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ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

おしゃぶり

2006年06月04日 | 徹子の部屋から
              ルピナス
        荒川静香さん顔負けのイナバウアー
     12本育ったのに、黄色、ピンクの2本だけが咲く

新聞に小さな記事が載っていた。普通の方なら気に止めない記事かも知れない。
私は自分の小さいころを思い出して興味を持った。実体験だから。

「おしゃぶりを長時間使っていたら、かみ合わせが悪くなった」として、横浜市に住む6才の女児と母親が、おしゃぶりの販売元の会社を相手に、製造物責任法などに基づき約1千万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁におこした。

訴状によると、女児は生後2ヶ月ごろからおしゃぶりを使用。一日平均約15時間、一歳以降も約12~14時間使っていた。使用していないときも、唇がへの字になり、口が開いた状態になった為、4歳になる直前に歯医者を受診。使用中止を指示された。現在も上下の歯の上あわせが反対になっており発音が舌足らずになっている。

こんな事で裁判が起こせるなんて驚いた。これが製造元の責任なの?一日平均約15時間と言えば目覚めている大半の時間です。「おしゃぶり」を何故銜えさせるか?子供を大人しくさせる為なんですよ。これは癖になると中々止められない。取り上げると、ぐずるのでつい与える。取り上げる、泣く、五月蝿いので与える、のいたちごっこなんです。

このお母さんが与えた理由は知りませんが、私の母は忙しいので私に与えていました。「おしゃぶり」はゴムで銜え口の中央には小さな穴が開いて居ました。ゴムの中央辺りに、飲み込むといけないのでセルロイドの様な物で作られた円形のお皿の様なもので二つに区切られている。銜え口が変色(あめ色が濁った白色)したころには穴も大きくなって、くちゃくちゃしてもどうも良い気分で無いので買い替え時なんです。

母は与えたものの、止めようとしない私に手を焼いたようです。「何時までもそんなん銜えていると「ばばぐち」になるよ」とよく言われました。今でも覚えているくらいですから、私も幼稚園に行くころまで銜えていたのっでは無いでしょうか。

私も長男に銜えさせました。乳離れをする時だったと思います。その事を考えますとそのお母さんもご自分が小さいときに経験があるのではないでしょうか? 私も自分に経験がなければ子供に与えなかったと思います。

私が与えたのも、やはり自分が楽だったからだと思います。私は年子で次男を生みましたので、自分が少しでも楽なように、二人も「おむつ」使用にならないように1歳には完全に「おむつ」を離していました。きっと「つわり」で気分の悪い時「おしゃぶり」を与えておくと大人しいので銜えさせたのだろうと思います。しかし母に言われていた「ばばぐち」になるよ、と言う言葉も忘れられなかったので早めに取り上げたのだと思います。「唇がへの字になり・・・」と言うのがまさに「ばばぐち」だと思うのです。

「ばばぐち」まさに今の自分なんですが、唇自体に変化は無いのですが、60代に小鼻から唇にかけて太いシワが刻まれます。70代になれば今度は唇から顎にかけてシワが現れます。それが口がへの字になったと錯覚させるわけです。この頃鏡を見て思います「腹話術のお人形さんの口元に似てるな~」って。

長男に止めさせた、次に「おしゃぶり」に代わる物は「ダックスフントの縫ぐるみ」だったのです。小父さんがお土産に買ってきてくれた縫ぐるみでした。縫ぐるみを抱いて、その長い耳を口のそばで上下させながら、自分の唇は「おしゃぶり」を銜えているしぐさをしていました。寝ても起きても縫ぐるみを抱いているので、汚れも早く何個買い換えたか解りません。

この「ぬいぐるみ」を止めさせた切っ掛けは「幼稚園入園」でした。幼稚園の面接の時もその「ぬいぐるみ」を持って行きましたから、園長先生が「このお母さんは保育園と間違っている」と思われたのも無理ないのです。テストで先生に教えていただきながらした積み木やお絵かきが気に入ったのでしょう、入園をとても楽しみにしている様子が見えました。今を外すと駄目だと思ったので「犬もって幼稚園には行かれないよ。いいの?」暫く考えていた彼は押入れに犬を終いました。でもやはり寂しいのでしょう、押入れの前まで行っては座り込んでいます。たまらなくなると襖を開けて犬と向き合ってじ~いっと見つめていますが、決して手を出しません。そんな日が続いて2歳半の彼が自分自身で「犬」離れしました。

