緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

漢字練習

2020-02-10 10:24:15 | 学問
平日の昼間に記事を書くなんて初めてだろうか。
今日は仕事が休みなのである。
営業日であるが休暇を取った。
工場勤務時代は休暇など殆ど取ったことがなかった。
休日出勤も多くかったが、長時間労働対象者としてリストアップされ、本社に呼び出されて、叱責されるのである。
叱責されるだけでなく、嫌味や皮肉も言われる。
私が工場時代の前職場を去った後に、その職場は増員されたが、そもそも管理者が長時間労働を強いられる環境に置いているという認識が、本社の人には全く無いと思ったものである。
数字だけで判断されることが評価の対象となる今の成果主義の弊害だろう。

今の職場はほぼ定時で終わるので、それまでの忙しさからすると気が抜けるが、その反面、気持ちに余裕が出てきて、いろいろなことに目を向けられるようになった。
人生過程や日々の生活も、プラスやマイナスだけということはなく、プラス、マイナス=ゼロで、相殺されるものであることが実感として感じられるようになってきた。
だからちまたに氾濫している、成功法則だの引き寄せの法則などに飛びついても、無駄なのである。
得をしようとするといつかは足元をすくわれるものである。

最近、「漢字筆順ハンドブック」なるものを買った。



このハンドブックで、漢字のおさらいをしようというわけだ。
きっかけは、手書きで漢字を書く機会がめっきり減ったことで、漢字を正しく書けないことが出てきたからだ。
1985年頃にワープロが普及し始め、パソコンで文字を打ち込むのが当たり前になるようになってから、手書きで文章を書く機会が著しく減った。
思えば、1985年頃に家庭用のワープロが発売された時、電子機器音痴の私でもこれに飛びついた。
東芝の「ルポ」という製品を買った。当時の価格で10万円以上だったと思う。
きっかけは、ワープロが出る前までの日本語のタイプライターの印字に関心があったからだ。
印刷屋に頼まなくても、自分で操作して活字を打てるということが凄いな、と思ったのである。
しかし難しい字はときおり手書きされていることがあって、そこだけが違和感を感じた。
しかしワープロは簡単に活字を打てるし、登録されていない難しい漢字も作ることができる。
当時アルバイトとして熟講師をやっていたので、教材はこのワープロで作った。
1987年に就職したときは、勤め先の会社でやっとワープロ、それもワープロだけしかできない大きな筐体のものが導入されたばかりの頃だった。
今でいうパソコンは無かった。
この時代はまだ手書きが主流だった。
手書きが主流だったから、目にする文書を見て、人による筆跡の個性が多様で面白いと言えば面白く感じたものである。
人の筆跡とその人の性格の関連性というのは、或る程度はあるものだと思う。
工場時代に管理部門のある方の字が、みみずがくねったようなひどく崩れたものだったが、その方の性格もなんかずるくて意地悪なところがあった。
また同じく工場の製造部門の方に、ちょっとこういう字を書く人は他にいないのではないかと思うほど、力の入った、剛直かつ、先端が特徴的に跳ねるような個性的な字を書く人がいたが、その方の若い時は物凄く怖い人だった。

じゃ自分の書く字はどうなのか、というと、わりに几帳面な字ではないかと思う。
これには親父の影響がある。
小学3年生の頃だったけど、ある時、親父の字を初めて注目して見たことがあって、その字体がとても几帳面だったのだ。
それまでの私は、その頃の同年代の子供たちに比べて字は下手な方だった。
しかし親父の字を見て感心したのであった。
こういう字を書いてみたいな、と思って、それから親父の字をまねるようになったんですね。
親父は根っからの几帳面人間だったけど、私は親父に似ず、生来のずぼら人間だったから、性格はそのままで、字だけが几帳面になった、という感じかな。
その後、小学4年生の時に近所の習字教室に通うようになったが、この時の女性の先生がとても優しくて、出来上がりを持っていくと、いつも笑顔で褒めてくれたのだ。
それまで学校の先生に褒められるどころか、ダメな子供としてしか扱われていなかった私が、この体験で字に関してはすごく自信を持てるようになったんですね(昔の小学校低学年時代の通信簿を実家で見つけて見たことがあったが、先生のコメント欄に、積極性がなくて困るとか、やる気の見られないお子さんですね、とかひどいことが書かれていた。先生から絶賛されていた姉とは全く対照的)。
しかしこの体験がきっかけで、運動なども得意になっていった。

