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それを提言した第三者委員会の委員の1人、土井裕明弁護士がこう述べている。
「誰かを呼び捨てにしているとき、人は、相手よりも自分の方が上だという意識を持っています。呼び方には、その人が相手をどう見ているかという意識が反映されるのです。そこにある支配的な関係性が固定化・強化されてしまう面もあります。
呼び方は、相手を一人の人間として尊重しているかどうかを示す指標でもあるのです。一般に想像されている以上に、重大な問題です。
会社や家庭の中でも呼び方の問題は重要だと思います。呼び方を変えたら関係性も変わるという事態は起こり得る」(同朝日新聞デジタル)
20年ほど前、レストランでアルバイトをしていた時、若い店長から呼び捨てにされた。今でいうパワハラも多々あり、数カ月で辞めた。呼び捨てとパワハラは無関係ではない。
逆に、ホテル清掃のバイトをしていた時、年上の先輩から「さん」付けで呼ばれていたことがある。最初は「おやっ」と思ったが、もちろん嫌な気はしない。その人はたいへん誠実な方だった。
加害の記憶もある。長く勤めていた職場で、後輩の女性を「〇〇ちゃん」と呼んでいた。親しさを表したつもりだったが、今思えばそこに権力(上下)関係の潜在意識がなかったとは言えないだろう。
最も悔やまれるのは、家庭内での呼び方だ。
妻(だった人)を「さん」付けで呼んだことがなかった。対外的には呼び捨てだったし、家では名前すら呼ばなかったような気がする。
お互いに呼び捨てならそれでもいいかもしれないが、一方が「さん」付け一方が呼び捨ては明らかに不当だ。そして、家の中でも、二人だけの時でも、「〇〇さん」と呼べば良かったと、今にして思う。それに気づいていれば、もっと違った関係性が築けたかもしれない。
バイト仲間と雑談する時も、「ご主人は?」とは絶対言わないように気を付けている。「パートナーさんは?」と言う。
でも相手はほとんど「主人は…」と返してくる。妻が夫を「主人」と呼ぶ風習は根強い。意識はしていないだろうが、日本の宿痾である家制度と無関係ではない。そこには無意識の権力(支配)関係があり、再生産されている。
対外的に妻を呼び捨てにする典型は天皇だ。このかんの訪英で何度かインタビューに答える場面があったが、何度も呼び捨てにしていた(写真)。
天皇制と家父長制は一体不可分だ。天皇制が続く限り、天皇は妻を呼び捨てにし続けるだろう。それが国家権力が天皇を「日本の象徴」にしている由縁だ。
だから、天皇制は廃止しなければならない。