緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

野呂武男のギター音楽

2012-10-13 22:16:27 | ギター
こんにちは。
まだ暖かい日が続いています。明日はスペインギター音楽コンクール、12月には東京国際ギターコンクールが開催され、楽しみにしています。
さてこの東京国際ギターコンクールでは本選課題曲に日本人の作曲家によるギター曲が選ばれるのですが、私がこれまで本選で聴いた課題曲で最も印象に残っているのは、野呂武男作曲の「コンポジションⅠ」です。



「永遠回帰」という副題が付けられたこの「コンポジションⅠ(Op7-1)」は、筋金入りの現代音楽です。調性音楽は一切表れません。
1960年に作曲され、三木理雄により初演されたこの曲は、コンポジションⅡ(離と合)と共に、1964年パリ放送局国際コンクール作曲部門で第2位を受賞したほどの曲です。
現代音楽が作曲されることが少なくなって30年ほど経ちますが、このコンポジションⅠは今聴いてもなお新鮮な感動を覚えるし、ものすごく深いものを感じます。曲の価値が陳腐化するどころか、聴けば聴くほどますます惹かれていきます。
現代音楽というとたいていの人は聴いた瞬間「ゲッ、何この音楽!?」という感じを持つでしょう。そして聴くに耐えられなくなり途中でやめてしまうのです。
私も昔はそうでした。初めて聴いたギターの現代音楽はイエペスの弾くブローウェル作曲「タラントス」でした。確か高校生の頃だったと思います。
たまたまこの曲を聴いた父がたまらず「早く切ってくれ」と叫んでいたのが思い出されます。
しかしこの「コンポジションⅠ」は現代音楽の持つ独特の奇を衒ったような形式的、表面的な表現は無く、作曲者の内面から聴こえてくる音や鼓動を表現したものであると私は感じています。
コンポジションⅠは三部形式を採っていますが、第1曲目はリズムを取るのが非常に難しいです。拍子が目まぐるしく変わりますが、40小節目当たりから最後にかけては弾いていて気持ちが高まってくるのが分かります。



このような表現が野呂武男の独特の個性なのだと感じます。現代音楽でもブローウェルやオアナなどはどこか調性音楽の要素を、例えばリズムなどで感じることがありますが、彼の音楽にはそのような要素は全く感じられません。
日本人の作曲家でも例えば原嘉寿子のギター曲ように不協和音を多用していても調性音楽に近いものを感じますし、武満徹の初期のギター曲「フォリオス」もそのように感じます。
第二曲目は6弦をRe♯に下げるめずらしい変調弦を採っていますが、静かな流れの中にものすごく荒涼とした何とも言えない内面の闇のようなものを感じます。



聴いていて心地よい、あるいは悲しみや寂しさに共振するという次元とは全く別の領域の内面の表現を徹底してあえて音楽で表現したことに驚嘆せざるを得ません。
このような表現を音楽で成しえる作曲家は現代にはもう殆どいないと思います。

第3曲目は同じく6弦Re♯の変調弦であるが、第1曲目と同様テンポやリズムが目まぐるしく変わると共にハーモニックスが頻繁に現れます。このハーモニックスの響きが暗い闇の中から響きわたるよう聴こえてきます。



第1曲目にも増して難解な表現が続きますが、不気味な6連付のフォルテッシモを経て、終末に至ります。そして最後の静かに響き渡るハーモニックスはこの曲の最も印象に残る部分です。



野呂武男はギター独奏曲としてコンポジションをⅣまで作曲しましたが、この曲が遺作となりました。42歳の若さで亡くなりました(1967年死去)。
音楽を独学で学んだと言われる天才的な作曲家だと思います。
下山一二三や三善晃などの作曲家も野呂武男のことを絶賛していました。
以下は私のブログで2012年6月3日に投稿した記事の抜粋ですが、再度掲載しておきます。
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【追記 2012/6/16】
雑誌「現代ギター」の古いバックナンバーを読んでいたら、作曲家の三善晃氏のインタビュー記事が載っていたが、その中で三善氏は野呂武男氏のギター曲を絶賛していました。
以下抜粋。
『芳志戸さんがいつかお弾きになった野呂武男さんの作品、あれは本当にすばらしいですね。楽譜を見るにつけても感心しました。あの方は亡くなられたんですね。(1978年1月号)』
ギタリストの故・芳志戸幹雄氏は1974年~1985年の長きにわたって、野呂武男氏の「コンポジション」をコンサートで演奏したことが記録で残っています。
野呂武男氏は42歳の若さで亡くなっています。自殺でした。
先の現代ギター誌に載っていた野呂氏の写真を見ましたが、とても温厚な顔でした。
少し後で1978年8月号の現代ギター誌に、野呂氏と同郷の作曲家である下山一二三氏のインタビューが掲載されていましたが、ここでも野呂氏の話題が出ていました。
下山氏によると野呂氏は弘前で焼き鳥屋をやっていたり、タンゴ・バンドを作って、自分でアレンジして、キャバレーで演奏していたことがあったりと、定まった職業というものを持たない人だったようです。しかしコンポジションⅠ・Ⅱの楽譜の略歴には私立東奥義塾高校の音楽の先生をしていたことが記されています。
下山氏も野呂氏のことを絶賛しています。以下抜粋。
『しかし、(野呂氏は)才能のある人でしたね。野呂さんとの出会いでギター曲を書くようになった。野呂のギター曲は、今でもちょっとしのぐ作品がないんじゃないですか。ギターというものをじつによく知って生かしていてね。』
下山氏は尊敬する先輩である野呂氏へのオマージュとして、ギターのための「N氏へのオマージュ、北緯41度」という曲を作曲しています。
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野呂武男はギター2重奏曲で「Meet」という曲を作曲しています。



この曲についてパリ国際ギターコンクールの審査員を務めた高橋功氏は現代ギター誌での記事で次のように述べています。

「人見・三木で思い出されるは同じく両人のために野呂武男が1964年に作曲した作品13番の「ミート」(出会い)である。これは未出版だが、原曲のプリントを入手し、そのみごとな前衛音楽に私は驚嘆している。」

この「Meet」やギターとバイオリンのための「IMPRONPTU」を聴いてみたいのだが、録音が皆無なんですね。



現在のギタリストが野呂武男のギター曲に注目して録音してくれるとありがたいですね。

【追記(20130505)】
その後の調査でわかったことを下記に記しておきます。

・1964年のパリ放送局国際コンクールで第2位を受賞した曲は、ギターのためのコンポジションⅠ「永遠回帰」のみであること。
・遺作のOp.14、コンポジション KNOB (1966年)はギターの為の曲ではなく、バイオリンとピアノの為の曲であること。この曲の野呂氏自身の自筆譜は失われ、彼の師である阿保健の写譜のみが残されていること。

ギターのためのコンポジションⅡ「離と合」はコンポジションⅠ「永遠回帰」にも増して難解、複雑でありながら荒涼とした暗く深い闇の音楽です。この曲はクラシックギター曲の傑作であると確信しています。
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