できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

大川小学校のことで河北新報のインタビュー記事が出ました。

2018-04-22 11:43:16 | 受験・学校

<大川小・止まった刻>専門家2氏に聞く/遺族の知る権利尊重を 京都精華大教授 住友剛氏

https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201804/20180421_13005.html

<大川小・止まった刻>専門家2氏に聞く/事実認定、報告書が限度 前文部科学省事務次官・前川喜平氏

https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201804/20180421_13005.html

先月末、大川小学校の控訴審判決を前に、新学期準備でおわれている最中に、河北新報社の取材を受けました。

そのとき2時間くらい話をした内容をコンパクトにまとめていただいた記事が、昨日付けで出ました(上記のリンクをクリックしてください)。

私が多くの学校事故・事件の被害者家族や遺族のかたわらにこの十数年居続けて、そのなかで見えてきたこと。また、その見えてきたことをふまえて、この大川小学校での検証委員会のあり方や、今の控訴審に対する被告側の動き等々を見ていて思うことを、かなり率直に語りました。

どれだけ大川小学校のご遺族のみなさん、そして他の学校事故・事件の被害者家族や遺族のみなさんの日頃感じていることに近い話ができたかはわかりませんが、ひとまず、記事が出たことをお知らせします。

それから、今日の河北新報には、この検証委員会の立ち上げに積極的に動いた前川前文部事務次官のコメントもでています(こちらも上記のリンクをクリックしてください)。ですが、私へのインタビュー記事の内容は、結果的におそらく、前川さんのコメントのひとつひとつにツッコミを入れるかたちになっていると思います。私に取材に来た記者さんから伺っている範囲だけでも、「あのさ~。そういう考え方だと、そりゃ前川さん、ご遺族から批判されても無理ないよ」と、前川さんの考えには違和感がありましたので。

ついでにいうと、昨今の前川さんに対するマスコミ等々での評価には、私、この件があるので、なにかと違和感がありました。

確かに対安倍政権、自民党という局面、そして森友・加計問題ということでいえば、前川さんの動きや思いは立派なものです。

でも、前川さんが文部官僚として対応してきたことの中身は、個々のケースを見て、もっと精査していかないといけないのではないかと。

だって「教職課程の再課程申請」という、この2か月近く私がしんどい思いをしてきた大学での業務も、また、最近あちこちから講演・研修で呼ばれる「道徳の教科化」も、あの前川さんたち文科省の官僚が、政権与党の教育政策を実行するプロセスで生まれたものですからね。

もちろん、たとえ前川さんご本人にとっては「上からの指示」や「他の審議会で決まったことだから」と言う面があって、不本意なことがあったかもしれない、「面従腹背」的に動いたかもしれないことにせよ、です(でも、喜々としてやったこともあるかもしれないなぁ…)。

もう少しツッコんでいいますと、私が前川さんの記事でいちばん「かちん!」と来たのは、無過失賠償の話のところ。その「かちん!」と来たのは、大きく次の2点です。

1つは、「いままで長年、そういう主張を教育法学関係者が続けてきたときに、文科省がどういう態度をとってきたのか? 無視してきたんじゃないのか?」という思い。

もう1つは、「賠償金なんかいらない。うちの子どもを返してくれ」と言われたときに、「文科省の元官僚としてのあなたはどう答えるのか?」という思い。

上記リンク先の私のインタビュー記事では、この「もう1つ」の思いの方を記事にしていただきました。

私としても、大川小のケースに対して、検証委員会を立ち上げてなんとか遺族の要望に応じていくべきだと考えたところ。そこまでの前川氏の文部官僚としての判断それ自体は、私は認めています。今までそんなこと考えた官僚、いませんでしたから。

でも、その判断にもとづいておこなったそのあとの前川さんをはじめ文科省の対応、あるいは検証委員会の対応等々は、実は「ぐだぐだ」で「行き当たりばったり」だったのではないかと。

その点についてはやはり、今の時点で何がダメだったのかをきっちり指摘して、今後に向けて改善していく必要があると思います。

あと、例の「無過失賠償」の話についても、あえて言いたい。この記事になったほうの「もう1つ」の方の思い、つまり「賠償金なんていらない。うちの子どもを返してくれ」という遺族たちの思いに、教育法学関係者も、文科省を含む教育行政関係者も、学校現場も、そして弁護士や裁判官も、学校事故・事件にかかわる各領域の専門家たちも、どう向き合うのか。そこを私は今、あらためて問いたいと思っています。

そして、このような遺族からの問いかけこそ、まさしく人文学的な問い、哲学や思想、倫理的な問いかけです。また、そういう人文学的な問いに誠実に向き合おうとする専門家たちや行政関係者、法曹界の人々、そして学校現場の教職員が目の前に現れたときにはじめて、「自分たちの思いが届いた」と遺族たちは実感するんじゃないですかね。そういう関係者を遺族たちは信頼するんじゃないですか…。

ちなみに、前々から言っているように、本気で取材するマスコミ関係者は、私のコメントがどうしてもほしかったら、電話取材ではなく、京都のうちの大学であれ、西宮の我が家の近辺か、あるいは神戸や大阪など私が出やすい場所まで、必ずやってきます。

そういうマスコミ関係者の方が書く記事とか、つくる番組などは、やはり、私から見ていても好感が持てるものです。



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