先日、何かを探すために押し入れのガラクタ箱を引っかき回していたら、古い写真が出てきた。
今から約40年前の高校2年生の時の修学旅行の写真だった。
その写真の中に昔の国鉄時代の列車、修学旅行で実際に乗った鉄道や、帰りの上野駅のホームに停車中の列車を撮ったものだった。
修学旅行は京都、奈良、東京だった。
函館までは特急「北斗」、函館-青森間は青函連絡船に乗船し、青森から京都までは寝台特急「日本海」、奈良から東京までは新幹線で移動、帰りは上野から青森までは寝台特急「ゆうずる」だった。
高校2年生のとき、何のきっかけだったか思い出せないのだが、鉄道ファンになっていた。
当時私は嫌な高校にしか入れなかったくやしさから、勉強ばかりするようながり勉にすっかり生まれ変わってしまい、とても暗い高校生活を送っていた。
それでもギターとこの鉄道への興味が何とか自分を持ちこたえさせていた。
鉄道と言っても、貨物列車を牽引する機関車が好きで、とくにディーゼル機関車であるDD51という型式の機関車が好きだった。
学校へ行くバスの途中で、朝の8時20分に駅に止まっているDD51を見たものだった。
そして学校近くのバス亭から猛ダッシュして学校に滑り込むのだが、何度かは始業時間に間に合わなかった。
そしてSという物凄く嫌だった担任から出席簿で頭を叩かれた。
昔の時代のディーゼルや電気機関車、気動車の特急列車のデザインは今の時代の列車のデザインよりもはるかに優れている。
上と下の写真の電気機関車(ED75とEF64)、そして特急「北斗」のデザインは素晴らしい。
私はデザインには全く素人ではあるが、これらの鉄道のデザインがとてもバランス感に優れ、均整のとれた形状をしていることが分かる。
構造、形状、色使い全てがシンプルではあるのだが、無駄のない均整のとれた洗練された印象を強く受ける。
これは鉄道のみならず、この時代のバスや乗用車にも当てはまる。
今の時代の鉄道はどうか。
ひどいと言わざるを得ない。
今、通勤で東京駅で乗り換えするのだが、東京駅から出る茨城の日立行きの特急のデザインなど、何、コレ?と思ってしまう。
そして極めつけは、北海道で以前一世を風靡したディーゼル機関車DD51に取って変わって出現した、何ていう型式の機関車か分からないが、丸々と中年太りした、思わずプッと吹き出してしまうようなデザインの機関車だ。
DD51とは雲泥の差である。
よくこんなデザインにしたものだ。
DD51を設計した人がみたら、おもわずプッと吹き出してしまうに違いない。
はっきり言って、素人の目から見ても、今の鉄道や車やバスなどのデザイン力は昔に比べて劣ってきていると感じる。
これらのデザインの頂点は1960年代半ば頃から1970年代までだったと思う。
この時代のデザインの完成度の高さからすると、そこから離れたデザインにするということは、均整のとれた美しさを自ら放棄しているようなものだ。
下のオレンジ色の機関車がDD51。
高校2年生のとき、実家近くの踏切で撮ったものだ。
これほど均整のとれた形状の鉄道を見たことはない。
強いてあげればEF58くらいか。
今から約40年前の高校2年生の時の修学旅行の写真だった。
その写真の中に昔の国鉄時代の列車、修学旅行で実際に乗った鉄道や、帰りの上野駅のホームに停車中の列車を撮ったものだった。
修学旅行は京都、奈良、東京だった。
函館までは特急「北斗」、函館-青森間は青函連絡船に乗船し、青森から京都までは寝台特急「日本海」、奈良から東京までは新幹線で移動、帰りは上野から青森までは寝台特急「ゆうずる」だった。
高校2年生のとき、何のきっかけだったか思い出せないのだが、鉄道ファンになっていた。
当時私は嫌な高校にしか入れなかったくやしさから、勉強ばかりするようながり勉にすっかり生まれ変わってしまい、とても暗い高校生活を送っていた。
それでもギターとこの鉄道への興味が何とか自分を持ちこたえさせていた。
鉄道と言っても、貨物列車を牽引する機関車が好きで、とくにディーゼル機関車であるDD51という型式の機関車が好きだった。
学校へ行くバスの途中で、朝の8時20分に駅に止まっているDD51を見たものだった。
そして学校近くのバス亭から猛ダッシュして学校に滑り込むのだが、何度かは始業時間に間に合わなかった。
そしてSという物凄く嫌だった担任から出席簿で頭を叩かれた。
昔の時代のディーゼルや電気機関車、気動車の特急列車のデザインは今の時代の列車のデザインよりもはるかに優れている。
上と下の写真の電気機関車(ED75とEF64)、そして特急「北斗」のデザインは素晴らしい。
私はデザインには全く素人ではあるが、これらの鉄道のデザインがとてもバランス感に優れ、均整のとれた形状をしていることが分かる。
構造、形状、色使い全てがシンプルではあるのだが、無駄のない均整のとれた洗練された印象を強く受ける。
これは鉄道のみならず、この時代のバスや乗用車にも当てはまる。
今の時代の鉄道はどうか。
ひどいと言わざるを得ない。
今、通勤で東京駅で乗り換えするのだが、東京駅から出る茨城の日立行きの特急のデザインなど、何、コレ?と思ってしまう。
そして極めつけは、北海道で以前一世を風靡したディーゼル機関車DD51に取って変わって出現した、何ていう型式の機関車か分からないが、丸々と中年太りした、思わずプッと吹き出してしまうようなデザインの機関車だ。
DD51とは雲泥の差である。
よくこんなデザインにしたものだ。
DD51を設計した人がみたら、おもわずプッと吹き出してしまうに違いない。
はっきり言って、素人の目から見ても、今の鉄道や車やバスなどのデザイン力は昔に比べて劣ってきていると感じる。
これらのデザインの頂点は1960年代半ば頃から1970年代までだったと思う。
この時代のデザインの完成度の高さからすると、そこから離れたデザインにするということは、均整のとれた美しさを自ら放棄しているようなものだ。
下のオレンジ色の機関車がDD51。
高校2年生のとき、実家近くの踏切で撮ったものだ。
これほど均整のとれた形状の鉄道を見たことはない。
強いてあげればEF58くらいか。