ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

バカのつく正直

2014年01月20日 | 今日この頃

        原種の「ガーベラ」  少女時代ペンネームに使うほど好きだった花


26日にシンフォニーホールで行われる、コンサートの合同練習があって、夙川
の公民館に行きました。

練習の前だったか、校長先生が、今まで、合同練習に全部来ている人は立って」
と言われました。大勢の人が立った。「4回の人」是も大勢だった。「3回の人」
少ない。「2回の人」パラパラだった。

「今日始めての人」私は立ち上がった。前を見るが誰もいない「えっ! ウソ!」
と後ろを見たが、そこにも立っている人は居なかった「えっ! 私一人!」思わず
呟いた。いや絶句した。

校長先生もまさか一人とは思われなかったのでしょう。何か皮肉の一つも言おう
としておられたのかもしれない。しかし、立ったのが私一人だったため、言葉が
出なくなられたのか、突然「OO(私)さんはブログを書いています、唱歌の学校
のことも書いています。写真が綺麗です…」等々、私のブログの説明を始めら
れた。

「皆さんにどうすれば見れるのか教えてあげて」といわれた。私は再び立ち上が
って「『ちいさな幸せ』というブログです」「そのように引けばいいですか?」と先生
「いえ『ちいさな幸せ』と言うブログは沢山あるようです。プロフィルに肖像画が
載っているのが、私のブログです」と言いました。

私は合同練習は大勢の人と歌いますから好きなほうなのです、しかし今回は、
一寸アチコチ故障が出ていましたので、練習に行き続けると、コンサート当日に、
体調不良で出られなくなりそうな予感です。そこで私は考えました、「オケ合わ
せと、練習は1回に、最終の練習日にしようと」

そして、今日出席したわけですから、「自信があって、来ないのですね」とか何と
か、ちくりと刺されても、事実なんだから仕方がないと覚悟して立ち上がったので
すが、まさか一人とは驚きでした。

帰る道で、クラスの人が「立たんでも良かったん違う、一人ってことないと思うよ、
ほかの人は立たなかっただけだと思うよ」って言われて、「そ~か、其の手もあっ
たか」と思ったのですが、「やっぱりウソがつけない、バカ正直な私」なんです。「ウソ
も方便」と言う言葉は私には通用しないのです。200人近い人がいるのです、一
人ぐらい「愚直な私のような人間」がいてもいいのではないでしょうか…。

体調を重視して欠席したのには、もう一つの理由があります。「唱歌」だったことが
休む事を安心した理由でもあります。

今回歌う唱歌は、2.3を除いて、よく知っていると言う安心感もあるからです。

戦時中、田舎に親戚を持たない我家では、小学3年生から6年生までの集団疎
開に、小学3年生の私を行かせました。今では通勤圏になっている加古川です。

親元を離れているのですから、昼間はいいのですが、夜は親が恋しくて、シクシ
ク泣く子が出て来ました。そこで、先生は寝る前に、毎晩、アコーディオンを弾き
ながら、口移しで唱歌を教えてくださいました。その時習った唱歌を今回歌うわ
けですから、粗方暗譜できています。

私の予想通り、歌は大方覚えていました。クラスの練習は真面目に出ていまし
たしね。

今日は「バカ正直が恥をかいたのか」「1人立ったお陰で、ブログの宣伝をして
いただいて得したのか」どっちだと思います?



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