好きな「犬」を諦めなければならなかったのが「トラウマ」になったのでしょうか「コロ」をあまり可愛がりませんでした。「コロ」は次男と仲良しで彼を大好きでした。































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琴欧州関

2006年05月04日 | 徹子の部屋から
              ビオラ
          今年の新色 一番花が多い


私は「徹子の部屋」の大ファン、見られない時は録画しておくほどである。この番組によって色んな分野の人を知った。一竹辻が花の久保田一竹さん 影絵作家の藤城清治さん等、芸能界やスポーツ界の方々のお話も面白いが、私が知らなかったその方面の達人の存在を知ることが一番嬉しい事である。

今日は琴欧州関であった。外人力士は本当に日本語が上手、今日は崩した漢字でサインをし「てつこさんへ」とひらがなで書き、徹子さんを喜ばせた。

ホームシックに掛からなかったか?の問いに「来た時は言葉が全然わからず、人とコミュニケーションが取れなかった時になった」嬉しかった事?「関取になった時(初めて給料がもらえる)父に中古自動車をプレゼントした時。今はジープに乗っている。家族の望むものが買って上げられるのが嬉しい」ブルガリアと日本との貨幣価値の差はどのくらいか知らないけれど、大関になってジープを買って上げられるほどの収入があるということだ。

12月にご両親が日本に来られたそうだ。その時浅草、両国、お台場等を案内したら、お母さんが「お前はもうブルガリアに帰ってこなくても良いよ、お前に会いたくなったら私達が日本に来るから」と言われたそうだ。それほど日本が気に入ってくださったと言う事だろう。

「親を早く楽にさせてあげたくて頑張った」って。今の日本の親子の間では中々聞けない言葉だ。今の親世代は年金によって生活がある程度保障されている。だから子世代は親の生活を見なければと言う気持ちが薄い。

まだ独身の頃主人が言った言葉で忘れられないのは「一度で良いから給料を全部自分で使ってみたい」会社の同僚が自分で使っている人が多かったのかもしれない。

私の舅にあたる人が私に言った「息子は4人いるけれど、送金してくるのはさぶろうだけだ」自分の生活は自力で出来ても、たとえ僅かであろうとも送ってくる息子の心はしっかりと舅に伝わっていた。主人は母を最後まで世話した。その嫁である私は少々辛いものがあったけど、今になれば息子達に年寄りと言う者を、祖母の愛を感じさせて良かったかとも考えている。

パラサイトという言葉が一世風靡した事があった。寄生虫と言う意味で、変じて居候、親に寄生を意味すると言う。社会人となっても親元を離れないで同居しているのは一人前の人間ではない、と言う意味らしい。私は頭を低くしてマスコミがヤイヤイ言っているのが通り過ぎるのを待った。私の怒りなど「ごまめの歯軋り」だと思って口を閉ざして耐えた。親元にいることが半人前で、何はともあれ一人住まいをすれば一人前と言うのか。

息子は月々一定金額を入れている。ボーナス時期には私達にお小遣いもくれる。このお金が家主(他人)に支払えば独立一人前で、親に支払えばパラサイトで半人前と言う事か。主人の年金で生活は出来る。しかし息子のお金でちっちゃな旅も楽しんで私の生活を豊かにしているし、やはり年を取ると同居は心丈夫で有難いと思っている。

世の中何事も一派一絡げには出来ないものである。それぞれの家庭の事情で親子別々に生活しようと、お互い助け合って生活しようと良いではないかと言いたいのである。これからもマスコミの言葉に踊らされる事なく、しっかりと生きていきたいと思っている。

今日は私達の結婚47回目の記念日である。長かったような短かったような・・・
金婚式まで後3年、頑張って二人揃って元気でその日を迎えたいな~




コメント (6)
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