10月19(月)
朝から曇り、変わりやすい秋のお天気が続いております。
今日は先日歩いた、中山道散歩の備忘録です。
文字どおり、忘れないうちに書き留めておこうと思っております。
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出発
前回のゴール場所の本庄駅からのスタートですが、どなたも雨に備えて色とりどりのレインウエアーを着ての出発です。
ここ本庄宿は、江戸から10番目の宿で、その規模は中山道67次の中で最も大きな宿場であったそうです。
秩父地方や群馬県からの荷が本庄に集まり、利根川を利用した運搬が盛んであったといわれております。
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本庄城跡
本庄氏が永禄10年の北条氏との戦いに敗れ、その配下となりましたが、豊臣秀吉の関東攻略により再び落城の憂き目に合い、江戸時代に入ると廃城になってしまいました。
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稲荷神社
現在城跡には、城山稲荷神社になっております。
境内には、本庄城を築城の際に献木した大欅が残っておりました。
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大欅
県天然記念物に指定されております。
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開善寺
臨済宗妙心寺派のお寺で、天正19年に本庄城城主で会った小笠原信嶺が開基した寺ですが、本庄宿の大半を焼き尽くす大火事により焼失したために当時の建物は残っていないし、本堂も昭和46年の再建だといいます。
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小笠原信嶺夫妻の墓
道を挟んだ古墳の上には、小笠原信嶺夫妻の墓がありました。
街道を歩いていて気が付いたことは、小さな古墳がお墓として利用されていたことです。
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愛宕神社
愛宕神社は、天正10年荷本庄城主小笠原信嶺が勧進したと伝えられております。
ここも古墳の上に社が建立されておりました。
急な階段の脇に樹齢400年といわれる大欅がご神木として、市の天然記念物に指定されております。
開善寺の鎮護のため勧進されたと云われておりますが、明治の廃仏毀釈後は、地元の方々によって祀られております。
石段脇の庚申塔は、道しるべを兼ね「右八まん道 左よりい道」と記されておりました。
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歴史民俗資料館
明治16年に建築されたコリント様式を採用した、本庄の本格的な洋風建築で県の有形文化財に指定されております。
昭和10年まで警察署、簡易裁判所などを経て、昭和55年から歴史民俗資料館になっております。
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田村本陣の門
本庄宿に二軒あった本陣の内、田村本陣の門が、歴史民俗資料館入り口に移築されておりました。
田村本陣は、本庄駅入り口交差点の右側にあったそうですが、今は、りそな銀行になっておりました。
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普養霊場
木曽御岳山開山の行者「普寛上人」が旅の途中の本庄で入滅したと伝えられております。
上人を慕う信者さんたちにより建立された霊場だそうで、春と秋には、大祭が行われ火渡りの神事が行われております。
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普寛上人の墓
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旧本庄商業銀行
このレンガ作りの建物は、明治29年荷、銀行が融資の担保として預かった大量の繭を保管するために造られたといいます。
一時期洋菓子店として利用されていたそうですが、平成23年に本庄市の所有となり、多目的ホールとして利用されております。
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金鑚神社
本庄宿の総鎮守の神社で、欽明天皇2年(541)の創建と伝えられております。
金鑚の語源は、砂鉄を意味する「金砂」といわれており、当時の鉄の貴重さが伝わります。
大鳥居の社号額は松平定信の揮毫だとされております。
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浅間神社
コスモス畑の向こうに赤い鳥居が目印の小さな神社です。
ここも、古墳の上に富士浅間神社が祀られており、昭和の調査発掘で刀や矢じり、金環などが発見されていたそうです。
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石室
小さな石室画あり、そこで夜な夜な賭博を開いていたそうですが、見た限りでは人が2~3人入ればいっぱいになってしまうほどの広さです。
賭博などとてもできそうもありません。
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泪橋跡
一般の民家に置かれている石は、江戸時代にここを流れていた小さな川に架けられていた石橋の一部だそうで、この家の方が自費で当時の橋の一部を集めて整備したそうです。
石碑によると、「江戸幕府は、大名などが通行する際には、街道住民に伝馬という苦役を貸したので、駆り出された住民はこの橋のところで、家族をしのび、身のはかなさを嘆いて泪した」こんな事が書かれておりました。
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中山道
雨の中黙々と新町宿を目指して歩きます。
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庚申塔
自然石に刻まれた庚申塔は珍しいということです。
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畑時能首塚碑
新田義貞の重臣畑時能の首塚は、赤城山を背に建っておりました。
義貞に従い戦っておりましたが討ち死に、家臣によって首だけがこの地に葬られたそうです。
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陽雲寺
曹洞宗のお寺で、新田義貞が鎌倉攻めの前に戦勝を祈願して不動堂を建立した縁で、「新田勝軍不動堂」と称されております。
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陽雲院の墓所
この寺には、竹田信玄の正室陽雲院が、この寺を再建したと伝えられ、境内には、陽雲院の墓所や新田義貞の家臣畑時能の供養塔がありました。
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勝場一里塚
日本橋から23番目の一里塚がありましたが、往時の面影は全くありませんでしたし、場所もこのあたりと云った具合でした。
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見透灯篭
神流川に架かる橋のたもとに造られた灯篭で、文化12年に戸谷半兵衛が川の両岸に建てたものだそうです。
この橋を渡ると上州新町宿です。
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群馬県
橋を渡り切ると群馬県です。
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新町宿常夜灯
旧中山道と国道との分岐点に建っており、住民が募金を始め旅人にまで寄付のお願いをして建てたそうです。
その中には、小林一茶の名も記録されているそうです。
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諏訪神社
信州諏訪の大社からの勧進された神社です。
本殿から右手奥に進むと鳥居が地中に埋まっているのが見られます。
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埋もれた鳥居
何でこうなったのかも解らないようですが、近所の子供たちの格好の遊び場になっていたといいますが、今は高崎市指定文化財になっております。
ガイドさんも明確なガイドをしてくれませんでしたので、解りましたら追記したいと思います。
今回の中山道街道歩きは、家を出てから25.089歩でした。
距離は15.8k・・・ずいぶん歩きました。