緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

藤掛廣幸作曲「マンドリンオーケストラの為の”じょんがら”」を聴く

2019-09-01 21:18:04 | マンドリン合奏
学生時代に演奏したマンドリン合奏曲のギターパートでとくに難しいな、と感じたのは、帰山栄治作曲「歴史的序曲第2番」と、マネンテ作曲「華燭の祭典」だと思っていたが、もう1曲弾くのにとても難儀した曲を思い出した。
榊原喜三氏のマンドリン演奏を聴いていた時、Youtubeで偶然見つかったのだが、その曲は藤掛廣幸作曲「マンドリンオーケストラの為の”じょんがら”」であった。
この曲は大学2年生の時の夏の演奏旅行で弾いた思い出の曲だ。



藤掛廣幸のマンドリンオーケストラ曲の中で、「じょうんがら抄」という曲があるが、この曲と似ているようでかなり異なる。
演奏時間の短い「じょうんがら抄」の方が圧倒的に演奏頻度が高いようで、「マンドリンオーケストラの為の”じょんがら”」の方はYoutubeでやっと古い音源(1979年演奏)が一つだけ見つかっただけであった。

マンドリンオーケストラの為の"じょんがら" 〔1979〕


「マンドリンオーケストラの為の”じょんがら”」は1977年の作曲。
この曲は題名の通り三味線による「津軽じょんがら節」をモチーフにした曲であるが、作曲者である藤掛氏はこの曲を作るに至った経緯を次のように述べている。

「以前から、マンドリンの“トレモロによって、うたを歌う”ということに、少なからぬ抵抗感があり、マンドリンという楽器本来の機能に基づいた曲を書いてみたいと思っていました。そんな折、高橋竹山の津軽三味線の演奏に接し、昔からのスタイルの単なる保存などというものではなく、まぎれもなく、現代に生きている音楽、脈々と流れる血をもった音楽を感じて、とても感激しました。三味線そのものとマンドリンとは、全然別のものだけれど、打楽器的な発音原理に共通点を見い出して、ジャズに於けるアドリブの要素を加味して、出来上がったのがこの曲である。もちろん、これは三味線でもなく、ジャズでもなく、明らかに“マンドリンオーケストラの為の曲”である。」(「藤掛廣幸ファンのページ」より引用)。

ギターパートの場合、ピックで津軽三味線の音を模して弾いたり、ギターを膝の上で裏板を上にして寝せて、両手で太鼓のように叩いたりする箇所が現れる。





マンドリンオーケストラの中でもかなり特異な曲である。
際立っているのが、後半途中で演奏者たちによる合唱が挿入される部分。



これはスタバート・マーテルでも同じ手法を用いているが、私はこの合唱を歌うのがとても嫌で恥ずかしかった。
先のピックでギターを弾いたり、叩いたりするのも何て邪道なやり方などどと弾きながら感じていたものだった。

ただ現在、この曲を聴く立場、鑑賞する立場になってみると、この曲も意外に腹の底からエネルギーを沸き立たせる力を持ったなかなかの曲、希少な曲だなと感じるようになってきた。

冒頭からしばらくしてギターソロが挿入されるが、これがかっこいい。
学生時代はギタートップのMさんが弾いた。



楽譜に「ピックを用意」なんて書かれている。



あのオレンジ色のピックだ。
大学のある町の楽器店(玉光堂とかいったかな)でしぶしぶ買ったピックだ。
そしてこのピックでギターの表面板を傷つけた。

このピックで次の難所を弾くのである。





これは津軽三味線そのものだ。
Youtubeだと4:21から5:30まで。
この部分はものすごく難しかった。ピックでクラシックギターを弾くのが痛々しかった部分。
練習で個人攻撃されたフレーズだ。
すごい躍動感。こうして聴く側にたってみるとなかなかかっこいい。

そしてこの部分。

フォルテが5つも付いている。
合唱の合間に出てくる。
楽器の弦が切れる寸前まで弾くところだ。

この曲を30数年振りで聴いたが、マンドリンオーケストラ曲としては異色でありながら何か新鮮なものを感じた。
「じょうんがら抄」よりも「マンドリンオーケストラの為の”じょんがら”」の方が原点を感じるしパワーも段違いだ。
太鼓などのパーカッションを使わず、マンドリン・ギターで打楽器としているところもいい。
「じょうんがら抄」はパーカッションが際立ちすぎている。マンドリン・ギターからの炸裂したエネルギーは少ない。
音楽の構成も「マンドリンオーケストラの為の”じょんがら”」の方が優れている。
もっと演奏されてもいい曲だと思う。

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