アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

切望される「新しい世界史=グローバル・ヒストリー」

2024年08月30日 | 日本人の歴史認識
 

 パレスチナで繰り返されているイスラエルのジェノサイドを、私たち日本人はどうして自分事として捉えられないのでしょうか―そんな根源的な問題に答えてくれる本が出版されました。

 『中学生から知りたい パレスチナのこと』(ミシマ社、2024年7月)です。著者は、岡真理・早稲田大教授(京都大名誉教授)=写真右、小山哲・京都大教授、藤原辰史・京都大准教授の3氏。

 それぞれの報告(岡氏「ヨーロッパ問題としてのパレスチナ問題―ガザのジェノサイドと近代五百年の植民地主義」、小山氏「ある書店店主の話―ウクライナとパレスチナの歴史をつなぐもの」、藤原氏「ドイツ現代史研究の取り返しのつかない過ち―パレスチナ問題はなぜ軽視されてきたか」「食と農を通じた暴力―ドイツ、ロシア、そしてイスラエルを事例に」)はいずれも示唆に富んでいます。3氏の鼎談はとりわけ秀逸。その中から抜粋します。

 岡氏 今の世界史には、「構造的欠陥」があると思います。ある部分の歴史がすっぽり抜け落ちている、というよりも、歴史や世界というものを私たちが考えるときの視野そのものに、構造的な問題があるのではないか。一言でいえば、私たちは西洋中心主義、白人中心主義の視点でしか歴史や世界を見ることができていない。既存の学問自体がそうした構造によって生み出されている。そのことが今回のガザのジェノサイド攻撃によってあらわになったように思います。

 藤原氏 日本では1932年から満州への武装移民がはじまりました。世界恐慌の結果、農家の生活が立ち行かなくなった中で生まれてきた解決策が、満州への棄民、移民政策です。その精神構造はイスラエルと同じで、未開拓の地を、文明化された勤勉な日本人、大和民族が、指導的立場で開墾していくというものです。イスラエルの入植とうりふたつのことが起こっていたのに、私はその関連にまったく思い至らなかった。日本の植民地の歴史を批判しておきながら、こんな比較さえできていなかったことを恥じています。

 岡氏 (台湾の霧社事件1930年、満州の平頂山事件1932年に触れて)こうした歴史が各地にある。私たちが私たち自身の過去を知っていたら、パレスチナについても別の見方が生まれるはずなのに、そのような歴史的な視野をもつことが、意図的に阻まれているような気がします。

 小山氏 日本の歴史学では、明治以降、世界的に見ても非常に特殊な区分が用いられてきたのです。歴史学の領域を三つに分けるやり方です。まず「日本史」―かつては国史といいました―があり、残りの部分を「東洋史」と「西洋史」に分ける。この区分は政治的にニュートラルなものではなく、日本が近代国家として確立していくための歴史学の体制として戦略的に構築されたものだったのです。問題は、日本が帝国だった時代が終わっても、これがアカデミズムの世界で存続していることです。

 要すれば、「私たちが今、必要としているのは、西洋中心主義で、かつ地域ごとに分断された歴史に代わる新しい世界史、私たちが生きるこの現代世界を理解するための「グローバル・ヒストリー」であるということです」(岡氏「はじめに」)。

 換言すれば、「世界史は書き直されなければならない力を振るってきた側ではなく、力を振るわれてきた側の目線から書かれた世界史が存在しなかったことが、強国の横暴を拡大させたひとつの要因であるならば、現状に対する人文学者の責任もとても重いのです」(藤原氏「本書成立の経緯」)。

 第一線の学者の真摯な自己批判。日本のアカデミズムに一条の光を見る思いです。
 世界の出来事とりわけ紛争・戦争を自分のこととして捉えられるように、「新しい世界史=グローバル・ヒストリー」の構築を切望します。

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