世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

決起大会2014

2014年01月18日 23時59分22秒 | Weblog
夕方、妹に会うべく新宿へ。
アルタ横の銀行の前で待ち合わせ。
「芋ちゃん!」
「姉ちゃん!」


店に行く前に、紀伊國屋書店で姜尚中先生のサイン会の整理券をゲット。
「心の力」
サイン会までに読み終えたいのだが。




妹・芋子は相変わらず元気そうだった。
今日は、彼女のおススメの店、新宿三丁目の「どん底」。
その店構えが、んもうなんつーか、「老舗ですが何か?」っつー感じで入店前からドキドキ。
1951年創業らしい。スペインにも店があるとのこと。





入店すると、まるで迷路のような世界が広がっていた。
漆黒の階段や柱、灯る照明、中2階。神保町の「さぼうる」に似ている。

なにか大きな空間の「どん底」にいると錯覚しそうなほど、深くて独特な空間である。
我々は三階のカウンターに通されたのだが。


かんぱ~い。


チーズが濃厚なピザ。



ピロシキ
優しい味がした。



「林さんのライス」
ハヤシライスではない。
これが絶妙に美味しかった。




今宵も芋子とたくさん話せた。
2014年はどうしたいのか、など。
私は去年燃え尽きてしまったので具体的な目標はないのだが、芋子はちゃんと目標を持っていてそれに近づくためにどうしたらいいかよく考えている。

芋子とは幼い頃の記憶が重なっているので思い出話もすんなりできる。
32年も一緒に生きてきたので互いの性格も熟知している。良き理解者だ。

「正月の朝、寝ている姉ちゃんが可愛かった件」とか。
小柄な私が身を屈しながらすやすや眠っている様子を見て「姉ちゃんかわいい」と思った芋子。
そんな客観的視点に驚きつつ、そして爆笑。

吉熊も一緒。



目の前のバーテンダーの方がズボンのポケットに文庫本を入れているのを目ざとく発見。
「何の本ですか」
と訊ねたら永井荷風の「ふらんす物語」だった。
おお!大学時代、彼氏に薦められて読んだことを思い出した。
バーテンダーさんと先日の直木賞の話などができて嬉しかった。


0時過ぎまで飲み、気付けば終電ギリギリ。
飲兵衛姉妹だ。

伊勢丹前を全力疾走し、ホノルルマラソンに毎年出ている芋子に勝ったど~!
あんなに本気で走ったのは久々だ。
酔って火照った頬が街の冷気を切り裂いていくのを感じた。
そして先日観た映画「かぐや姫の物語」の全力疾走シーンを思い出し、芋子に「あれ、面白いから見てね」と薦めておいた。


深夜なのに人大杉状態の新宿駅で別れた。
「またね」
「バイバイ」

2014年は初っ端から仕事で嫌なことがあったが、挽回できそう。
ありがとう芋子!


リフレッシュ

2014年01月18日 14時40分32秒 | Weblog
午後、顔剃りへ行く。
私は1ヶ月~1.5ヶ月に一度、近所の理髪店で顔を剃ってもらっている。
産毛や角質を除去してもらうせいか、化粧水の浸透率が上がって、肌だけは褒められる。
喫煙者の肌には見えないと言われる。

私が通う店はマリコさんという初老の女性が一人で経営している店だ。
かれこれ6年ほどお世話になっている。
「こんにちは」
と入店すると、マリコさんはいつも笑顔で迎えてくれる。

古いソファ、乗るとギイギイいう椅子、男性用ローションの匂い。
レトロな理容室である。

この店は、一昨年、店主マリコさんが体を壊してしまって半年ほど休業していた。
その間、男性客は離れてしまったが、女性客は皆戻ってくるばかりか増えているという。
最近では若い女性客に人気があるらしい。

私が顔剃りをしていると女性の同僚や女友達に言うと、みんな
「え~どこでやってるの?私も行きたい」
と言う。
エステのレディースシェービングは高いし、かといって男性客ばかりの理髪店は入りずらい。
そう思うと6年前、何の情報もなくこの店に入店した自分の勇気と言うか好奇心って凄いと改めて思う。
顔剃りの需要はまだまだあるのではないだろうか。


そんなことを思いながら顔にシャボンを塗られて蒸しタオルを当てられる。
マリコさんのマシンガントークを聞きながら。
近々同窓会がある女性客が、週に一度やってくるようになった…女性の美への執着って凄いわねえ、など。
また、最近よく来るようになった男性客の妻が浮気を疑い、店に乗りこんできた、とか。
女性週刊誌の読者コーナーに書かれているようなことが実際あるのだなあと思いながら相槌を打つ。

産毛は一方の方向に向いて生えているのではなく多方向に向いて生えているらしい。
なので剃刀を一方方向に這わせるのではなく、多方向に這わせて剃り残しがないようにするとマリコさん。
へえ。

マッサージされ、パック。
コーヒーのサービスを受け、喫煙しながらまたお喋り。
近所の情報、噂話などを話した。
パックが乾き、取ってもらったあと、蒸しタオルで拭いてもらって完了。

さっぱり。

肌が一皮むけた。
面の皮が薄くなった。
肌に溜まっていた12月の連続出勤の疲れやくすみが一気に取り払われた!!
再生。


今年の正月は日光へ行ったマリコさん一家。
「これつまらないものだけど」
とお饅頭をくださった。



わ~い!!
金箔入りだって!!