子供を褒める、ということは絶対に大切なことだ。
それも優しく、本心から褒めてあげることだ。
私は子供時代のこの体験から、これがこの年代にとって最も重要なことだと確信している。
大人になって生きづらい人生を送るはめになったとしても、小さいときにわずかでも、こういう体験があったならば、立ち直れる可能性が高い。
子供時代に褒められることなく、いつもお前はダメなやつだと言われ続けていると、間違いなくその子は、生涯、自分が本当にダメな人間で、人の迷惑になっている悪い人間なんだ、と現実と全く異なる想念に苛まれて人生を終えることになってしまうであろう。

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飲み会参加

2020-02-09 22:53:27 | マンドリン合奏
今日、所属している社会人マンドリンクラブの合奏練習があったが、練習後に飲み会(といっても飲みたい人が自然に参加するようなもの)に参加してみた。
前々回の練習後も飲み会に出たが、その時は9人だった。
今日は19人と多かった。
飲み会に出ようと思ったのは、所属しているギターパート以外のメンバーの名前を覚えたいから。
合奏練習だけ出ただけでは他パートの人の顔は覚えても、名前が何というかまでは殆ど分からない。
せっかくいっしょに合奏をやるのだから、一言二言でも話をし、名前を覚えようと思った。
思えば1年半前にこのクラブに入った当初しばらくは、同じパートの中でも殆ど会話すら出来なかったが、今では同じパート内ではかなりのメンバーと話が出来るようにまでなってきた。自分にとっては大きな進歩。
今入っている団体って、歴史のある大きな団体だが、いい団体だと思う。
入って正解だったと思う。
今日は、私と同世代か少し上の年代の人たちと、学生時代に演奏した、鈴木静一、藤掛廣幸、熊谷賢一、歸山栄治などの曲について話をした。
歸山栄治のおすすめ曲を教えてくれたので、これから聴くところだ。

今日はビール、500ml入りのジョッキで7、8杯は飲んだだろうか。
ビールだったらこのくらいでは全く酔わない。
こういう面では助かっている。

今日の飲み会で、3、4人くらいの名前を覚えただろうか。
きさくで構えなくてもいい人が多いのか、私のようなつきあい下手でも、騒々しい居酒屋の中でも、今日は気軽に楽しむことができた。
ありがたい。
これからもこういう機会に出て、少しづつでもメンバーと交流できればいいな。
1週間後には大規模演奏会の練習も始まるので、そちらのメンバーと交流できるのも楽しみだな。
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安い、便利な食品は危ない

