緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

金属の魅力-鉄(5)サビチェンジャー塗布その後

2020-02-21 22:05:49 | 金属
半年くらい前に、錆びが出ていた南部鉄器の鉄瓶に、サビチェンジャーを塗布し、赤錆を黒錆に変換することで、錆の拡大を防ぐ処理を施した。
つまり赤錆という悪いものを一瞬にして黒錆という善いものに変えてしまったのである。

サビチェンジャー塗布で別人のように生まれ変わった鉄瓶(2019年6月30日撮影)。
黒錆という黒色防錆皮膜が形成されたことで、表面は光沢を放ち、鉄瓶らしからぬ輝きが見られる。



それから約半年。
サビチェンジャーにより変換された黒錆はどうなったか。経過観察してみることにした。
まず全体の外観はこちらの写真。



拡大しないと分からないだろうが、光沢は消え失せ、輝きはくすんで見える。
表面をじっくりと観察する。
なんと底面と側面の黒錆が剥げ落ち、錆びが増殖している。





とくに底面はガスコンロの置台に接触する部分であり、度重なる接触により黒錆が剥離し、鉄の生地が剥き出しとなったっことで、そこに酸素が触れ錆が発生したと考えられる。

蓋はどうか。
蓋の表面の何らかの原因で黒錆が剥離した箇所に錆びが発生していた。



つまりサビチェンジャーにより形成された黒錆が剥がれ落ち、その部分に空気が触れてしまうと再び赤錆に侵されてしまうのである。
だからサビチェンジャーを塗布したあとに塗装をすればいいのであるが、さすがに鉄瓶にペンキを塗るわけにはいかない。

しかし鉄は何故こうも、生地が剥き出しになるとあっという間に赤錆が付いてしまうのか。
この赤錆の進行は非常に強力かつ迅速であり、POR-15やサビチェンジャーでもなければ誰にもその進行を食い止めることは出来ない。
何でこの赤錆の進行が強力なのかずっと疑問だったが、その疑問を解くきっかけとなったのが、昨年の8月、それは親父が死んで実家に戻った時であったが、たまたま見た、NHKテレビのチコちゃんの何とかという番組であった。

この番組によると、鉄の原料は鉄鋼石であるが、この鉄鉱石というヤツは酸化鉄で、いわゆるもともとは錆びた鉄なのであるが、鉄を生成する過程で酸素を分離し、残った鉄だけが鉄鋼材などになるのだという。
「剥き出しとなった鉄材が何故急速に錆びてしまうのか」
その答えは、鉄鉱石として鉄と酸素がいっしょに結び付いていたのを、製鉄の過程で両者が無理やり引き裂かれてしまったが、鉄に酸素を触れさせると、元のいっしょの状態に戻ろうとして酸素と結びつき、本来の赤錆のついた状態になるのだということらしい。
つまり、「鉄はサビだがっている」ということ。

それまで私は、赤錆は悪者で、鉄の表面に侵入し、ウィルスやカビのように腐食させてしまうものだと思っていた。
だからPOR-15で赤錆を完全に封じ込めたり、サビチェンジャーで別物に生まれ変わらせようとしていた。
しかし、鉄の立場からすると、これは間違いだったのだ。やってはいけないことだったのだ。
鉄を害から助けてあげようと思ってしたことが、鉄にとっては甚だ迷惑だったに違いない。
鉄が本来望んでいるのは、無理やり引き裂かれた酸素と再びいっしょになって、自分の本来の姿に戻ることだったのだ。
だから生地が剥き出しとなった鉄が空気に触れると、あんなに錆びが進行するのが速かったのも無理もないことだったのである。

よく錆だらけの朽ち果てた手摺や鉄箱を駅などで見かけるが、これは鉄にとっては痛々しいどころか自ら望んだことであり、本来の自分に戻れたことで恐らく水を得た魚のように意気揚々とすがすがしい気持ちになっていることであろう。

