きに、たとえば労働運動や他の社会運動などの力で、一定の「抵抗」が見られた間は、なんらかの歯止めがかかる余地もあったのかと。また、阪神淡路大震災や、たびたび神戸を見舞った水害などへの対応、その他さまざまな都市問題への対応等々を通じて、「住民生活の維持・向上」を求める動きも、一定、神戸の街のなかから生まれてきた側面もあったかと思います。

しかし、この神戸市長の記事を見ていると、もう、露骨ですね。都市経営に企業のもっている最先端のテクノロジーやノウハウを投入して、大々的に都市改造をしてやろう…と。いい言い方をすれば「意欲」、別の言い方をすると「野心」がむき出しになっているように見受けられます。

また、市長がやりたがっているような都市経営、たとえば先端医療技術などのハイテク産業が立地し、それが経済をリードする都市なんていう神戸のイメージは、おそらく、今の政権のすすめる国策的なものとも関係が深いのでしょう。

そして「ハイテク産業の立地する都市で経済をリード」なんてことをすすめるときには、きっと「あの阪神淡路大震災で深く傷ついた」という記憶や、「もう一度災害に強いまちづくりで住民生活に安心を」なんて話は、どこかにぶっとぶんでしょうね。

いま、神戸の学校でおきている諸問題、たとえばそれは子どものいじめ自死であったり、教員間いじめの問題であったりするわけですが…。そのことも、もしかしたら、私はこういう日本の近代化と神戸の都市経営、特に、経済成長最優先の政策の「最先端」を常に歩もうとする神戸の都市経営の問題が深く絡んでいるのではないかな、と思ったりもしています。

それにしても、ほんとうに神戸という街の市政は、今後「ハイテク産業の立地する都市で経済をリード」だけで、いいんでしょうか? 阪神淡路大震災という悲しい出来事の記憶を風化させ、学校で子どもも教職員も苦しい生活を余儀なくさせながら、それでもハイテク産業の立地や観光業等々の活性化で、ひとまず「外から」見て「繁昌している」かのように見える施策ばかりが推進される都市。神戸という街を、そんな都市にすることが、ほんとうにこれから先、目指すべきことなのでしょうか?

いまは西宮市内在住ですが、もともと私は神戸市の東灘区出身。大学院修士課程の学生になって一人暮らしを始めるまで、私は神戸で暮らしていました。実家は阪神淡路大震災で被災もしています(幸いにして建物は残り、家財道具がむちゃくちゃになった程度の被害でしたが)。子どもの頃から大学生を終える頃までの、喜びも怒りも、哀しみも楽しさも、いろんな私の感情と記憶と体験が詰まった街が、神戸です。

「港町」としての神戸にあるおしゃれな外観、あるいは華やかさと美しさの裏側には、いろんな人々の悲しみや苦しみがたっぷりと詰まっている。でも、その華やかさと美しさと、人々の悲しみや苦しみの両方を包み込んで、それでもなお前を向いていくような、そんな都市経営が今、神戸には求められているんじゃないですかね。悲しみや苦しみを包み込むのではなく、ただ「隠す」だけ、「忘れ去る」だけ。ただただ「華やかさと美しさ」を追求するだけ。そんな都市経営だけはしてほしくないな、と。私の生まれ育った街・神戸と、そしていまの神戸市長には語りかけたいです。

<追記>

今から25年ほど前。阪神淡路大震災という悲しい出来事のあと・・・。

神戸のある小学校教員がつくった「しあわせ運べるように」という歌。(リンク先をクリックすれば、YouTubeで聴くことができます)

あの大震災のあとしばらくの間、子どもたちが無事に学校に通ってきているだけで、ただうれしかった。そんな教職員も多かったはず。当時、大学院生しながら定時制高校の非常勤講師をしていた私も、そうでした。

もう一度、神戸の教職員も、他の地域の教職員も、「いま、子どもたちが無事に学校に通ってきている」ということそのものを喜べるように。そんな気持ちをとりもどさないといけませんね。

と同時に、神戸の学校現場の教職員がそんな気持ちを取り戻せるような、そんな教育施策を行う責任と義務が、神戸市教委、そして市長にはあるのだと思います。「ハイテク産業の立地で経済をリード」の前に、するべきことがあるでしょう…と言いたくなります。


 



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