2020-02-08 21:07:08 | グルメ
このところ、食品の安全性について関心を持っている。
理由は、アレルギーと思われるのだが、体のあっちこっちがかゆいのだ。
このかゆみで夜中に目が覚めてしまい、それでなくても短い睡眠時間がさらに短くなってしまい、しまいには仕事中に何度も睡魔に襲われるようになってしまった。
木曜日の夜は2時間くらいしか眠れなかった。
これはまずい。なんとかしなければ。
そんな中、いろいろと原因を調べていくうちに、このかゆみの原因が食品にあることがわかってきた。
まずは、パンの原料である小麦が原因らしいことが分かった。
小麦に含まれるグルテンという物質が悪者のようなのだ。
また菓子パンに含まれている大量の植物油脂、ショートニングなどのトランス脂肪酸というヤツだ。
このトランス脂肪酸は、欧米先進国では既に健康に危険を及ぼすものとして使用禁止または制限がなされているが、日本はまだ規制されていない。
今まで休日の朝は長年菓子パンだった。
この事実を知ってから米粉パンに替えた。
米粉パンも味と食感はまんざら悪くもない。ねばりがあって結構おいしい。
次に考えられる原因としては、コンビニなどで売られている弁当、総菜、パック入りの加工食品であった。
これらの商品には大量の食品添加物が混入されている。
パッケージの原材料表示を見れば、どんなものが混入されているかが分かるが、実は表示されていない食品添加物が他にも大量に使用されていることが分かってきた。
その裏の事実を教えてくれたのが、安部司著「食品の裏側(東洋経済新報社)という本だった。
著者の安倍氏は大学卒業後、添加物商社に勤め、その業界では第一人者言われるほどのエキスパートまで登りつめたが、ある日、家族との食卓で、幼い子供たちがおいしそうにミートボールを食べているのを見て突然、それを制止し、その日は一睡もできないほどこれまでの自分の考え方に疑問を持ち、その翌日にはついに会社を辞めてしまったという。
何故、ミートボールを食べることを止めさせようとしたのか。
驚くべきことに、そのミートボールは安倍氏が開発し商品化したものだった。
そのミートボールは、本来、産業廃棄物として捨てられる運命にあったくず肉に、大量の化学調味料と食品添加物を投入して、いかにもおいしそうに作られたものであった。
食品添加物の恐ろしさを知り尽くしていたからこそ、このような決断をしたのだと思うが、食品メーカーが儲けのために、危険で安価な輸入食材に大量の添加物をじゃぶじゃぶ投入して、見栄えをよくしたり、保存期間を長くしている現実をこの本で知ってしまうと、恐ろしくて加工食品などは買えなくなってしまう。
安倍氏は、添加物を大量に使用している加工食品として、次の5つをあげている。
・明太子
・漬物
・練り物(かまぼこなど)
・ハム
・ソーセージ

このような加工品を作っている会社の社長が自ら、うちの商品は買ってはいけないよ、などと言っていることもあったという。
注意しなければいけないのは特売で販売されている加工食品だ。
安さの裏には表に出せない裏事情があると思っていい。
90年代の半ば頃に、やけに安いうなぎのかば焼きがスーパーで売られていて、たくさん買って食べたことがあったが、そのウナギは中国産だった。
おそらく薬漬けにされたウナギであったであろう。
加工食品だけでなく、袋詰めされたカット野菜やコンビニで売られているパック詰めされた野菜サラダなどに使われている野菜は、大量の薬品が入ったプールに漬け込まれたものだという。
その現場で働いている人は、その商品は絶対に買わないという。
こういうカット野菜が不自然なほど傷まないのは裏にこういう現実が隠されていたということだ。
こういう食品を便利で長持ちすると言って、頻繁に何年も食べ続けていたら、いつかは健康被害が表れてきても不思議ではない。

このような添加物まみれの食品が氾濫するようになったのは、企業側からすると低コストにより儲けを多くするためであるが、消費者側からすると、共働きの増加により、短時間で料理を作らなければならないと言った状況から生まれたニーズ、すなわち便利さを求めた結果なのだと思う。
共働きがいけないとか、悪いとか言うつもりはないが、便利さも度を超すと必ず歪をもたらすという現実があるということだ。
安倍氏は、「子供に食の大切さを教えるためには、親が料理をつくる姿を見せることが大切だ」と言っている。
もともと生命のあった食材を、その命を犠牲にして、手間暇かけて作った料理であることが、肌で感じることが出来れば、おのずと料理に対する感謝や食べ物を粗末にしないという心が育っていく、ということを強調されている。
普段、何気なく言っている「いただきます」、とか「ごちそうさまでした」という言葉には、考えてみると深い意味があるということだ。
ちなみに私は、この2つの言葉を口に出して言ったことがほとんど無いが(何で?)。

安倍氏は安全な食材で自ら料理をするという。
私もかゆみを何とかしようと思って健康被害を及ぼす食害に関心を持つ過程で、休日は料理を自分で作るようになった。
これでも30代前半の数年間は、毎日自分で料理していたこともあったけど。

