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京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

例の芸能事務所の問題について最近思うことー被害者救済の「実務」はだれがどうやってすすめるの?ー

2023-10-07 22:42:46 | 私の「仲間」たちへ

〇下記の内容は、今日、フェイスブックに書いたことを手直ししたものです。自分のブログにも加筆修正して転載しておきます。

ずっとこの間、例の芸能事務所の性加害と被害者救済の問題で、不思議に思っていること。それは「どのようなかたちで被害者救済を実施していくのか? また、そのための一つ一つの課題を、だれがどのように責任をもって解決していくのか?」という、被害者救済と課題解決の枠組み(スキーム)が、ちっとも見えてこないなあ…ということ。

私としては今後の学校事故・事件関係の仕事との絡みで、この課題解決の枠組みこそがいちばん知りたいことなんですけどねぇ…。私の知りたいことなんて、いまはまだ、どこの報道機関も取材して伝えてないような気がするんですけど…(もしかしたらすでに記事などがでていて、私が知らないだけかもしれませんが)。

もちろん、約500人近い被害者救済なんて「ちょっとやそっとではできっこないタスク」だし、また、例の芸能事務所および死んだ社長の「悪事」がそれだけ深刻で、「そう簡単に枠組みなんて作れないよ」ってことでもあるわけですが。そして、この「ちょっとやそっとではできないタスク」を今後、責任をもって担う人として、はたして「タレントあがりの社長や副社長がほんまにふさわしいのか?」ということもありますが。

でも、「誰かが責任をもって被害者救済や課題解決の枠組みをつくり、その方向性でまずは動き始めて、課題が生じたらそれを修正して…」をくりかえして、「よりちょっとでもマシな被害者救済の枠組みを、時間をかけてつくっていく」こと。それしか今、この日本社会でできることってないように思うんですよね。

それこそ…。「あの芸能事務所からある程度の独立性を保ったかたちで、たとえば弁護士や医師、心理職、福祉職などの混成チームで、どのように被害にあった人たちからの救済申し立てを受け付け、被害を認定し、今出せる資金からどのように賠償・補償を行うのか? その救済手続きを何年くらいかけてやるのか?」という枠組みづくりが、今、早急に必要なことだと思うんですが。こういう議論って、まだまだ、ほとんどできていないように思うんですよね。ついでにいうと、金銭的な補償・賠償(弁護士)、心理的・身体的な被害とこれに対するケア(心理職・医師)、衣食住や仕事など具体的な生活面での諸課題への対応(福祉職)など、多様な専門職の被害者救済場面での「協働」が必要になると思いますねえ、この件。

また、その枠組みづくりを誰が責任もってやるのか? その枠組みづくりにあたって、被害者の会からの要望や意見などはどのように取り入れられるのでしょうか? それこそ、被害者の会からこういう実務的な枠組みについて、どの程度要望や意見がでているのでしょうか? そこは誰かがきっちり取材しているんでしょうか…?? もしも被害者の会から、こういう枠組みづくりに対する意見や要望など自体がでていないなら、「それ、早急につくらないといけないのでは? でないと例の芸能事務所にとっていいようにあしらわれるのでは?」とか思ったりもします。

実は、このあたりの話は、学校事故・事件の被害者・遺族救済の課題とも共通する面があると思っています。だからこそ、私は「実務的に考えたら、どうなるのか?」と。日ごろの学校事故・事件関係の取り組みを参照しながらいうわけですが。

これに加えて、あの芸能事務所それ自体と死んだ社長の家族は、どのくらい被害者救済にお金出す用意があるのか? 実際に出せるお金がどの程度あるのかわからないと、賠償・補償の範囲が組めない。もしも「足りない」のなら、いままであの芸能事務所とかかわりの深かったマスコミや企業などにお金を積ませないと…。

また、あの芸能事務所には、たとえば過去のタレントの在籍記録や番組出演、あるいはステージ出演のスケジュール、合宿所に入っていた期間のわかる名簿等々、訴えられた「被害」を直接・間接に裏付ける文書類がどの程度残っているのか? これがないと、そもそも救済の対象者は誰かもわからないし、被害の裏付けも撮れないから、被害者救済の実務はすすまないと思うんですが…。

さらに、「あの芸能事務所は何するか信用できない」という人々は、今すぐにでもあの芸能事務所の持っている文書類を「資料館」か何かに移して、改ざんや隠ぺいなどできないようにしなくちゃいけないんじゃないですかね? だからこそ「そう簡単にあの芸能事務所つぶすとか、そんな話したらいけないのとちがいますか?」と思うわけです。

あ、そうそう。この被害者救済の課題に加えて、今後の性暴力防止に関する社会的な取り組みについては、具体的にだれがどのような枠組みですすめていくのでしょうか? これについても、いままで例の芸能事務所およびそことかかわりの深い企業やマスコミに、資金・人・モノ等々の資源を供出させて、なんらかの課題解決のスキームつくって動かしていかないといけませんね。これはいったい、だれが責任もって担っていくのでしょうか?

以上のとおり、私にしてみると…。あの芸能事務所側のこの間の動きにも疑問は多々ありますが、同時に、あの芸能事務所の対応を批判的に論じている人々の側にも、「もっと実務的な話を軸に議論しないと、被害者救済の課題という本筋の話そっちのけで、ご自分の不信感や疑念をぶつけているだけに終わってしまう」と、いろんな危惧を抱きます。

ただ、こんな風に思うのは…。やっぱり私が実務的な課題解決を重視するかたちでものを考えるクセがついているからかと。一日も早く、あの芸能事務所の問題も、こうした実務的な観点から議論が進むことを願います。

ちなみに、記者会見の指名NGメモの話は、批判を言いたくなる人々の気分はわかるんですけど、「その批判をこの先も続けていても、この被害者救済の枠組みづくりにつながるのか?」「きっと記者会見の指名NGメモをなくしたとしても、司会する人、さらには会見を設定する側は目配せとか、いろんなかたちで<やっかいな記者を排除する>のではないかな、これからも」と思ったりもします。

また、「そんな記者会見を設定するあの芸能事務所は信用できない」と、さらなる不信感を抱く人々の気持ちもわからなくはないのですが…。でも「だとしたら、あの芸能事務所に今後、どういう被害者救済のスキームをつくらせて、それをどうやって信用できる人々で動かしていくのか?」を論じて、誰かに責任もって実施させていかないと、事態は「なにもかわらない」と思います。



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