アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「父の戦争トラウマは自分の問題」黒井秋夫氏を覚醒させたもの

2024年08月14日 | 戦争の被害と加害
 


 「PTSDの日本兵家族の会・寄り添う市民の会」代表の黒井秋夫さん(76)のインタビューが13日未明のNHKラジオ深夜便「シリーズ・戦争平和インタビュー」でありました。
 黒井さんについては、7月28日のブログでも書きましたが、インタビューを聴いていっそう考えさせられました。

 黒井さんの父親は1932年に20歳で召集され中国へ。主な任務は満州鉄道の防衛。いったん除隊するも41年に再び召集され最前線へ。捕虜となり、帰国したのは46年6月でした。

 しゃべらない、笑わない、無気力。病院へ行くのも妻(黒井さんの母)の付添いなしには行けない。父親は黒井さんにとってただ「ダメな人間」「絶対こういう男にはならない」という「反面教師」でしかありませんでした。77歳で他界した時も「一粒の涙も流していません」。

 そんな黒井さんの転機になったのは、2015年、67歳の時に3カ月間乗船した「ピース・ボート」。そこで元アメリカ海兵隊員、アレン・ネルソンさん(1947~2009年)のDVDを観たことでした。

 従軍したベトナム戦争で多くの民間人を殺し、人間性を完全に失っていた。そんな中、戦場でベトナム女性の出産に立ち会うことになり、赤ちゃんのぬくもりで人間性を取り戻した。

「ネルソンさんの悲しく苦しそうな顔が、親父の顔と重なりました。そして一瞬にして分かりました。戦争が父を変えたのだと」

 3年後の18年、黒井さんは「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」(現在の会の前身)を立ち上げました。その一番の動機は、「父にたいする償いの思い」でした。軽蔑することしかできなかった息子として償い。「あの世でちゃんと父に向き合えるように」

 父親の戦争トラウマを理解することは、「父親を肯定することであると同時に、自分を肯定すること」だと黒井さんは強調します。「父親は愛情がなかったわけではない。自分は愛されなかったわけではない」。戦争トラウマを理解することで「息子としての人生を取り戻した」。

 戦争トラウマで今も病院に通っている元兵士の人たちがいます。そして戦争トラウマによる家族への暴力は子どもに移り、暴力の中で育った子どもは自分の子どもに暴力を振るうようになる。戦争トラウマの苦しみは3代におよぶ。黒井さんは力説します。

「今も戦争が生きている。戦争は終わっていないのです」

 黒井さんたち「PTSDの日本兵家族の会・寄り添う市民の会」の特筆すべき素晴らしさは、父親の戦争トラウマを理解し語り継ぐだけでなく、それを「戦争はしません 白旗を掲げましょう 話し合い和解しましょう」というスローガンに結実させていることです(写真左は「会」のリーフレット)。

 アレン・ネルソンさん(写真右=琉球朝日放送より)は生前、沖縄はじめ日本をたびたび訪れ、講演しました。ある講演でこう述べています。

「日本国憲法第9条の持つ力強さは、いかなる核兵器、いかなる国のいかなる軍隊も及ぶものではありません。…世界平和は、いったいどこから生まれてくるのか? それは、ここに参加された一人ひとりの決意と行動から生まれてくるのです。人間は変わらなければなりません。私たち一人ひとりが変われば、世界は必ず変わっていくのです」(2005年兵庫県での講演、「憲法9条・メッセージ・プロジェクト」ブックレット「そのとき、赤ん坊が私の手の中に―みんな、聞いてくれ、これが軍隊だ!」2006年より)

 黒井さんの人生、そして黒井さんたちの「会」の活動は、ネルソンさんの信念をたしかに継承しています。

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