話は変わるが、食品添加物が悪い食材を見違えるほど見栄えを良くし、おいしそうに感じさせる魔法のような作用を持っているのと同じように、音楽の演奏の録音に使用される、「音加工」、いわゆる電気処理というやつも食品添加物と同じようなものではないか。
今、Youtubeなどの録音を聴くと、殆どの演奏がこの電気処理が施されている。こういう録音が氾濫している。
もはやその録音でオリジナルの生の音は聴くことは不可能である。
オリジナルの生の音とは全く別の電気音に変換されているからだ。
食品添加物を大量にブレンドして食材に投入するように、どんなひどい粗悪な生の音でも、この電気処理を使えば、一応聴き映えのする音に生まれ変わる。
しかしこんな電気処理された音から感動は決して生まれない。
電気処理するのは、生の音が悪すぎてそのままでは披露できないからという理由と、生の音はいいのだが、録音環境や録音機材が粗末で、本来の音を再現することが出来ないから、という理由が考えられる。
MP3に圧縮し、さらにYoutubeなどにアップロードすると、本来の生の音とあまりにもかけ離れた音になってしまうのは避けられないのが現実だ。
しかし昔の録音技師は、あくまでも生の音の忠実な再現にこだわった。
だからレコード時代の録音には素晴らしいものがたくさんある。
今の録音業界は、いかに電気処理を駆使して、生の音に味付けをして、表面的にでも聴き応えが得られそうな技術がもてはやされているのであろう。
しかしプレーヤーの真の実力を引き出すためには、生の音にこだわる必要があると思う。
そのことが、往時の巨匠ようなプレーヤーの出現につながるのではないか。
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ホセ・ルイス・ゴンサレス編曲「アルフォンシーナと海」を聴く

2020-02-07 23:07:01 | ギター
ふと、この曲が聴きたくなった。
アリエル・ラミレス作曲の「アルフォンシーナと海」。
20代の頃によく聴いた曲だ。
編曲はギターで、ホセ・ルイス・ゴンサレスによるもの。
原曲はアルゼンチンのフォルクローレだという。
アルフォンシーナとは、46歳で入水自殺した女流詩人だと言われている。
あまりに有名なこの曲はYoutubeでも数多く投稿されていた。

Youtubeでホセ・ルイス・ゴンサレスの演奏が無いか探したが、かろうじて1つだけだがあった。
(ホセ・ルイスの至芸題2集。1981年録音)
しかし音が非常に悪い。
そこで、著作権侵害になるが、手持ちのCDをMP3に変換して、下記にリンクを貼った(ついに犯罪を犯した?)。

ホセ・ルイス・ゴンサレス編 「アルフォンシーナと海」

(MP3への変換なので、オリジナルの音源に比べて音がかなり悪くなっている。聴くべきはオリジナルだ)
それにしてもホセ・ルイス・ゴンサレスの音が凄い。
こんな強い情熱に満ちた音を出せるギタリストは今や皆無となった。

こんどこの曲をものにして、録音して、このブログにあげようかな(いつになるか分からないし、出来は悪いだろうが)。
最近何か、人の演奏ばかり記事にあげるのもどうかな、と思うようになってきた。
やはりギター弾きは自分の演奏を聴いてもらうことも必要ではないかと思う。

