
「もちの木」 JR河内盤船駅前 (11-2-4) 樹液からトリモチが取れる
昔の男の子は竹の先にトリモチをつけて、小鳥や昆虫を取っていました
この木は雄雌が異株です そのせいか駅前には2本の木が植わっていました

6日早朝の5時、神戸に水汲みに出かけました。お水は2週間ほど前に切れてい
たのですが、あまりの寒さに行くのを躊躇っておりました。
何故なのか、道中往復ともが車が少なく、す~いすいでした。又水汲み場もこれま
た空いていて、3つある蛇口の2つを使うことが出来てラッキーでした。
帰り道、すばらしい朝日に出会いました。くっきりとオレンジ色の、大きな朝日です。
大きさ何時もの3倍はある大きな大きな朝日です。夏場ならまぶしくて直視できない
大きな太陽が輪郭もくっきり昇ってきたのです。カメラがあればな~と残念でした。
今年は何か良い事があるのでしょうか?心が喜びに震える朝の空でした。
田原総一郎氏の「朝までテレビ」のビデオを見ました。「国歌国旗の最高裁の判決
について」の議論で田原氏は「私は儀式においては、礼儀上起立はする、しかし口
パクで国歌は歌はない」と言うのです。歌いたくないというのです。戦争と結び付
けているようです。
こうもいいました。「戦争に負けたときに、国歌も国旗も変えると思っていた。それを
60年もそのままにしているから」と変えなかったから今の論争が起きているという
ニュアンスです。
私は唖然としました。「この人の頭の中どうなってんの?」と思いました。国歌・国旗
は戦いの度に変えるものなのでしょうか? 戦いに勝とうが負けようが国旗は日の
丸、国歌は君が代でしょう? 戦争の結果で国歌・国旗は変えるものだという発想
は何処から来ているのでしょう?
日の丸・君が代は日本国の国旗・国歌であり、日本に生まれたものが自然に受け
入れるべきものだと思うのです。
何故歌いたくないものを起立してまで歌わねばなら無いのか? と言うのですが、
私達は学校で君が代を歌う時は起立して歌うべきものと教えられましたし、戦争に
負けたからと言って日の丸を見て戦争を思い出すこともありません。それが大勢の
人の感情では無いですか。
教師と言うのは「国旗・国歌」を児童に教えなければならないと言う法に定められ
た義務があるのだから、それが嫌なら教師にならなければいいのです。
この意見にも反論はありましたが、会社でも社則に従う事を義務ずけられて、勤め
ているのですから、教師だって義務を果たしたくないなら、止めるより道は無いと
思います。
尖閣諸島問題にしてもホリエモンは「欲しければやればいいではないですか、何か
問題がありますか?」とか「共同開発すればいいでは無いですか」と言うニュアン
スでした。彼にもがっかりしました。中国と言う国の認識がまったくなっていない。
「軍備の縮小」についても、「何故拡張するのか?戦争をしたいのか?」と言う言
い方でした。「現代の軍備は戦争をするのではなく、しないためのもの」と言う認
識がありません。その軍縮の内から「子ども手当て」が支払われていること知って
いるのだろうか?
消費税値上げにはやはり「子ども手当て」も含まれるようですね。民主党の選挙運
動の為の「子ども手当て」に充当するなら、消費税値上げには反対したい。
「朝までテレビ」を見ているとかっかかっかして血圧が上がりますが、もう見るのよ
そうかとも思いますが、やっぱり世の中には私には考えられな事を思いつく人もい
る、と言う事を知るためには、じ~っと我慢の子で見たほうがいいとも思います。
相手の言う事を聞いてこそ、自分の気持ちを尚固めていけるとも思います。

