今日、東京渋谷の白寿ホールで、第60回東京国際ギターコンクールが開催された。
会場が白寿ホールに変更されてから、審査員が大幅に変わり、人数も4人と少なくなった。
白寿ホールに変更された年は、当日券が無く、前売りもすべて完売だったため、行けなかったため、早めに前売りを購入することにしたが、今日は満席ではなかったようだ。
今年の本選課題曲は、原博(1933~2002)の「ギターのための挽歌(Canto Funebre Per Chitarra)」であった。
この曲は10年くらい前にも本選課題曲として選出されたが、その年が平日開催だったので、聴きに行くことは出来なかった。
「ギターのための挽歌」に初めて出会ったのが今から15年くらい前だったと思う。
当時、邦人作曲家のギター曲を集めていたが、その過程で「ギターのための挽歌」という曲の存在を知った。
ギタルラ社からピースでこの曲が出ていると分かると、直接ギタルラ社に行ってこの楽譜を買いに行った。
丁度その時、ギタルラ社の社長であった青柳さんが店にいて、この曲がものすごくいい曲であること、原博が最近亡くなったことなどを話してくれた。
早速家に帰って弾いてみたら、まさしくものすごくいい曲だった。
この曲はもともと「ギターアンサンブルのための組曲」の第3楽章だったのを、ギター独奏用として作曲されたものである。
ちょっと記憶があいまいだが、この第3楽章をギター独奏用に薦めたはギタルラ社の青柳さんだったという話を現代ギター誌で読んだことがある。
挽歌とは人の死を悼む歌のことであるが、このロ短調の「ギターのための挽歌」の主題はとても悲しみに満ちており、親しかった人の死を嘆き、死者に対する悲しみの気持ちが語りかけるように伝わってくる。
とくに下記の部分の表現がこの曲の最も重要なポイントと考えられる。
原博のギター独奏曲は他に「ギターのためのオフランド」があるのみだ。
この曲もなかなかいい曲なのであるが、演奏される機会は皆無に近い(成蹊大学OBによる録音有)。
ピアノ曲では「ピアノのための24の前奏曲とフーガ」があるが現在録音、楽譜とも入手は困難、弦楽では「ヴァイオリンと弦楽オーケストラのためのシャコンヌ」があるが、この曲はなかなかの曲で、私は何度も聴いた。
あと原博は自著を出しており、「無視された聴衆」という本なのであるが、原博の筋金入りとも言える信念を感じ取ることができる。
さて、今日の本選審査結果は以下のとおり(カッコ内は当方が付けた順位)。
1.Anton Baranov(ロシア) 第4位(第4位)
2.菅沼 聖隆 第5位(第5位)
3.Zhanxiang Shi (中国) 第6位(第3位)
4.Flavio Nati(イタリア) 第3位(第6位)
5.小暮 浩史 第1位(第1位)
6.Gian Marco Ciampa (イタリア) 第2位(第2位)
詳細な感想は後日にするとして、今日の演奏で最も感動したのは第1位の小暮浩史さんの演奏、とりわけスカルラッティのソナタK208と課題曲であった。
この東京国際ギターコンクールを長年聴いていると、テクニックと音量だけがやたら目立ち、それ以外のものが感じられない演奏に辟易していたのだが、久しぶりに、聴き手の心の奥まで届き、動かしてくれるような演奏に出会った。
スカルラッティのソナタK208の洒落た優雅な装飾音は自分で研究したのだと思うが、それ以上に、このバロック期の曲でありながら感情的な高まりを感じさせるところが凄いと思った。
課題曲も6人の奏者の中では最高の演奏であった。
主題の死者に語りかけるような気持ち、中間部の転調してからの過去の楽しかった時代の記憶の再現、カンデンツァを経て、現実の悲しみの世界に引き戻される瞬間の表現(ここもキーポイント)、そして再び嘆き悲しむ心境に浸り、もう2度と死者の姿を見ることはかなわないという激しい悲しみを感じるが、その悲しみは徐々に静かに一層深まりながら曲を終える。
このような感情的要素の強い曲を、聴き手の心を動かすまでに表現できるまでには、人間的成熟が必要だと思う。
今日の演奏を聴いていると、演奏者が自ら主体的に、自らの意思や感受性で曲を表現している方と、演奏者自身の主体性、骨格、精神といったものが感じられず、ただ音だけが動いているような演奏とがあるように感じた。
絵画や彫刻などの芸術と違って、音楽は作者の創造したものを演奏家が表現して初めてその作品の真価が問われるもの。
それ故に演奏家が作者と同レベル以上の理解力、感受性が無いと、音楽作品を鑑賞者に十分に味わってもらうことが出来ない。
国際コンクールで優勝しても、多くの人々に感動を与えてくれる演奏家が現れなくなったのは、芸術の根本的なことが忘れ去られているからではないか。
会場が白寿ホールに変更されてから、審査員が大幅に変わり、人数も4人と少なくなった。
