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ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

拉致家族

2007年10月12日 | ネットニュースから
              ば ら
          (大井戸公園 07-5-9)

北朝鮮拉致被害者の蓮池さんたちが帰国して、早5年の歳月が経ったそうです。一番幼かった地村家の次男坊も大学一年生です。子供たちの生活を見ると「早いもんだな~」と思ってしまう。

それにしても「めぐみちゃん」は如何しているのだろか?つい先日43歳の誕生日を迎えたとか。40歳迄には・・・と言っていたのに、まだ家族の元に戻っていない。

曽根さん達も、北朝鮮に残っている人たちが帰国しないと、自分達の拉致問題も解決したとは言えないと言っている。

北朝鮮拉致被害者の会副代表の蓮池透さんが「薫さんたちが『全てを話していない』と世間に言われるのが辛いといっている」と語ったそうだ。

政府や警察、家族には語っている。「全てを話すといっても限定された地域で生活していたので、全てを知っているわけではない」と言う。

話を聞いている兄透さんが言うには「北朝鮮の反日感情は根深い。日本はその原因を知る必要があり、敵対心で応じるだけでは問題は拗れる。被害家族の活動の原点は体制の崩壊を目指すのではなく『失われた家族を取り戻したい』のだ」と言う。

根深い反日感情の原因とは? 今の日本の交渉態度が「敵対心」と感じるのはどんな部分を指しているのだろう? 拉致家族会は「体制の崩壊をめざしている」と感じておられるのか? どの様な点を指すのか?

これらの発言は遅遅として進まない政府の対応に対する苛立ちから出た言葉だろうが、文書として目にしただけで、声や表情と共に知ったのではないだけに、ストレートに不満だけが響いて来て、余りいい感じは受けなかった。

先日、NHKのドキュメンタリーで在日朝鮮人の北朝鮮帰国船の放映をしていた。何万の在日朝鮮人が、故国は「楽園」「故国建設に役立ちたい」と帰って行った事は知っていた。

岸総理、藤山外相の時、先方はキム・イルソン時代である。

キム・イルソンが何故在日朝鮮人の帰国を望んだか、「北朝鮮は大勢の人民を受け入れる事の出来る国、韓国より力のある大きい国だという事を世界中に知らせたかった」そうだ。しかし真意は、仲間だったソ連大使には「この事業は、政治的な利益、経済利益がある」と語ったそうだ。

実際には「楽園」ではなく、資本主義国から帰った人の思想が現地人に悪い影響を与える事を恐れ、帰国者は「疑わしい人」のグループに属し、見張り役がつけられたりと自由な生活ではなく、食べるものにも事欠く生活が待っていた。

朝鮮大学の副長は北朝鮮の言葉を鵜呑みにし、心から信じて、在校生に帰国を勧めたという。5年経って北朝鮮に行き、過っての自分の勧めた者が、希望の大学にも行けず、希望の就職先もない生活を目の当たりにして、「北朝鮮の社会主義に衝撃を受け、落胆、悲哀」を感じ、教え子に「すまない」と言う気持ちが今も自分を責めていると語る。

受けてたった日本も対外的には「帰国させる事は民族的義務」であるといっていた。しかし実際は在日朝鮮人の犯罪率の高さ、政治運動の強さを国内から排除できるという意味もあった。その上に在日朝鮮人の生活は貧しく、生活保護を受ける率が高く、当時、25億円の出費があった。この経済的負担の軽減にも繋がると、この話に乗ったようだ。

色んな意味で私は日本に生まれた良かったと思っている。何だか住み難い日本になっているようには思うが、これは今、働き盛りの人にお願いして、安心して住める国に戻して貰いたい。


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うさんぽ

2007年08月12日 | ネットニュースから
           ピセアプンゲン
       (西宮・大谷美術館 07-5-4)
      シルバーグレイの葉が涼しげですね
          コニファーの仲間

市場からの帰り道、フッと空を見上げますと真っ青な空に真っ白い雲、「きれい!」と思わず見とれてしまいました。お盆休みに入って工場が操業を停止しているからでしょうか?本当に久し振りに見たきれいな空でした。

兵庫県の夏は早々と終わりました。報徳が一回戦敗退です。ヒットは沢山打ったのに、それを点数に結びつける事が出来ませんでした。完敗です。三年生はこれで部活もお終いですね。激しい練習からもおさらばです。次のステップにスムーズに移行できればいいのですが。一途に白球を追っての生活、思い出も一杯、素晴らしい青春の一ページですね。

「うさんぽ」って何だと思われます。私も何のことか解らずに「う・さ・ん・ぽ」って、一語づつ区切って読みましたが解りませんでした。早い話が兎を散歩させる事だそうです。ウサギの散歩を、今流に略して「うさんぽ」