それにしても、悲しく、しみじみとした中に、静かではあるが強い情熱を秘めたいい曲だ。
静かな夜に聴くにふさわしい曲。

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ヤマハギター弦を久しぶりに使った。

2020-02-02 19:53:40 | ギター

ギターを始めた頃に使った弦と言えば、当時最も価格が安かったヤマハのギター弦で、深緑色のパッケージに入ったものだった。

今日そのヤマハの懐かしい弦を40年ぶりに使ってみた。

40年前のこのヤマハの弦は、高音も低音も紙袋に裸で入っているのみで、低音弦は買った時に既に錆びていることもあった。

この当時はそういうのが普通だった。

当時は買えなかったけどアランフェスとか、高校の3年間使い続けたラベラとか、大学生の時に発売され買ったプロアルテなどは紙袋に入っているだけだった。

オーガスチンは頼りないひ弱なビニール袋に入れられていたが、密封ではなかった。

ここ20年くらいの間に、弦のパッケージは大幅に改善された。

最近買わなくなったので現在のパッケージはどうなのか確認していないが、10年くらい前のアランフェスは理想的なパッケージだった。

完全密封。

アランフェスのクラシック・シルバー(紫色のパッケージ)の低音弦はすごく音が良かった。

だけど需要が少ないせいか、価格がオーガスティンやプロアルテよりもかなり高めだった。

2000年頃はプロアルテが一番安かった。

1セット420円だったこともある。

銅の相場が上昇する前の頃だ。

その後北京オリンピックによる資材高騰のあおりを受け、弦も価格が上昇した。

プロアルテはその後安値で買えなくなった。

プロアルテに変わって低価格でヤフオクなどで出品されるようになったのが、オーガスチンの赤、青、黒だ。

多分リーガルが発売されるようになって、価格を引き下げないと売れなくなったのであろう。

値段は忘れたが、ヤフオクで10セットなどのまとめ買いで、かなりの安値で買うことができた。

本当のところはアランフェスのクラシック・シルバーを使いたいのだが、低音弦はすぐに劣化するので、やはり劣化した弦を使い続けるよりも、頻繁に交換した方が楽器にも自分の耳にもいいと思ったのである。

このまとめ買いは随分と利用した。

低音弦は3日に1回という頻度で交換していた頃もある。

しかしマンドリン合奏を始めるようになってから、弦は劣化しても使い続けるようになった。

 

先日、久しぶりにオーガスチンの安値のまとめ売りを買おうと思ってヤフオクをのぞいてみたら、そういう安値のものが全然なかった。

何で?

銅の相場も北京オリンピックの頃の1kg1000円を超す価格からすると今は随分と下がっているはずなのに、安値のものが無い。

プロアルテも探したが高い。

あとはメーカー名を明らかにしていない安売りのものがあったが、昔これを買って失敗したことがある。

中国製なのであるが、練習にも使えないレベルのものだった。

もっと粗悪だったのが、松岡良治弦。

安いからと言って、まとめ買いしたことがあるが、低音弦は太く硬く、ギターに取り付けることもはばかれるほどの粗悪品だった。これも中国製だった。

安くて、そこそこの品質のものがあればいいのだが、そういうのは今は手に入れることが出来なくなったようだ。

そこで思いついたのは、国内製で最安値、ロングセラーのヤマハギター弦だった。

先日アマゾンで、1セット611円(プライムなので送料込み。定価は999円)で買ってみた。

昨日さっそくこの弦を張ってみた。

パッケージは40年前と比べ大幅に改善、6弦、全てにおいて密封のビニール袋に入れられていた。

心配された低音弦は全く劣化していない。

全ての弦を張って、弾いてみたら、低音弦がこもっている。

伸びが足りない。輝かしさが無い。

40年前に使ったときはこんな感じはしなかったけど。

高音弦は全く問題ない。

狂いも少なく、音量もそこそこ、雑音も入らない。クリアーで伸びもある。

昨日弾いた時点では今回だけで終わりだな、と思った。

しかし1日経過した今日弾いてみたら、低音のこもりはかなり改善されていた。

オーガスチンなどに比べると伸びや輝かしさははるかに及ばないが、この程度のこもり具合であれば、練習する分には問題ないと感じた。

この弦のいいところは張力が弱いことである。

低音の音質、音量は落ちるが、その代わり、張力が低下したことで弾きやすくなる。

セーハのきつく、左指の力を酷使する例えば、バリオスの前奏曲ハ短調のような曲は、オーガスチンの赤を張ったときよりもかなり楽に弾けた。

楽器の張力がきついせいで、ミスタッチが多い方は、この弦に変えるとミスが減るかもしれない。

このヤマハの弦を張った楽器で、録音してみた。

録音機が悪いので、生の音とかけ離れていて参考にならないが、普段オーガスチンを張った時よりも楽に弾けた。

(ちゃんと準備して演奏を披露する目的で録音したわけではないので、演奏の出来がよくないのは仕方がない)

 

ヤマハ弦の試し弾き

 

 

40年前のときは、使っていると低音弦の金属のが剥がれてきて、中のナイロンの芯線が剥き出しになった。

こうなると、音がかろうじて鳴る程度の音量しかなくなるが、それでも使い続けると、しまいには切れてしまった。

当時は弦などしょっちゅう交換するほどのお金が無かったので、この切れたナイロンの芯線を縛って、再使用したものである。

こんな状態でも、ギターを毎日弾けるだけで楽しかった。

今回買ったヤマハ弦の低音は、この金属が剥がれるという不具合が改善されているか?

しばらく使ってみてその品質の改善具合を確かめたい。

 

 

 

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