世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

ピアノ・レッスン

2010年08月26日 22時07分29秒 | Weblog
比較的静かな一日だった。明日から月末業務と特殊業務のため忙しくなる予感。
退社後、母ヨーコたんと電話をした。一日を報連相。

弾きたい曲があるのでその楽譜を送るように依頼された。
母が私にものを頼むだなんて珍しいので嬉しくなる。

母は数年前、ピアノを習っていた。
映画「ピアノ・レッスン」のメインテーマ、マイケル・ナイマンの「楽しみを希う心」を弾きたいと言って。
The Sacrifice - Michael Nyman


そこは私が小学生~中学3年生までお世話になっていたピアノ教室だ。
同級生の自宅でもあった。

ピアノの先生の家には見たこともないハイソサエティなものがたくさんあった。
松ヤニが出る柱
先生が書いたとおぼしき英語のポエムのメモ
シャム猫のメリー
本棚一杯に収納してある楽譜
革張りのソファ
瑠璃色の細長い花瓶

そして

グランドピアノ

山小屋風の家も立派だったが、置かれているものや空気も素敵だった。
特に教室内の白い壁はギリシアちっくで幼い私はその壁に夕日が当たる様子が好きだった。

先生はとても優しかった。
子供相手なのに「亮子さん」と「さん」付けであった。

中学生になると音楽のテスト対策もやってくれて非常に助かった。
音楽だけでなく、数学の三角形の合同の証明やら理科の電流の流れも教えられる先生だった。

レッスン中、私は一度だけ泣いたことがある。
発表会前なのにあまりにも練習しない私を先生は静かに咎めたんである。
悲しくて、そしてショックで泣いてしまった。
たしかに練習しなかった。
あまり好きじゃなかったのかもしれない。ピアノ。
いや、ピアノが嫌いというよりもピアノの練習が大嫌いだった。指に覚えさせるまで、根気が要るからだ。
それに、小中学生には他にもっと分かりやすく魅惑的なものがたくさんあったのだから仕方がないとも思う。
ファミコン、夕方のドラマの再放送。放課後の同級生とのお喋りとか。
それらの時間を割いてまでピアノの練習をするぐらい私は真面目な子でもなかったし、ピアノに対して強い情熱もなかった。
小学校の卒業文集に「私の将来の夢は結婚式にピアノを弾く人になることです」とは書いていたけど。今となっては何でそんなことを思ったのだろうかと自分でも不思議。

母ヨーコたんが幼少時代に習いたいと切望していたのに習えなかったピアノ。
その想いを私に念写しようとしたのだが、私では無理だったようだ。
ママ、ごめん。
でも私に娘がいたら、やはりピアノを習わせていただろう。
嗚呼、血は争えない。

そんな私だが数年前にシンセサイザーを購入したのだから人間って分からぬものである。
たまに気まぐれでいじってはみるものの、やはり練習嫌いが祟り、一向に上達していない。
今宵は久々に触ってみませうか。

ちなみに母が希望したのはサティの「ジムノペディ 第1番」
サティ/ジムノペディ 第1番


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