26年前の1998年7月、地域の夏祭りで準備されたカレーにヒ素が投入され、4人が死亡した。「和歌山カレー事件」だ。2009年に死刑が確定した林眞須美死刑囚(63)は今も無罪を主張し続け、再審を請求している。
その「カレー事件」の真相を追ったドキュメント映画「マミー」を見た。新聞(7月23日付京都新聞夕刊)で紹介されていたからだ。監督はフリーでテレビ番組の制作などを手掛けていた二村真弘氏(46)。
裁判では、「自供」がないまま、「目撃証言」と「ヒ素鑑定」と別件の「保険金詐欺」を主な「証拠」として死刑判決が下された。
二村監督はそれらをいずれも覆していく。とりわけ「ヒ素鑑定」については、京大教授の専門家が、「今日では誤りであることが証明されている」と断言している。支援グループは再鑑定を要求しているが、裁判所は拒否している。
監督は地域住民、当時の捜査・司法・報道関係者からの証言取材を試みるが、ほとんどが口を閉ざす。地域住民は「(事件は)タブーだ」という。
映画を見る限り、えん罪の可能性がきわめて高い。少なくとも再審、再鑑定を行うべきだ。
私はこの事件を忘れていた。林死刑囚が再審を請求していることも知らなかった。新聞記事を読まなかったら映画も見なかっただろう。
しかし、私はこの事件を忘れてはならないのだ。
この事件はその残忍さ、林容疑者(当時)のキャラクター(たとえば特徴的なTシャツを着て自宅を取り巻く報道陣にホースで水をかける)もあって、マスコミが大々的に取り上げた。メディアスクラムだ。
読者の関心を引く報道が林容疑者への悪印象をつくりあげ、裁判にも影響を与えたであろうことは否定できない。この事件は報道のあり方、メディアの責任を問う事件でもあるのだ。
そして私は当時、夕刊紙の報道部長として、この事件報道の指揮をとった。現場には行かなかったが、メディアスクラムの一角を担ったのだ。
たかが知れている夕刊紙で、大手紙や週刊誌の影響の比ではないが、それは関係ない。事件の真相に関心を持つ責任が私にはある。本当は二村監督のように真相を追及する責任があるが、その力はない。少なくとも真相を知る責任がある。その意味でも再審請求を支持する。
それにしても、同じえん罪・再審請求事件でも(たとえば袴田事件と比べても)、この事件がメディアで取り上げられることはあまりにも少ないのではないだろうか。メディアだけでなく、弁護士会にも温度差を感じる。
それは曲解だろうか。私が知らないだけだろうか。そうでないとしたら、この温度差は何なのだろう。メディアは26年前の暴走・誤りにフタをしよとしているのだろうか。