アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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日曜日記315・「加害歴史の継承妨げるSNS」歴史学者の警鐘

2024年08月18日 | 日記・エッセイ・コラム
  今年の「8月ジャーナリズム」も「戦争の悲惨さ」など「被害の歴史」を中心にしたものがほとんどで(それももちろん重要だが)、侵略戦争・植民地支配の「加害の歴史」に焦点を当てたものはほぼ見当たらない。

 これは日本のメディア、言論界の一貫した致命的弱点だ。その致命傷がさらに深まる恐れがあると歴史学者の小菅信子さん(山梨学院大教授)が警鐘を鳴らしている。

<岸田文雄首相は今年の全国戦没者追悼式でも、太平洋戦争での加害の歴史に言及しなかった。…歴史を伝えていく上で気がかりなのは、交流サイト(SNS)の存在だ。…悲惨な現地の状況をスマートフォンから見られる時代。今に目がいき過ぎるあまり、過去の加害は「帳消し」だと考えてしまうきらいがあると感じる

 また、SNSは自身の意見を発信できる一方で感情的になりがちだ。フェイクニュースやプロパガンダも交ざっている。異論を徹底的にたたき、誰もが「殺す」と脅迫されるような風潮で、加害の歴史を発信していくのは、私たちのような歴史家であっても難しい。非常に重大な問題だ。>(16日付京都新聞)

 「加害の歴史を発信していくのは、歴史家であっても難しい」とは、まさに重大問題だ。SNSの弊害はここまで深まっているのか。

 「太平洋戦争の加害の歴史」を発信することが難しければ、朝鮮、台湾に対する植民地支配の加害の歴史を発信することはさらに困難だろう。なぜなら植民地支配の加害の歴史は今日の在日朝鮮人らに対する差別に直結しているからだ。それを告発すればSNSでヘイトスピーチ攻撃を受ける恐れが大きい。それが歴史家を萎縮・自粛させる。

 「ペンは剣より強し」は理想論だ。実際は言論は暴力に弱い。戦前・戦中、治安維持法を中心とする国家暴力の前に、学者・作家・「知識人」が相次いでひれ伏し戦争に協力したことを忘れることはできない。

 その国家暴力に、新たにSNSの暴力が加わっている。ほんとうに重大な問題だ。

 SNSの弊害・害悪が指摘されて久しいが、本格的な対策の検討がなされているとは思えない。
 小菅さんは「専用のインターネットサイトを設けるなど、語りたいと思う人たちが、語りやすい環境をつくる工夫が必要だ」と提言している。それも一考だ。

 同時に、この問題はたんにSNSの使用方法に限らない。「匿名」「差別」「暴力」「正義」…それをどうとらえるか。思想の問題でもある。社会学、哲学、政治学、平和学など人文科学、社会科学を総動員して検討すべき問題だ。

 そして何より、市民一人ひとりが自分の問題として考える必要がある。自分が毎日使っているツールだ。無意識・無自覚のうちに加害の一端を担うことになるかもしれないのだから。

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