緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

Nコンの審査に思うこと

2021-11-22 23:01:14 | 合唱
今日の朝刊に、ピアニストの原田英代さんのエッセイが掲載されていたが、音楽を鑑賞するうえで参考になることがあったので一部紹介させていただく。

原田さんは、チャイコフスキーやラフマニノフなどの天才作曲家の作品を理解するためには、それ相応の鋭意努力をする必要があり、そのためにはとにかく人生経験を積まなければなりません、と言う。
しかしチャイコフスキーやラフマニノフが生きた激動の時代と現代はあまりにもかけ離れている。
そこで彼女は、師であるメルジャーノフ氏から「本を読みなさい」と言われたそうだ。
彼女は、メルジャーノフからかつてロシアピアニズムの重鎮であった、リヒテルやヴェデルニコフと共にロシア文学全集を競って読破したと聞かされたという。
理由は、「体験出来なくても本で読むことができる。小説には様々な人間の心理が描かれているから」。

現代のような安定した平和な時代にあって、人間は心が引き裂かれるような体験、これ以上ないのではないかと思えるような至福体験(贅沢を味わうという意味ではない)、美しい自然に触れた時のやすらぎ、人の純粋な優しさを感じたときの感動、というような感情を体験する機会は極めて少ない。
たいていは平凡な毎日の繰り返しの中で、元々誰しもが本来的に持っている感情を埋没させながら、そのことに特段疑問に感じずに生きている。
だから激動の時代が過ぎた後の現代において、芸術や文学は感情に訴えるものに乏しいものになっていくのは避けられないのかもしれない。
このような現代の流れにおいては、上手で綺麗で精巧なものが評価されるような気がする。
何故ならば感情というものを感じ取る能力が枯渇しているからだ。
しかしそこからはそれ以上のものを感ずることは出来ない。

しかし、そのような時代にあっても、文学、それも優れた作者の作品を多数読む事で、その作品から人間の持つ深く、強い感情を疑似体験することが出来る。
現代の演奏家、愛好家にとっては、これは救いの手となるものではないか。
文学を読んで何も感じない人間が、聴き手を深いレベルで感動させることは不可能だと言っても過言ではないだろう。
そしてこのような読書体験を積み重ねていくと、音楽に対する感受性も鋭くなっていく。

今日もう1つ、いいエッセイを読んだ。
古いギター関係雑誌に、あるギタリストの若き日の体験談が紹介されていたが、こんなことが書かれていた。
「人間味の無い音楽や演奏は、それだけ跳ね返りが多く、心の琴線には触れないだろう。」
「演奏するということは決して学問ではなく、呼吸することだ。しかしそこまでの過程においては当然学ぶことが必要であるが、音楽とは有史以前のもの、それらを学び知る事の方が人間味のある演奏が出来る」

言わんとしていることはこういうことではないか。
音楽を学ぶとは、理論や技術以前に、人間として最も大切で重要なものを学ぶことの方が先ではないか、ということだ。
音楽作品とは、その作品を生んだ人の感情、想い(メッセージ)、信念、生き様を元に生れたものであり、そのような人間として根っこにあるものを理解し、感情的共有化を出来きる能力なくして、本当の意味で聴き手を満足させる演奏は出来ない。

演奏にはおおざっぱに言って、2種類のタイプがあると思う。
1つは、作品の本質が理解出来ていないけど、表面上は素晴らしく上手く、美しくコントロールされ、完全な技巧に裏打ちされた演奏。
もう1つは、作品の本質を無意識レベルで共感(頭であれこれ考えていじくり回さない)、自分のものとして同化し、それを純粋に表現したいという無心の気持ちに溢れた演奏。

随分と前置きを長々と書いてしまったが、2021年Nコン高等学校の部の演奏を11月始めから聴き比べをしてきて、思うところが今日読んだ上記2つのエッセイの内容と重なるところがあったので、感じたことを書きたいと思ったのである。
それはNコンの審査方法についてである。
11月初めに開催された全国大会の審査結果を見て、また過去10年以上に渡って聴き比べしてきたNコンの審査結果を見て、どうやらこのコンクールの審査の基準とは、「聴き手の心の深いところまで届き、聴き手の心に強い変化を生じさせ、感動を引き出すことの出来る演奏」という基準で選別しているのではなく、「非の打ち所がないほどの完全なハーモニーとトーンバランス、統一された音質、素晴らしい演奏技巧といった諸要素の達成度合い」という基準で選別しているのではないか、と感じるのである。もちろん全てとは言わないが、そういうようなことを感じることが多い。

コンクールという性格上、これはある程度やむを得ないのかもしれないが、かなり釈然としないのも事実だ。
しかしとは言っても、やはりコンクールという枠組みをとっぱらってしまえば、まさに聴き手の「心の琴線に触れる」ような、もっと注目すべき演奏はある。

今回、コンクールの賞の結果に関係なく、「心の琴線に触れる」度合いの強さ、という観点で2021年度高等学校の部全国大会出場校の課題曲の演奏を聴き比べて、優れた演奏を選んでみた。
課題曲は、作詞:辻村深月、作曲:土田豊貴、「彼方のノック」。
評価は5段階とした。
結果は以下のとおり。

・東京都大妻中野高等学校:★★★★★
・石川県立金沢二水口頭学校:★★★
・神奈川県清泉女学院高等学校:★
・兵庫県立神戸高等学校:★

なお、ここにあげなかった学校は、正直、感じる度合いが少なかったか、殆ど何も感じることは出来なかった(素晴らしく上手な学校はあったけど)。

音楽作品の演奏を理解するためには、冒頭の原田さんが言うように「人生体験を積み重ねて」、様々な感情を体験することが必要であろうが、それが出来なくても、純粋な感受性が育っていれば、作品の演奏を通して、そこから根源的に心に伝わってくるもの(それは形容し難い、普段の日常で味わうことの出来ないものであるが)を無意識レベルで受け止めることは出来ると思う。
そしてその受け止めたものを、それは強い感情エネルギーに相違ないと思うのだが、聴き手の心の深いところに届けることが出来、同時にかつそれを芸術的な極みまで昇華させることの出来る演奏法が最も難しく、このような演奏を実現出来た学校こそが最も評価されてしかるべきではないかと思うのである。
私はこのような演奏をもっと紹介していきたい。

【追記】
今日現在、Nコンホームページで全国大会の音源が公開されていないので、聴き比べた演奏はブロックコンクールのものとなります。
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