【追記】

鉄瓶の内側が写真のように茶色となっているが、初めはこれが赤錆だと思っていた。



しかし後で調べて分かったのであるが、あるホームページによると次のように解説されていた。
「そして、鉄瓶を使い始めておよそ2週間目頃になると、鉄瓶の内側に褐色の斑点や白い沈殿物が付着し始めます。
これは錆ではなく、湯の中に混じっている様々な物質(カルシウムなどのミネラル等)が沈着したもので、「湯あか」と呼ばれます。
「あか (垢)」というと聞こえが悪いですが、鉄瓶におけるこの「湯あか」は、絶対に取り除いてはいけません。
なぜなら、この「湯あか」こそが、湯をまろやかで美味しいものにしてくれるからです。
「鉄瓶は使い込むほどに良い」とされるのは、このためです。」

しかしこの茶色の状態は本当に「湯あか」なんだろうか。
自分には赤錆にしか見えないが。

【追記202002221012】

若干追記。
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大規模演奏会初回練習参加

2020-02-16 23:09:06 | マンドリン合奏
今日、東京新宿で5月に開催される大規模演奏会の初回合同練習に参加してきた。
4曲演奏するのであるが、うち2曲は学生時代に演奏した曲。
しかし30年以上のブランクがある。
2年前の演奏会のきっかけで、入団したマンドリンクラブのメンバーが多数参加していることもあって、前回のような全く知る人がいない中での参加と違って気持ちは随分と楽だった。
前回の時はとても心細かった。
さぞ青白い、深刻な表情で練習に臨んでいたに違いない。

今日は、初回練習ということもあり、まだまだ弾けていない箇所が多数あったが、とにかく大勢での演奏は楽しかった。
練習後に懇親会があったが、今回は2次会まで参加してしまった。
1次会で、母校のOB2名と話す機会が持てたことは嬉しい。
うち1名の方(先輩)は、一昨年の50周年記念演奏会の飲み会で会話した方だったから、私のことを覚えていてくれていた。
OB2名とも、母校のOBが設立したという千葉を拠点としているマンドリンクラブに所属している方で、話しているうちにもう入部する段取りに誘導されてしまった。
たしかにマンドリン音楽が大好きなので、現在所属している社会人マンドリンクラブとの掛け持ちも魅力的ではあるが、練習時間が合うかどうか。
また土曜日が練習日なので、昨年秋から始めたスポーツ活動を休会するか、止めるかする判断を迫られることになるので、考えないといけない。

マンドリン合奏愛好家の多くが、複数の団体との掛け持ちをしている。
それだけマンドリン合奏は魅力的だということなんだと思う。

合奏するのも楽しいが、多くの人との新たな出会いが持てるところがいいな。
自分のような話下手でも音楽を手段にしてのコミュニケーションは十分に可能だ。

4曲の中では、幕末に活躍した女性をテーマにした曲が、ギターパートの自分にとっては一番弾き応えを感じた。
途中でギターのものすごく美しいフレーズがあるんですね。
ここを弾くと本当に気分が良くなる。

一番人気の曲を30数年振りで弾いたが、この曲は弾いていてやっぱり2年前に弾いた火山をテーマにした曲に比べれば物足りなさを感じた。
日本人の根源的感情を刺激する度合いがや情景的変化が少ないと感じるのは私の主観や感覚でのことではあるのだが、この感じ方には自信がある。

飲み会も楽しかったが、こういうイベントを陰で支えている方々には感謝したい。
自分はあくまで参加させてもらっている立場なので。

次の練習も楽しみだな。
もっといろんな人と話したいな。
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新型特急「ラビュー」のデザイン・レビュー

2020-02-15 21:41:07 | 鉄道
今日の新聞に、西武鉄道の新型特急Laview(ラビュー)が、世界的に権威のあるデザイン賞である「iFデザイン賞2020」を受賞したという記事が載っていた。
この「ラビュー」を写真で初めて見たのが、2019年10月の新聞記事だった。
1980年代以降の鉄道のデザインにはどれも失望させられていたが、この「ラビュー」のデザインは違うと思った。
そこでこの記事を切り抜いてスクラップしておいたのである。



