アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記310・宗教への偏見をなくしたい

2024年07月14日 | 日記・エッセイ・コラム
  「安倍晋三銃撃事件」から2年の8日、「宗教2世問題ネットワーク」が声明を発表。「事件から2年経過してなお、数多くの子どもが宗教団体の下で虐待などの被害に苦しんでいる」として、政府に積極的な対応を求めた(8日付朝日新聞デジタル)。

 「宗教2世」の虐待でしばしば取り上げられるのが「エホバの証人」だ。

 私には「エホバの証人」の友人が複数いる。いずれもアルバイト(福山市)を通じて知り合ったが、誠実で明るく、素晴らしい人たちだ。「2世」も複数いる。

 「安倍事件」の前だが、教義に興味があったので私の方からいろいろ質問した。その都度丁寧に、資料を添えて教えてくれた。勧誘を受けたことはない。「輸血拒否」などの教義には共感できないが、「大いなるもの」や「運命の日」は興味深い(写真は「エホバの証人」の公式サイト)。

 私たち(日本市民)は、「エホバの証人」についてどれほどの知識を持っているだろうか。以下は私が「エホバの証人」に興味を持つきっかけになった本の一節だ。

「日本でも、十五年戦争時に真っ向から兵役拒否を宣言し抵抗した人はきわめて少数ながら存在した。主流のキリスト教会が体制に迎合していったのに対して、異端とされてきた灯台社(エホバの証人)が抵抗を貫いたのである。代表の明石順三が法廷で発した「一億対五人の闘い」という言葉は、決して大げさな表現ではなかった。というのは、文字通り少数者であったうえ、孤立無援の闘いだったからである。…ドイツでも、教会勢力の主流派であった福音教会がナチに妥協的であったのに対し、主流派から異端視されていたエホバの証人こそが抵抗者であった歴史は、「宗教者の良心とは何か」との問題を投げかける」(佐々木陽子編著『兵役拒否』青弓社ライブラリー、2004年)

 もちろん「宗教2世(あるいは3世)」への虐待は重大問題だ。また「エホバの証人」を擁護するものでもない。それだけの知識を持ってはいない。
 ただ、「エホバの証人」といっても当然一色ではない。その名を聞いただけで嫌悪するのは偏見ではないだろうか。

 日本社会は、宗教・宗教団体(とりわけ異端とされる宗派)に対する嫌悪・偏見・差別に満ちている、と思う。

 その根源は、あまりにも「宗教教育」が軽視(無視)されていることにあると思う。宗教に関する必要な知識が明治以降の学校制度の中で教えられてこなかったし、今も教えられていない。

 なぜか。天皇制があるからだ。国家の制度としての天皇制と神道(皇室神道)は一体不可分だからだ。天皇制が必要な宗教教育を抑圧してきたし今もしている。

 個人的には、「宗教はアヘンだ」というマルクスの言葉を教条的に受け止め、宗教を毛嫌いしていた青壮年期の数十年が悔やまれる。

 宗教教育を学校・社会で普及すべきだ。もちろん特定の宗教の布教ではない。宗教の歴史、宗教とは何か。必要な知識と思想を学び、宗教(信者)に対する偏見・差別をなくしたい。

 それは、統一教会など邪教を見抜くことにも、「宗教2世」に対する虐待をなくすることにも、世界情勢を理解することにも、そして天皇制の是非を考えることにも役立つと思う。
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