ウサギって散歩が必要なの?狭い小屋でも運動不足にならずにいる動物だと思っていたのですが。勿論人間様の考えたことですよ。

鳴きもせず、狭い場所でも良いウサギは、マンション住まいの単身者(独身者とは言わなくなった?)でも飼いやすいペットとして人気上昇中ですって。ネットや専門店(ウサギの専門店がある?初耳)では「う散歩情報交換」が盛んで、「うさんぽ会」と言われる「オフ会」まで在るんですって。

そういえば「東京タワー オカンとボクとときどきオトン」のオカンとボクのマンションでもウサギを飼っていましたよ。その影響も一寸はあるかな?と思ったんですけれど。

どうやって散歩に・・・。抱っこしていくのかしら?と思っていましたら、散歩用のリード(手綱)を浸けられる洋服型のハーネス(胴輪)も流行っているんですって。ハーネスと言えば盲導犬が有名ですが、盲導犬はハーネスをつければお仕事とわかっているそうですね。

10月にはウサギの運動会を開催するんだそうです。「うさんぽ」はウサギに外の運動が必要なわけではなく、飼い主のコミュニケーションの場だそうです。外出を怖がるウサギもいるそうですので自分のウサギが散歩に向いているかどうか、良く見極めてくださいだって。

ウサギは「ウサギと亀」では自惚れやさんで自己過信の代表といて書かれています。亀さんは勤勉で弛まぬ努力をする。結果は素質は在っても相手を見くびって怠けていると、負けるはずの無い相手にも負ける。と言う負け組みとして「ウサギ」は知られている。

お月様にはウサギが住んでいる。御餅を搗いている。月に人類が一歩を記すまで、私達はその様に教えられてきた。子供のころは信じて、空に浮かぶ月を眺めたものだった。ウサギは身近な動物だったが、その割りに話題性のない動物でもあった。この「うさんぽ」は大阪で流行っているそうだが、果たして全国に流行が波及するのだろうか。

狭い場所で飼えるので小学校ではウサギを飼っているところが多かった。生き物の世話を子供たちに経験させる為だろう。今は如何なんだろう。

子供に世話をさせると言えば、夏休みの「朝顔の観察」があった。あちこちの家の前に「朝顔の鉢」があったものだが、この頃は見かけない。東京には朝顔市があるらしいので、今でも関西より「朝顔の鉢」を見ることは多いのだろうか。

我家の朝顔は、益々元気につるを延ばし、何にでも巻きつき我が世の夏を謳歌している。

 
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「銀行に一言」川柳

2006年09月28日 | ネットニュースから
         9月30日~10月10日まで
          のじぎく兵庫国体があります
       真ん中に居るのはマスコットキャラクター
            「はばたん」で~す
     震災から見事立ち直った「不死鳥」を現しています

大垣共立銀行(岐阜県大垣市の地方銀行)110周年記念企画として「ご意見川柳コンテスト」を募集した。集まった句は全国から15170句応募(3割が岐阜、あと7割は全国から、海外からもあったそうだ)があり、31句が入選。そのうちから私好みを・・・

大賞11句より
       
     虎の子を預けて10年まだ子トラ

私の一番気に入った句。トラは何年ぐらいで大人になるのか知らないが、まさか10年は掛かるまい。だのに預けたお金は低金利の為、10年経っても預けた時と変わらない。今から20年ほど前は投資信託に10年預ければ倍になった時期もあった。その時分の年金生活はさぞ豊かに暮らせたろう。又老人が多い、年金資金が足りない等言われる事も無かったであろう。生まれるのが遅すぎた。いえいえ、早いとあの悲しい戦時中を大人で生きなければならなかった。やっぱり今で良いわ。

     老いて尚老後の為と貯金する

退職の日、今日が最高の持ち金ときめ、夫々使い道を決め、予算を組んだ。予定では年に数回は海外旅行、2ヶ月に一度は国内旅行と楽しみにしていたが、見る見る利息が低下し見事に予算は誤算となった。私が免許を取った時から土日や休暇を利用してドライブ旅行に北海道から九州まで突っ走った。何でも出来る時にしておくべきであるとつくづく思っている。今は病気になった時の事を考えると貯金して置かなければと思って楽しみを見送ってしまう。

     変わらない銀行名にある安堵

銀行の合併でその名が変わっていくが、大垣共立銀行は名前も変わらず、預金者はある安堵感をもっている。

佳作20句より
     
     旧姓が思い出せないマイバンク

私のメインバンクも名の変更があったが、旧姓が含まれた名ゆえはっきり分かっているが、サブバンクのほうは地方銀行だった為、やっと新しい名を覚えた頃には又合併で、さすがに最初加入した名前は覚えているが、途中の名は忘れている。

