ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

集団疎開

2018年08月27日 | 思い出話





大東亜戦争中、都会の子供で、田舎に親戚などない子供のために、通って
いた小学校から集団で子供を預かった疎開のことです。

親子3代神戸生まれで、田舎に親戚がなかったので、私は集団疎開でした。

小学3年から6年までの子供でしたから、私は3年でしたので、一番年下
でした。

その頃の6年生といえば、随分お姉さんに思いました。

各学年を均等に分けて、7人ぐらいの班が8班だったと思います。

心のうちでは「帰りたい」と思っていたでしょうけれど、寂しいこともあ
りましたが、順応性のある私はどうにか皆と仲良く生活していました。

1年15ヶ月ほど行っていたのですが、勉強らしいことはほとんどしませ
んでした。

ノートがありませんから、「半紙に漢字を書く」のが勉強でした。

それ以外の時間何をしていたのか記憶にないのです。


時々、慰問がありました。お話を聞いたり、寸劇を見たりしました。

そのお礼に、私たちがしたのが「朗読」「ダンス」でした。

「朗読」は6年生のカマタさんという方で、私の憧れの人でした。
朗読をしながら、カマダさんはポロポロと涙を流されるのです。
つられてわたしも泣いていました。

「ダンス」は私です。「拝啓御無沙汰しましたが、僕は益々元気です」と
歌いながら、一人で踊るのです。

「父よ貴方は強かった」は私の指導で8人で踊りました。凄い頑張ってい
たな~と、今でも懐かしく思い出します。





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