ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

A級戦犯 東条さん

2006年08月07日 | 読みました
              アッツ桜
           5月の中頃咲きます
        あら不思議!雌しべ雄しべが何処?

主人が「これ面白いで、良く解るで~」息子の部屋から持ってきた。パラパラとめくると字の沢山書かれた漫画である。文章だけでは硬くなりがちの事を漫画で読むと簡単に理解できるというので、息子達の時代から歴史も漫画で書かれているのを読んでいた事を思い出した。「唱歌の学校」でも譜面を読めるようにと月一度の授業のテキストは「ドラエモン」が教えてくれる本だった。

   いわゆるA級戦犯   小林よしのり  幻冬舎

幻冬舎のものは割合よく読んでいる。小林よしのりさんは田原総一郎さん司会の「朝までテレビ」でお見かけした事がある。なにやら気骨のある人のように見えたが、こうゆう作家とは知らなかった。

「東条英機 一切弁解せず、天皇のため」戦後も天皇は必要である、その為に全ての責任を一手に引き受け、天皇に累が及ばないようにしたと言うのだ。私もなんとなく「何故天皇に戦争責任がないのか?」と言う疑問は持っていた。全てを飲み込んで自身に付いては一切弁解もせず国民の憎しみを一手に引き受けた、東条さん。

東条さんが陸相時代に出来たのが、悪名高き「戦陣訓」である。しかし東条さんの発案でも執筆でもない。軍規風紀の粛正を望む軍上層部の要望で、内外の意見も取り入れ、今村均中将の主宰で作成したものだ。私は「死して虜囚の辱めをうけず」だけを知っている。戦後29年目にフィリピンルバング島から帰国した小野田寛郎陸軍少尉の帰国後の言葉として始めて知ったと思う。1年早く28年目にグアム島から帰国した横井庄一さんは「・・・・恥ずかしながら生きて帰って参りました」と言われた。

中国は東条さんを極悪人と非難するが、東条さんは満州事変、支那事変の開戦決定には関わっていない。昭和15年(55歳)に陸相になるまで政治に関わった事がない。

マッカーサーの一声から始まった東京裁判は2年半に亘る裁判を「トウジョウ・ヒデキ、デス・バイ・ハンギング」の判決で11月12日幕をとじた。

昭和23年12月23日 今上天皇の誕生日の日に東条さん(64歳)の命は絞首台の露と消えた。絞首台が5台しかなかったがため2組に分かれて行われた。

辞世
    我ゆくも またこの土地に かえり来ん
              国に報ゆる ことの足らねば

    さらばなり 苔の下にて われ待たん
              大和島根に 花薫るとき

奥様への歌

    さらばなり有為の奥山けふ越えて
           弥陀のみもとに行くぞうれしき

    明日よりはだれにはばかるところなく
           弥陀のみもとでのびのびと寝む

家族には
    「弁解をせず、沈黙を是とせよ」

「東京裁判」のビデオを取ってある。日本人である限り見ておくべきかなと思ったが、やはり何となく気が重くまだ見ていない。是非近い内に見たいと思っている。

戦犯A級B級C級は罪の重さをランク付けしたものではない。現にA級戦犯は7人が死刑になったが、BC級でも1061人が死刑になっている。
『A級』とは戦争を遂行した国家指導者など
『B級』とは戦場で命令する立場に居た指揮官など
『C級』とは実行した兵隊など・・・と連合国が便宜的に分類したにすぎない。
しかもB級C級区別ははっきりせず、ほとんど『BC級』と一括されて呼ばれていた。

少しずつ解ってきたようだ。本は1/3も読んでいない。読み終えた頃には自分なりの思いが出来ているだろう。私は今年1月に靖国神社に参拝したが、今問題の場所を確かめたいという気持ちであった。こうして歴史を紐解いて後なら、また違うであろう。

  ★明日8月8日~8月10日までお休みいたします。













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6 コメント

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Unknown (ちっち)
2006-08-11 17:03:36
ぽてちさん

たった一人残っても滅びるしかありませんね。残ったのは男?女?きっと女ね?
返信する
Unknown (ちっち)
2006-08-11 17:00:52
いっささん

戦勝国による裁判である事、連合国がやはり日本を良く思っていなかったこと。インドのパール判事だけが「全員無罪」と書いたそうですが・・・
返信する
アメリカのTVドラマで (ぽてち)
2006-08-10 12:25:53
魔女に「戦争が無くなって平和な世界になるように」と願った結果・・・地球上から人間がたった一人を残して全て消えてしまいました。

残念なことですけれど、私もいっささんと

同じく思います。

ちっちさん、今頃、た~っぷり夏休み楽しめて

おられるでしょうね~。
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Unknown (いっさ)
2006-08-09 19:45:01
戦争の責任を個人が取らなければならないなんてと思うところありました。勉強が足りませんで今日のお話で東条さんの辞世の歌に感じ入るところあります。今もって戦争の償いが出来ていないと責められるのはどうしてでしょう。なんのために裁判を受けなんのために死刑になってしまったのでしょう。戦争に勝てばなんの罪にもならず、負ければ60年たっても責められるのでしょうか。けんかで言えば両成敗ですよね。やっぱり人間なんて何年かかってもすべての人が平和にくらせる世の中をつくれないと思っています。

ちっちさんの休み明け楽しみに待っています。
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Unknown (ちっち)
2006-08-08 22:48:43
お元気で何よりです。時々お読みくださっているご様子、有難うございます。私と軍隊の関わりと言えば、親戚の者が舞鶴の海軍にいましたので面会に行きました。その時沢山の海軍さんを見たわけで、当時の子供の私には凛凛しく見えました。子供ながら千人針もしました。
返信する
廻り来る終戦記念日 (諏訪市)
2006-08-08 09:31:20
こんにちは、ご無沙汰しています。ブログの豊かな内容に心から敬服しながら時々楽しませていただいています。東条英機の辞世、奥様への歌を読み戦争を采配したとは言え、私利私欲のためでは無く、“お国のため”一人の人間として立場上当時の状況からやぬをえぬ行為と思えば胸が痛みます。主人の父も小学校1年生の主人を頭に顔を見ぬ胎児まで4人の子を残しフィリピンで戦死しました。悲しみは消えることはありません。私は他の人の思いはどうあろうとも国の首長が英霊に参拝することを祀られている遺族の一人として嬉しく思います。
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