ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

2015年06月05日 | 思い出話

 「タチアオイ」  何処から来たのか 1本大きくなった そして 色鮮やかに咲いている  (15―6―3)





今日は一日中雨が降っていましたね。 私の心にも雨が降っていました。

遠い遠い昔のことです。

母が、「肝臓がん」で入院していました。朝方、其の病院の発電所に雷が落ち
ました。母のベッドの枕もとの窓の外に発電所はありましたから、母はショック
死でした。

私が、17歳の時です。私は一人っ子でしたから、天涯孤独になったわけです。
しかし、私の目には涙がありませんでした。

親戚のおばあちゃんと二人になったとき、「泣いてもいい?」とたづねました。
何故そんな事をたずねたのか、未だにわかりません。「勿論よ、泣きたいだけ
お泣き」と答えました。その時のおばあちゃんの顔は今でも私の脳裏に焼きつ
いています。

声を上げては泣きませんでした。何も考えないで、ただただ涙を流し続けまし
た。今でも其の時の事を思い出しますと「人間は本当に悲しいと涙もでないん
だ」ということです。

私は一人ぼっちになりましたが、回りの人々が、私に「住処」を「食事」を与え
てくださって、人の好意に包まれて、自然に生きることができました。

「涙」の話に戻ります。昨日、私は聞かされた話に大きなショックを受けました。
淡々と話す横顔を見つめながら、私は涙を流しませんでした。

本当は、今の私はちょっとした、悲しみ、心打つ言葉一つでも、いえいえ喜び
にも、涙ぐんでしまうのです。だのに、大泣きしていいはずの話に平然として
いたのです。

今朝になって、「やっぱり、本当に悲しい時は涙が出ないんだわ」と、「2度目
の経験だった」と思い、本人の苦しんだ心を思い、其の親の驚きを考えると、
自然に涙が流れていました。その時、私はどうしていたのだろうと、何も知ら
ずに過ごした日々を振り返りました。

明日は晴れるようです。悲しいことは忘却の箱に仕舞い、残り少ない人生です
笑顔で生きていきたいと思います。



コメント (1)
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