緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

ヨハンナ・マルツィ演奏 メンデルスゾーン作曲「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」を聴く

2017-09-23 22:31:52 | バイオリン
ヨハンナ・マルツィ(Johanna Martzy 1924-1979、ハンガリー)の演奏に初めて出会ったのは、今年の正月前後だったと思う。
丁度、バッハのヴァイオリンソナタとパルティータの聴き比べをしていた時だ。
もとよりヴァイオリンはあまり好きな楽器ではなく、殆ど今まで聴くことはなかったが、彼女の音を聴いてかなり惹き込まれた。
そしてヴァイオリン演奏を聴く機会も徐々に増えてきた。

マルツィの演奏の何に惹き込まれるのか。何が心をとらえるのか。
彼女の音、そして演奏がとても清冽で、生気みなぎっているからだ。
これほど精神的エネルギーに満ち溢れたヴァイオリンの音、演奏に今まで出会ったことが無い。

バッハの組曲以外にこの感覚を直に味合うことが出来たのが、メンデルスゾーン作曲「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」の演奏だ。
マルツィのメンデルスゾーンの協奏曲の録音は3つあり、1954年のサヴァリッシュ指揮と翌年1955年のクレツキ指揮(共にEMI盤)のもの、そして1959年のクライ指揮のものであるが、私は1954年と1955年の演奏を聴いた。
優れているのは1955年のクレツキ指揮の方だ。

メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」を初めて聴いたのは確か中学2年生の音楽の授業だったと思う。
その授業で音楽の先生がかけてくれたレコードを聴いた時のシーン、そのレコードから流れてきた演奏の断片的な旋律を今でもかなり思い出せる。
このヴァイオリンの名曲の難所を聴いて、当時ギターを始めたばかりでギターに熱狂していた私は、ヴァイオリンという楽器に対し、何か簡単に近づけない、ばくぜんとしてではあるが高貴なものを感じていたと思う。

就職して、しばらくして20代の後半だったと思うが、この曲をふと聴きたくなって、神田の古書祭りの時に、ムター演奏、カラヤン演奏のCDを買ったが、確か1回聴いて終わってしまったと思う。

今、こうしてマルツィの演奏を何度も繰り返し聴いていると、楽器の音って人間の感情そのものなんだな、思ってしまう。
そのくらいマルツィの音は精神的、感情的なものに満ちている。
聴いていると、心の底に眠っていたものが意識に上がってきて、力が出てくる。いろんな感情が湧き起ってくる。
こんな演奏をできるヴァイオリニストが何人いるのだろうか。

メンデルスゾーンの協奏曲は批評できるほど多くの演奏を聴いたわけではないが、この1955年盤の演奏は間違いなく素晴らしく、名盤に相応しいものあると確信している。
是非聴いて欲しいと願う。

これからしばらくメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の聴き比べが続きそうだ。
マルツィは短命であり、不遇の時代があったようだ。そのためあまり知られていないが、素晴らしい演奏家だ。
演奏家にも聴き手との相性があるが、マルツィの演奏解釈、音の表現、音楽に対する基本姿勢は私の求めるものに合致している。








【追記20170927】

ハラルド・エッゲブレヒト著、シュヴァルツァー節子訳「ヴァイオリンの巨匠たち」という本に、ヨハンナ・マルツィのことが書かれていた。
著作権に触れるかもしれないが、下記に抜粋を記す。

「ヨハンナ・マルツィのキャリアも、ファシズムと大戦によって痛手を受けたというえよう。彼女は1924年、当時はハンガリー、現在はルーマニアのティミショアラ生まれで、幼少のときからハンガリーのヴァイオリン教授の大御所イェネー・フバイのもとで学ぶ。いきいきとした気質を持ったこの奇才は、政治と私生活上の運命の巡り合わせで、前代未聞とも言うべきせっかくの才能にもかかわらず、何度もキャリアを足留めされてされてしまう。1979年に彼女がチューリッヒで亡くなった時は、すっかり忘れ去られていた。巨匠フバイの御墨付でキャリアを始めた彼女は、普通ならば世界的に有名になるはずだった。19歳でヴィレム・メンゲルベルク指揮、ブダペスト・フィルハーモニーとともにチャイコフスキーの協奏曲を演奏。そして、大戦。1944年、ナチ・ドイツがハンガリーを占領した際、彼女は最初の夫とスイスへ逃れ、1947年にジュネーブのコンクールで優勝。瞬く間に彼女の名はヨーロッパ中に広まり、1953年に英国で、1957年にはアンドレ・クリュイタンス指揮、ニューヨーク・フィルハーモニーの共演で米国にデビューする。翌年にカーネギー・ホールでメンデルスゾーンの協奏曲を、レナード・バーンスタインの指揮で演奏。しかし、アメリカでの成功も束の間、彼女の運命は、下り坂になる。
その2年前の1955年、エジンバラでチェコ・フィルハーモニーとヨハンナ・マルツィとの共演が予定されていた際に、スキャンダルが起きるのである。
大戦中、彼女がファシズムのホルティー政権を支持していたと指摘されるが、真相はまったくそうではなかった。彼女は断固たる反共産主義の立場をとり、けっして共産圏である東欧では演奏していない。この報道により、彼女のキャリアは非常な痛手を受けたと同時に、ハンガリーに残してきた母親の身の上が非常に心配された。
再婚し娘が生まれた1950年代の終わりに、彼女はコンサート活動を再開、1969年にブダペスト公演の際に肝炎にかかるまで成功を収めた。彼女は肝炎を抑えてまでも、希には舞台に立っていたが、1978年に夫が亡くなり、非常に大きなショックから立ち直ることもなく、翌年、癌で亡くなる。」


一昨日、彼女の弾くメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調の1959年のライブ録音を聴いたが、心理的不安定な感じを受けないでもなかった。
上記のスキャンダルの心理的影響が無意識に演奏に表れたのかもしれないが、それにしても不運な人生を辿った音楽家だ。
旧ソ連の偉大なピアニスト、マリヤ・グリンベルクやマリヤ・ユージナもそうであったように、非常に高い才能を持ちながら、恵まれた音楽人生を送ることの出来なかった演奏家もいた。
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