東照宮、華厳の滝、寒かったけど楽しかったらしい。
喫茶店で食べたチーズケーキが美味しかった、鳴き龍の声を聞いた、眠り猫がちっこかった、などマシンガントークを放つマリコさん。

元栃木県民として誇らしく思う。



再び「かぐや姫の物語」

2014年01月18日 00時30分34秒 | Weblog
会社帰り、レイトショーで「かぐや姫の物語」を観てきた。



まさかの2回目。
前回の観賞の前は正直期待をしていなかったのだが、観終わった後のじんわり感が半端なく、再び観ることにした。

2014年1月13日「かぐや姫の物語」

以下、ネタばれあり。


前回はストーリーを追うことで必死だったのだが、今回は、描写や細々としたものをじっくり観ることができた。
水彩画のようなざっくりした絵が印象的だが、よく見ると草木や花がけっこう細かく描かれていることが判明。
アケビ、コブシ、桜、どれも生命力に満ちていた。

かぐや姫の赤ん坊時代の泣き声はやはりちょっと苦手。うるさくて。子供嫌いな私には辛かった。心の中で「早く成長してくれ」と思ってしまった。十分急成長を成し遂げているんだが。



都に移り住み、「高貴な姫君」になるべく宛がわれたハイジに出てくるロッテンマイヤーさんみたいな相模(From宮中)がコワイしウザい。
大人になったかぐや姫は、相模に眉毛を抜いてお歯黒をするようにと言われるのだが、「そんなの馬鹿みたいっ!」と必死の抵抗。
しかし、もうここからは逃げられないと悟ったかぐや姫は、観念し、「高貴な姫君」になるべく、相模によって眉を抜かれる。その時、かぐや姫は一筋の涙を流す。それは痛みから起こるものと、もう一つはやはり「自分はここからは逃げられないんだ」「受け入れるしかないんだ」という心の痛みから流した涙なのではないだろうか。
今日はこの静かで悲しいシーンで一番泣けた。残酷すぎて心が痛い。


美しいと噂になったかぐや姫に好意を寄せる5人のお金持ちの殿方が、牛車でレースを展開させながらかぐや姫の家に行くところなど、けっこう迫力があった。

ちびまる子ちゃんの花輪君ばりに気障な帝がやはりキモかった。背後からかぐや姫に近寄って抱きすくめながら「私にこうされて嫌がる姫はいない」とか言っちゃってて超勘違い甚だしい。てか、顎。なんとかしろ。帝の着物の色も派手な黄色のストライプでキモさ倍増。



そして、エレクトリカルパレードの如く月の使者が来るあのシーン。
今日の目的の大半はあの世界観を心全部で堪能すること。
はっきり言って私はあれの中毒かもしれない。賛否両論があるようだが、やはり好き。観ていると多幸感が湧き起ってくる。
ガードマンたちがかぐや姫を守るべく、月の御一行様に弓矢を放つのだが、それが見る見るうちにヘナヘナと草花になっちゃうところとか、変な妖精が舞い降りてきてかぐや姫を強制連行していく様子など、もうオカルトそのもの。だけどクセになる。
前回、あまりにもポップな曲調にびっくりしてしまってあまり聴けなかった音楽(天人の音楽)も今日はじっくりと堪能。あの異質感が現世との違いを明確にしていると確信。


月の使者は恐らく「死」をイメージしているのだと思った。
月に帰らないといけないと知ったかぐや姫が婆に言う。
「私、今まで何やっていたんだろう…」
これは病などで余命を宣告された人の心理に似ているなと思った。
月の使者が有無を言わさずかぐや姫を連れ去ったのは、死がなせる技。死には敵わない。…人生の強制終了。



月(死の世界)にいた頃、けがらわしい地球(生の世界)に憧れるという罪を背負ったかぐや姫は、地球で生きるという罰を与えられる。月の住人にとって、この世界で生きることは罰ゲームなのだそうだ。
そうだよな…本当、そう。仕事でも人間関係でも疲れることばっかだもの。
でも…でもね、そういう喜怒哀楽の中で生きることの素晴らしさ(生きている実感)ってかけがえのないもんなんだぜ、というのがこの作品のテーマだと観賞2回目でわかった。

姫の縁談に浮かれていた翁だって、根底には姫の幸せへの願いがあったのだ。
ただ「幸せのベクトル」が姫とズレてしまっただけ。こういうことってある。父と娘のすれ違い。
だから最後、別れのシーンで翁は「許しておくれ」と言っているのだ。そう思えたら泣けた。


都での何不自由がないが人間味がない暮らし:田舎での不自由だけど伸び伸びした暮らし
月での喜怒哀楽がない穏やかな暮らし:地球での感情溢れるエキサイティングな暮らし
など、さまざまな対比を考えるとこの作品、本当に奥深いのだなと思う。
何が幸せなのか分かったようで分からなくなる。じつに面白い映画だった。


こんなに魂を抜かれた映画は、小惑星探査機はやぶさの旅の様子を描いた「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-」以来である。
はやぶさがイトカワの欠片を入手して地球に帰還する際に大気圏突入で四散するのと、かぐや姫がこの世界で生きた末に全記憶を失って月に帰ることが、私の中で呼応した。



今夜は月が綺麗だ。
見上げながら帰る。
あそこからこちらをかぐや姫が悲しげに見つめていると思うと再び泣けた。



私にとってのかぐや姫は、吉熊。





今は昔、会社員の亮子といふ者ありけり。
オフィスにまじりてPCを眺めつつ、よろづの人のためにパシりけり…。

月の世界の人には理解できないだろうが、それはそれでけっこう幸せなことに違いない。