白寿ホールに変更された年は、当日券が無く、前売りもすべて完売だったため、行けなかったため、早めに前売りを購入することにしたが、今日は満席ではなかったようだ。
今年の本選課題曲は、原博(1933~2002)の「ギターのための挽歌(Canto Funebre Per Chitarra)」であった。
この曲は10年くらい前にも本選課題曲として選出されたが、その年が平日開催だったので、聴きに行くことは出来なかった。
「ギターのための挽歌」に初めて出会ったのが今から15年くらい前だったと思う。
当時、邦人作曲家のギター曲を集めていたが、その過程で「ギターのための挽歌」という曲の存在を知った。
ギタルラ社からピースでこの曲が出ていると分かると、直接ギタルラ社に行ってこの楽譜を買いに行った。
丁度その時、ギタルラ社の社長であった青柳さんが店にいて、この曲がものすごくいい曲であること、原博が最近亡くなったことなどを話してくれた。
早速家に帰って弾いてみたら、まさしくものすごくいい曲だった。
この曲はもともと「ギターアンサンブルのための組曲」の第3楽章だったのを、ギター独奏用として作曲されたものである。
ちょっと記憶があいまいだが、この第3楽章をギター独奏用に薦めたはギタルラ社の青柳さんだったという話を現代ギター誌で読んだことがある。
挽歌とは人の死を悼む歌のことであるが、このロ短調の「ギターのための挽歌」の主題はとても悲しみに満ちており、親しかった人の死を嘆き、死者に対する悲しみの気持ちが語りかけるように伝わってくる。
とくに下記の部分の表現がこの曲の最も重要なポイントと考えられる。
原博のギター独奏曲は他に「ギターのためのオフランド」があるのみだ。
この曲もなかなかいい曲なのであるが、演奏される機会は皆無に近い(成蹊大学OBによる録音有)。
ピアノ曲では「ピアノのための24の前奏曲とフーガ」があるが現在録音、楽譜とも入手は困難、弦楽では「ヴァイオリンと弦楽オーケストラのためのシャコンヌ」があるが、この曲はなかなかの曲で、私は何度も聴いた。
あと原博は自著を出しており、「無視された聴衆」という本なのであるが、原博の筋金入りとも言える信念を感じ取ることができる。
さて、今日の本選審査結果は以下のとおり(カッコ内は当方が付けた順位)。
1.Anton Baranov(ロシア) 第4位(第4位)
2.菅沼 聖隆 第5位(第5位)
3.Zhanxiang Shi (中国) 第6位(第3位)
4.Flavio Nati(イタリア) 第3位(第6位)
5.小暮 浩史 第1位(第1位)
6.Gian Marco Ciampa (イタリア) 第2位(第2位)
詳細な感想は後日にするとして、今日の演奏で最も感動したのは第1位の小暮浩史さんの演奏、とりわけスカルラッティのソナタK208と課題曲であった。
この東京国際ギターコンクールを長年聴いていると、テクニックと音量だけがやたら目立ち、それ以外のものが感じられない演奏に辟易していたのだが、久しぶりに、聴き手の心の奥まで届き、動かしてくれるような演奏に出会った。
スカルラッティのソナタK208の洒落た優雅な装飾音は自分で研究したのだと思うが、それ以上に、このバロック期の曲でありながら感情的な高まりを感じさせるところが凄いと思った。
課題曲も6人の奏者の中では最高の演奏であった。
主題の死者に語りかけるような気持ち、中間部の転調してからの過去の楽しかった時代の記憶の再現、カンデンツァを経て、現実の悲しみの世界に引き戻される瞬間の表現(ここもキーポイント)、そして再び嘆き悲しむ心境に浸り、もう2度と死者の姿を見ることはかなわないという激しい悲しみを感じるが、その悲しみは徐々に静かに一層深まりながら曲を終える。
このような感情的要素の強い曲を、聴き手の心を動かすまでに表現できるまでには、人間的成熟が必要だと思う。
今日の演奏を聴いていると、演奏者が自ら主体的に、自らの意思や感受性で曲を表現している方と、演奏者自身の主体性、骨格、精神といったものが感じられず、ただ音だけが動いているような演奏とがあるように感じた。
絵画や彫刻などの芸術と違って、音楽は作者の創造したものを演奏家が表現して初めてその作品の真価が問われるもの。
それ故に演奏家が作者と同レベル以上の理解力、感受性が無いと、音楽作品を鑑賞者に十分に味わってもらうことが出来ない。
国際コンクールで優勝しても、多くの人々に感動を与えてくれる演奏家が現れなくなったのは、芸術の根本的なことが忘れ去られているからではないか。
東京国際ギターコンクールは、私にとって大きなイベントの一つであり、毎年楽しみにしております。
高度な難曲を聴けることも、このコンクールの魅力ですね。
来年も白熱したコンクールを期待しております。