緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

2016年度 Nコン全国大会高等学校の部を聴く

2016-10-08 23:52:23 | 合唱
今日はあいにくの雨ふりであったが、東京渋谷のNHKホールで行われたNHK全国学校音楽コンクール(Nコン)全国大会高等学校の部の生演奏を聴きに行ってきた。
入場者が多いせいか、会場の外でどしゃぶりの中を随分と待たされた。
座席は3階席であったが、舞台の中央方向で聴くに不便さは感じなかった。
Nコン全国大会の生演奏を聴くのは3年連続だ。
ただコンクールという性質上、聴き終えてから必ずしも心満ち足りたわけではない。
これは器楽のコンクールも同じであるのだが、自分でいいと思った演奏、感動させてもらった演奏が必ずしも高い順位を得るとは限らないからだ。
合唱に限らず音楽は勝負事とは本質的に異なるし、順位も人間の主観で付けられるのだから、賞の結果に一喜一憂してもしかたがない。
なので賞の結果は参考程度にし、とにかく各学校の演奏を楽しむことに徹している。

高校生の合唱演奏を聴いて約6年。
その間数多くの演奏を聴かせていただいた。
その中でも信じられないほどの高い集中力で奏される、魂の奥底を震わせるような演奏に出会った。
たった数曲であるが、そのような曲はこれまでも何度も何度も繰り返し聴いてきた。
一言で言うと、純粋に歌う喜びに満ちた、歌う心に全くの雑念の無い、無心で何も求めず、歌い手それぞれの自発的な気持ちが何か潜在的な大きな力に導かれて舞台で完全一体となったような演奏なのだ。

このような奇跡的な演奏を追い求めてこれからも合唱曲を聴き続けていくつもりだ。

今日の演奏で印象に残った学校と演奏曲を演奏順に紹介したい。
ちなみに今年の課題曲は「次元」(作詞:朝井リョウ、作曲:三宅悠太)。

〇演奏順1番目:福島県立安積黎明高等学校
課題曲:
音質が柔らかく、明るく女性らしい優しさの感じる歌声。
音程は申し分ないが、音色の変化に欠けると感じた。やや1本調子に感じる。
音量のコントロールは素晴らしい。無理をしないところもいい。
「世界を作った瞬間 神様~お母さん」の部分はもっと表現の豊かさがあってもいいのでは。発音が不明瞭に聴こえる部分もあった。
全体的にまとまったいい演奏だと思うが、音色の変化、拡がりに期待したい。
確かに魅力的な音色でファンも多いが、終始一つの音色にこだわらなくてもいいのではないかと思う。

〇演奏順2番目:山口県立萩高等学校
 自由曲:混声合唱とピアノのための「もうひとつのかお」から あなた 作詞:谷川俊太郎 作曲:鈴木輝昭

地味であるが、この学校の演奏はいい演奏だと思った。
女声が柔らかく美しい。力みのない自然な発音。この女声に自然の優しさを感じた。
秋の風に揺れる稲の穂先のように感じる。急がない。意識的なテンポではなく、自然が時を刻むような流れ。
意識して上手く歌おうとしていない。この自然さが大切なのだ。
冒頭のフレーズ、「かがやいているのを知った(?)」の部分、やや音程が下に聴こえてが、むしろそれが何か感傷的な気持ちに聴こえる。
音量のコントロールが難しく、繊細な曲だ。和声も変化が顕著で響かせるのに苦労する曲ではないか。
萩高等学校の演奏は決して意図的に誇張することなく、自然の鼓動を感じる演奏をしてくれたことに好感を持った。
「上手い!」と感じるより、歌い手の気持ちが感じ取れることが重要だと感じさせられた演奏だった。
作曲者の鈴木輝昭氏は、前衛的な難曲が多いが、このような純粋な美しさを感じる曲も作れることに驚く。
三善晃氏のことを思い出した。

〇演奏順7番目:山形県立鶴岡北高等学校
課題曲
自由曲:女声合唱曲集「笑いのコーラス」から 贈り物 作詞:高階 杞一 作曲:横山潤子

課題曲は、全11校の中で1番理解できる演奏だった。
発音が明瞭、特に低音の発声が素晴らしい。この正確で明瞭な適切な音量の低音に支えられ、対極としての高音パートの音が透明で良く伸び、響き渡る。
やや音色に柔らかさに乏しいと感じたが、この明晰で透明な音色は魅力だ。歌声に明るさも感じる。
この高校のいいところは、ダイナミック・レンジが広く、強く、大きな音量が必要とされる部分も決してうるさく聴こえないところ。
音量、音色の幅が広く、表現の変化も広い。いわゆる決して単調ではない演奏なのだ。
「xでもyでもない~立体としての世界の構造を」のフレーズを速く、自然な音量を超えた大音量で力んだ演奏をする学校が多かったが、この高校は力強くも説得力のある演奏だった。
「誰もが輪郭を知っているもの~誰も知らない」の部分は繊細であり、フレーズの後半部の音量を上げ過ぎていないところはさすがだと思った。
「名前を付けるだけでは」の後の歌詞無しのアーの部分も同様。
「私は想像する」のハーモニーは圧巻。終結部の静かなエネルギーも素晴らしい。