その後ももしかしたら1回は新聞で写真を見たかもしれないが、1週間前の新聞にまたこの「ラビュー」の記事が掲載されていた。



池袋・西武秩父間の特急が全てラビューなるとの情報だった。

そして今日の朝刊の記事である。

このラビューのデザインのどこに惹かれたのか。
まず、車体形状のバランス感覚が優れていると感じたこと。
JRの茨城方面に行く、思わず笑ってしまうような特急列車ような形状ではなく、均整のとれた無駄のない形状と、大きさである。
そしてシンプルであることだ。
窓の長方形の形状、フロントの連結部カバーの形状がそれを示している。
シンプル・イズ・ベストという言葉を聞いたことがあるが、まさにそれを体現したデザインだと思う。

最も特徴的なのは、フロントの流線形、窓の斬新な形状だ。
これも斬新なようでシンプルさを感じる。
何となく生物を模したような感じもしないではない。

昔、1960年代のバスに、背面が4分の1円の左右対称の2つ窓で、上部が女性のなで肩のような美しさを感じるバスがあったが、私がこれまで見たバスの中で最も美しいデザインだと思っている。
このバスもその流線形の角度や丸みや形状のバランスが完璧だと思われるほどのデザインだった。

下の写真は、高校時代に札幌駅で撮った、当時の国鉄の特急車両「北斗」であるが、気動車でありながら特急列車のデザインとしては最高のものだと思う。
1970年代がこの車両の特急列車の全盛期だった。



この車両のデザインもシンプルながらバランス感覚に優れている。

カメラのデザインも、初代のニコンFやキャノンF-1のデザインが、一番均整の取れた美しい形状をしていたが、その後モデルチェンジした機種は出るたびに変なデザインになっていった。
多分、いろんな機能を付けすぎるからだと思う。
コンビニみたいになんでもありの、いろんな機能を付ければいいというものではないと思う。
最近の車がそれをやって、中年太りのような車体になってしまった。

ラビューを間近でみたことは未だ無いが、2週間くらい前に西武新宿駅に止まっているのを、JR線の電車の窓越しに見た。
カラーがどんなだったかははっきり見えなかったが、いつかは間近で確かめてみたい。

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勤め先送別会参加

2020-02-14 22:53:01 | その他
今日は、勤め先の送別会だった。
異動したのは私より3つほど下の方であったが、一目置いていた方だった。
私と同じように普段は口数が少ないけど、仕事は出来る方だ。
職人タイプの人だ。
今日の飲み会でその方と話したが、口数の少ない分、一言一言、言うことの重みが感じられた。

飲み会って、普段仕事場で感じているものとは違う、その人の本来の姿が見えてくるものですね。

何が出来るとか、どんな特技があるとか、ということで人を見ていると、それ相応の関係だけで終わるのかもしれない。
私は長い間、人間嫌い、凍てついた心で生きてきたが、ここ何年かの間で、凝り固まった心が融解してきているのを感じる。
好きな音楽の影響があるのも事実だけど。

私が魅力を感じるのは、自分に正直な人ですね。
表に出ているものは関係ないです。
あとは誠意があるかどうか。
異動した方もそういう側面があるのを感じたからであろう。

自分が日々感じているのは、70年代の自分への回帰。
あの時代の、自分に正直に生きていた頃、エネルギッシュで、希望に溢れていた自分。

また堅い文章を書いてしまった。
多分、明日の朝になってこれを読んだら、またこんな文章を書いてしまったか、と後悔するんだろうな。

今日、飲み会の帰りに立ち寄った東京駅地下のパン屋で、菓子パンを買った。



飲み会の帰りにこういう菓子パンを買うことが結構ある。
しかし、このパンに含まれているグルテンが、またかゆみを悪化させる違いない。
しかし、たまに食べるのは、いいか。









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五音音階陰旋法のルーツは?

