角館草履の『実演日記』

〓袖すり合うも多生の縁〓
草履実演での日々の出会いには、互いに何かしらの意味があるのでしょう。さて、今日の出会いは…。

お祭りをとめたモノ。

2009年09月10日 | 地域の話


今日の草履は、彩シリーズ23cm土踏まず付き〔四阡円〕
赤基調のストライププリントをベースに、合わせは白地に黒のまだらプリントです。
「和」が中心の角館草履にしては、比較的斬新な配色ですね。「今日の草履」は、お祭り見物にお立ち寄りのおばさまがお持ち帰りです。

角館が一年で最も熱くなるお祭りが終わりました。再会を果たした方々は、まず都内にお住まいの大学の先生。国内のお祭りを研究されている先生とは、二年前のお祭りで初めてお会いしました。昨年はお仕事の都合で叶いませんでしたが、今年はお約束通りお訪ねくださいました。独自視点のお祭り考察と他地域のお祭り異聞、実に面白いです。二泊三日のご滞在で、ゆっくりじっくりお祭りと角館をご覧いただけたと思います。

さらには栃木県にお住まいのひまわりさん、強行スケジュールで日帰り訪問です。そこまでして角館のお祭りを観たいというひまわりさんこそ、自他共に認める「角館ファン」じゃないですかね。
『時間は少ないけど、佐竹上覧を観ただけでも良かったっ!』。私たち観光に携わる人々は、こうした方々に支えられているんだなとつくづく思いますよ。

ほかにもお祭りには必ずお越しくださる、県内各所の方々との再会を果たしました。それぞれの都合で滞在日時が異なりましたが、宵宮の神明社参拝をご覧いただいた方、中日八日の佐竹上覧をご覧いただいた方、西宮家前での観光用激突2カードをご覧いただいた方、それぞれにお楽しみいただけたことと思います。

わが家の娘たちも与えられた踊りスケジュールをまっとうし、今年のお祭りを終えました。
先回のブログでお伝えしたコンクールの結果なんですが、お囃子の部は岩瀬曳山の「祭喜会」が、手踊りの部は東部曳山の「渡部幸子社中」が最優秀賞を獲得しました。
わが家の娘たちが所属する岩瀬曳山の加藤ミヨ社中は、優秀賞をいただいています。三女初挑戦の佐竹上覧、まずは面目を立てた感じですかね。よく頑張ったと思います。

「曳山を納めるまで」が二年目の長女と次女、中日8日は予定通り朝帰りとなりました。9日朝は一睡もすることなく学校へと向かい、下校途中に美容室で頭を作り、着替えをしてまたヤマへと“出勤”です。これも分かっていることなんですが、若者でなければ務まりませんよ(苦笑)。

そして最終日9日、この日も当然朝帰り…と思いきや、深夜3時に帰宅しました。もちろん翌10日も学校ですから、2~3時間でも眠れたのは幸いでしょう。
でもなぜこれほど早くに戻れたのか。そのワケは、今年のお祭りを「とめたモノ」の存在がふたつあったんです。

これもブログで触れていた天気予報、『お祭り三日間雨の心配しねくてもイイなんて年は、そうそうねぇもんだなっ』かなんか周囲と話していた角館衆。8日未明から明け方までの降雨も意外ながら、実はその後9日夜に天気が豹変します。

午後6時、あたりは日が落ちいよいよお祭りクライマックスへと向かう時分、突如強い雨が落ち始めました。ちょうど西宮家に披露していた西部曳山は、踊りが済むとすぐさま雨具の装着にかかります。そしてこの雨は、ときに止みながら次第に雷雨へと変わっていきました。

これまでのお祭りで、クライマックスの9日夜にこれほどの雨を経験したことがあったでしょうか。ときを経るほど雨足は強まり、天には稲妻が走ります。
お祭りは言わずと知れた「神の降臨を歓ぶ日」、この雷に『神の逆鱗に触れたのは誰よ!?』などと冗談半分に話してました。

雨でお祭りが変わることは基本的にありません。でもこれほどの雷雨が長時間続けば、自然にトーンダウンするのは否めないでしょう。若衆の『オイサー』の声が雨音にかき消され、ギャラリーの顔にも笑顔がなくなっていきます。
「お祭りをとめたモノ」のひとつは、稀なる雷雨でした。

そしてもうひとつは、「国家警察」。昨年のお祭り後のブログでも触れましたが、去年は三人のケガ人を出してしまいました。これはとても残念なことで、当該丁内曳山の責任者はもとより若衆たちにとっても最大の悲劇です。
これが唯一の原因かは定かじゃないんですが、今年のお祭りでの警察官配備は実に物々しい雰囲気でした。

本番激突がはじまると、数人から十数人に編成された警察官が現場に密着します。しばらくはただ見ているだけなのですが、一定の時刻に達すると「中止要請」に入るんです。その時刻はおおむね深夜2時、歓楽街でもなければ静まりかえる時刻です。普段の角館ももちろんそうした時刻ですが、ことお祭りになると最高潮のときなんですね。

実は過去にも一度こんな事態がありました。当時は車輌通行止め規制が深夜0時までとなっていたものの、実際は明け方まで曳山が街中にいるため、0時での通行止め解除は「有名無実」となっていました。そこへ新たに赴任した署長さんが、「厳守」を旗印に曳山の早期解散を求めたわけです。

お祭りの伝統が損なわれる危機を感じた町民との話し合いで、近年はさすがにそこまで厳しくはなくなっていました。それが今年のお祭りでは、過去を思い起こさせる警察行動を目の当たりにしたわけです。
もちろんひとりひとりの警察官は、上部の指示で仕事をまっとうしているだけでしょう。その上部はお祭りの伝統を危うくさせることより、深夜の本番激突で人を危うくさせることに危機感を持っているのでしょうから。

実際今年のお祭りでもケガ人が発生してしまいました。偶然近くで酒を飲んでいた草履職人は、救急車の到着から搬送までを見ていました。さきほど当該丁内の友人に電話してみると、ケガは思ったより軽傷だったそうです。それでも亀裂骨折と言いますから、しばらくは職場に行けないでしょうね。

来年のお祭りはどんなふうになるんでしょうか。お祭りが終わり三日ぶりに家族5人で夕食を摂りました。二日間「納めるまで」を務めた長女と次女がともだちと話した内容は、『今年のお祭り、なーんも面白くなかったな』だったそうです。

自らの意思ではなく、権力によって止めさせられたと感じたんでしょう。僅かな睡眠時間を得るより、お祭りの達成感と満足感を得たいとするふたりの気持ちは実によく分かります。
角館に生きるひとりのオヤジとして、次代を担う若者のこの言葉が気になりますよ。

コメント (2)
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