     遺言にとてもかけない預金高

「残す事は考えなくていいよ。楽しみに使えば良い」と息子は言うけれど、病気の費用はのけておかなければならない。大金を使う病気をしなかったとしても、その残金は遺言を残すほどの金額ではない。身につまされる句だ。

     やり直し小声で言ってよATM

人が後ろに並んでいるのに、一寸した操作ミスを機械は言葉は優しく大声で言う。
あせって又同じミスをする。あ~年は取りたくないと言う気持ち、同感同感。

選者のコメント:関心がもっとも高かったのは、長く続いている低金利時代にまつわる句が2600句(約17%)引きおろしや送金手数料、利子より高い1200句(約8%)・・・普及したATMに関するもの600句・・・銀行の合併に関するもの200句・・・監視カメラについて100句・・・「標語」の様なキャッチフレーズや銀行を一方的に見下ろし批判する作品は川柳として品性に欠ける・・・入賞作は一味違った表現を持っていて文芸性や風刺性を楽しむ事が出来るだろう。

銀行も預金者を増やす為に色々考えているようだが、そんなの簡単な事ですよ。一番良い方法は利息を上げる事ですよ。これっきゃない!




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秋篠宮眞子さま

2006年08月04日 | ネットニュースから
        花後思いがけなく種が面白いものがある
            ランタナもそうである

ネットニュースを見ていると秋篠宮眞子さまの全身写真が出てきた。すらっとお背も高そうで、美人の条件の一つ腕も長い。前髪をすっきりと上げて額を出して、すっかり大人びてこられた眞子様に驚いた。もう少しお子様だと思っていたのに、中学3年生、来年には高校生になられる。本当に女らしくおなりだ。

秋篠宮眞子さま、夏休みでオーストリア旅行へ出発
秋篠宮眞子さまが、ホームステイのため、出発された。学習院女子中等科3年生の眞子様は夏休み初めてお一人で海外旅行を体験されます。オーストラリアは紀子様が1977年から1979年に父・川嶋辰彦氏とウイーンに滞在した際に知り合った人の家にホームステイする。秋篠宮さまや出産を控えた紀子さまは成田には行かれず、3日朝、東京・元赤坂の秋篠宮邸で、眞子様をお見送りされました。

眞子さまウイーンにご到着
秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さま(14歳)=学習院女子中等科3年=は3日、ホームステイのため、成田発の民間機でオーストリアに向けてご出発。ドイツ・フランクフルトを経由し、日本時間の4日未明、ウイーンに到着された。

眞子さまはチェックのワンピース姿でバッグを持ち、周囲に会釈をしながら航空機乗り込まれた。紀子さまが父、川嶋辰彦氏の仕事の関係でウイーンに滞在されていた頃から知るオーストリア人夫妻宅に滞在し、美術館や歴史的建築物を見て回るなどして過ごされる。16日に帰国される。

美人になられた。お妹の佳子さまがお生まれになった時から余りに整ったお顔立ちゆえ、眞子さまは余りお目立ちにならなかったが今日のお写真から拝見すると美しく、たおやかに成長された。

お小さい時から思っていたが天皇家のお顔立ちではない。かといって特に紀子様似とも思えない。さてはて・・・今日のお写真を見つめる内に「正田家のお顔」だと気付いた。元々お父上の秋篠宮さまが美智子さま似だ。これは美智子さま似の美人になられるに違いないと美智子さま贔屓の私は喜んでいる。今の皇族の中でも美智子さまはダントツの美人でいらっしゃると思っているので、これから眞子さまが若かりし頃の美智子さまにそっくりに成長されるのを楽しみにしている。

眞子さまのお印の「モッコウバラ」は江戸時代に中国から入って来た。花は2~3㎝と小ぶりで白と黄色の八重咲きがある。花は白色のみ良い香がする。バラ科ではあるが棘は無い。丈夫な蔓性で種は出来ず刺し芽で増やす。

「モッコウバラ」は一般には余り知られていなかったが「眞子さまのお印」になってから有名になった。「しかし昔から自然美を愛するバラ愛好者に人気が高く『最後には原種を育てるようになる』と言われるバラ愛好者の行き着くところです。モダンローズの様な派手さはありませんが、素朴で繊細な美しさは何処か儚げな所が魅力です」と記されています。

「欲しい、育ててみたい」気持ちになっています。ネット販売で調べたところ「在庫なし」です。同じ育てるなら香の良いほうがいいですから「白」を探しましょう。花期が4~5月、さし目の適期が6月ごろだそうですから、秋ごろ売り出されるかな?と思います。

誰かの家にあったような気もするのですが、誰だったか思い出さない。情けないね。






































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