2020-02-11 19:51:52 | ギター
5月にやる大規模演奏会の曲目の中に、幕末の動乱を収めるために「公武合体」の象徴として第14代将軍・徳川家茂に嫁がされた、「皇女和宮」をテーマとした曲があるのだが、この曲の冒頭と、幕府が和宮の降嫁を求める部分、すなわちギターパートのユニゾンの旋律からしばらくして現れるフルートの旋律がものすごく美しいのだ。
まさに日本独自の旋律であり、恐らくは篠笛の音を模したものであろうが、日本古来から伝わる「五音音階陰旋法」によるものだ。
「五音音階陰旋法」は、作曲家の小船幸次郎氏によれば、西洋や日本以外の東洋の国には見られない日本独自の旋法だと言う。
確かに、このような、暗く、寂しく、かつ簡素でありながら美しい音楽は日本以外の音楽で聴いたことは無い。

この「五音音階陰旋法」という呼び方はおそらく近代になって付けられたと思うのだが、古来の日本では特段、そのような音階で作られているという認識は無かったのではないかと思う。
西洋の音楽が輸入される前までの日本の音楽、それも庶民に広まっていた音楽は、五音音階陰旋法と五音音階陽旋法によるものしかなかったと考えられるからだ。

では、「五音音階陰旋法」は日本でいつ頃から作られるようになり、広まったのであろうか。
日本の古来の音楽の中には、雅楽、能楽、浄瑠璃などがあるが、「五音音階陰旋法」による音楽は、そのような芸術性の高い音楽ではなく、わらべ歌、民謡、子守歌など、庶民の間に作られ広まったものだと思われる。
くわしく調べてみないと分からないが、恐らく鎖国政策を強いていた、しかも身分制度の厳しかった江戸時代にその起源があるのではないかと推測している。

陰旋法の旋律は何故こうも、暗く、寂しく、哀しいのか。
そして同時にこれらの感情に決して溺れない、独特の素朴な美しさがある。
静寂の中でしか感じられない旋律だ。
この独特の旋律は、感情をすぐにストレートに表に出すような国民性を持つ国からは決して生まれ得ないだろう。
厳しい身分制度のもとに、質素で貧しい暮らしを強いられた庶民の抑圧された感情から生まれたものであることは間違いないと思う。
昔の日本人は、気持ちをストレートに出すのではなく、「歌」にして詠んだと言われている。
どんな時でも常に「美」を意識していたのではないだろうか。
わらべ歌、民謡、子守歌なども、そのような日本人独自の感性から生み出されたものであろう。

このような独特の美しさを持つ日本古来の音楽を、西洋の楽器で表現することは、根本的には無謀と言えるのかもしれない。
ギターでも五音音階陰旋法によるオリジナルの曲などは極めて少ないし、多くは子守唄や民謡などの編曲ものだ。
ギターでこのような編曲ものを聴くと、まずリズムが西洋の音楽のものなってしまっていることに気付く。

しかしギターやマンドリンオーケストラでこのような音楽を演奏したり、聴くことは決して悪いとは思わないし、曲によっては、それ自体独自の優れた音楽領域を作り上げたと言えるものもある。

今回「五音音階陰旋法」によるギターの曲を録音してみた。
まずは、小船幸次郎氏が教材で作曲した曲。
爪がすり減っているせいか、音が若干かすれてしまっている。

小船幸次郎作曲 五音音階陰旋法練習曲

次は、有名な、横尾幸弘作曲「さくらによる主題と変奏曲」から第3変奏曲。

「さくらによる主題と変奏曲」から第3変奏曲

ポジションが跳躍する箇所があり、意外に難しかった。
本当はもっとちゃんと練習してから録音すべきだけど、いいか。
この第3変奏曲だけ、さくらの旋律を用いていない。
わらべ歌の「とうりゃんせ」の一部分がモチーフになっているのではないか。
この「さくらによる主題と変奏曲」を録音に取り上げたのは、ジョン・ウィリアムスであったが、1980年代に2回目の録音をしたときには、この第3変奏を外してしまった。
この第3変奏こそ、この変奏曲の中で最も日本の情感が染みわたるように伝わってくる曲なのに。



これから自分の演奏の録音も記事にあげていこうと思う。
ギター弾きなのに、他人の演奏の感想だけだとなんかそれでいいのか、という気持ちがするからだ。

あとはいつになるかわからないけど、篠笛を始めてみたい。
「皇女和宮」の冒頭に出てくる、あの美しい旋律を篠笛で吹ければいいな。
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