自由曲は今回の大会で最も聴き応えがあった。
聴き手の感情が強く伝わってくる演奏だった。
3時間にわたるコンクールで、中盤になると疲れによる集中力の途切れで、演奏に集中できなくなってくるのであるが、この演奏を聴いて一瞬にして気持ちが研ぎ澄まされた。
高音の透明感と音の伸びが実に素晴らしい。その音とコントラストを成し、かつ支えている低音パートの地味ながら力強く正確な音程を常に保つのを聴いて正直驚いた。
技術力に支えられていながら、音楽の流れが自然、歌い手の気持ちがこれほど強く伝わってくるとは思わなかった。
「はっきりとこたえられる場所があるんだろうか」の部分の高音と低音のコントラストが際立つ。
女声でこのような低音を出せることは余程の基礎力と鍛錬がないと出来るものではない。
「その中の一番すてきなやつをもらってこよう」
「星座のように」、「それを届けよう」の部分で見せたソプラノの透き通った音の伸びと感情エネルギーの強さは凄かった。
形式的なダイナミックスや技術力による上手さを超えた、歌い手たちがこの歌が心底好きで歌うことに喜びを感じていることが伝わってきたことが何よりもうれしかった。

〇演奏順11番目:北海道立釧路湖陵高等学校
自由曲:混声合唱組曲「How old am I ?」から How old am I ? 作詞:吉原幸子 作曲:荻久保 和明

この高校も萩高等学校と同様地味な演奏だった。
しかし私はこのような演奏が好きだ。
外を意識して上手く歌うことに主眼を置かず、あくまでも自分達の持ち味の範囲で精一杯歌おうとする。
そのような姿勢に心を動かされる。
この自由曲は現代音楽に属する難解な曲だった。
このような万人受けしない、難しい曲を評価するのは難しい。
1回聴いただけでは無理。
女声は優しさの感じる自然な歌い方、男声はもう少しセーブしてもいいと思ったが、まずまずだと思った。
ちなみにこの学校のピアノ伴奏は素晴らしかった。
本題から外れるが、釧路湖陵高等学校は北海道でも歴史のある名門校であり進学校。
私の学生時代に住んでいた超おんぼろアパートの隣の部屋に、釧路湖陵高等学校出身の学生が住んでいたのを思い出す。
北海道の地方には、小樽潮陵、室蘭栄、函館中部、北見北斗などといった進学校があるが、私の卒業した学校とは雲泥の差である。
Nコンに出場する学校に有名進学校が多いのに驚かされるが、合唱をやる生徒たちが真面目なのも共通性を感じる。
今日の釧路湖陵高等学校の演奏を聴いて、何故私が合唱曲の中でも拘って高校生の合唱の演奏を聴き続けるのか、その理由が分かってきたように思う。
本心から言うと、高校時代に彼らのような人たちと過ごしたかったのだ。
今まで漠然と何故なのか分からなかったが、無意識に彼らのような高校生との音楽を通しての交流を追い求めていたのかもしれない。
満たされなかったものは何十年経っても心に残り続ける。
人間の心はごまかすことは出来ないことを痛感する。
しかしこうやって間接的ではあるが、遅ればせながら気持ちが少しづつ満たされていくのも悪くはないし、それでいいのだと思った。

今回の生演奏を聴いて感じたのは、音量のコントロールの難しさである。
強い音量は確かに必要だ。
しかし、ハーモニーが割れた、崩れた大音量、意識された大音量は聴くに堪えない。
大音量よりも、ホールの一番後ろまで突き抜けるような、直線的、スポット的な強い音が必要だ。
そして終始力んで強く歌うのではなく、レンジの広さ、音色の変化、繊細さ、それらが意図的にコントロールされた結果としてではなく、歌い手の自然な気持ちから表出され、しかも各人の気持ちが一体として統合されて表現されることが必要だと感じた。

考えてみれば、音楽は作った人の感情、気持ちから出発している。
その根源的な気持ちが分かれば意図的な操作は要らないはずだ。
音量、速度、音色の変化等、根源的には結局、作者の感情にたどり着く。
作者の感情を理解せずしてこれらの表現を自然な流れで行うことは無理。
自然な気持ちの流れと今まで随分と言ったが、決して簡単なこととは思えない。
外を固めるより、人の気持ちを理解することが音楽を理解することにつながる。作者と演奏者の気持ちの同化。
そのためにはある程度の人生体験も必要であるが、高校生にはまず純粋な気持ちが大切。
技術的にあれこれ頭で考えて計算して、ここをどう演奏しようかと考える以前に、この音楽から聴こえてくる感情を部員たちで何度も出し合い、とことん議論することが最も大切ではないか(いうまでもなく出場者の方々は実践しておられると思うが)。
聴き手は歌い手たちの気持ちを感じたいのだから。

Nコンの生演奏を聴いた後ではたいてい後味の悪さを引きずることが多かったが、今日の演奏はすがすがしさを感じた。
演奏会が終ったあとでは、どしゃぶりの雨も上がって青空も垣間見ることもできた。


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