本日公開の「嫌われ松子の一生」を観た。
あの「下妻物語」の中島哲也監督の作品ということで、前々から楽しみにしていた。
思い起こせば二年前。
「下妻物語」との出会いは衝撃的だった。
あんなに笑えて、あんなに泣けた映画は初めてだった。
中毒になった私は、上映期間中に4回も映画館へ通い、DVDはスペシャルエディションを購入した。
それだけでは飽き足らず、下妻市にロケ地巡りもした。
…ロリータな装いと日傘と巻き髪で。
「嫌われ松子の一生」…不幸っぷり炸裂の川尻松子が主人公。
昭和22年福岡県の島で生まれる。
父親に愛されたいがため健気に良い子を貫き、中学教師になる。
修学旅行での些細な事件がきっかけで、転落の人生を送ることになる。
平成13年、荒川河川敷にて他殺体で発見され、53歳の人生に終止符を打つ。
墜落の最中、愛されたいが故に、すぐに殿方と閨を供にし、泡や血に染まる彼女を見て、初めは理解出来なかった。
「ばっかじゃん」と思った。
起き上がり鼓舞しのように「どんな困難だって乗り越えるわ!」という胡散臭い前向きさがイヤだった。
あと盲目的に殿方に惚れるところとか。
しかし、終盤にかけての彼女に目が離せなかった。
老女となり、「もう、誰も信じない」と呟きつつ、故郷の川に似た荒川近くのボロアパートで、ゴミまみれの生活をして、のっそりと精神科に通っている松子。
しかも、テレビで偶然見た光GENJIの内海君の熱狂的なファンになり、自分の半生と熱烈な内海君への愛を書いたファンレターを送る。
毎日ポストをチェックし、「どうして返事が来ないのよォ~!」と泣き叫ぶ松子はエキセントリックだった。
なんか、ほんのりと私の20年後を見た気がした…。
相手は内海君ではなくて小室氏に置き換えたら…正直、ぞっとした。
場所も足立区で、北区の私の家から微妙に近いし。
誰にも看取られずに、孤独死した松子。
普段、目をそらせていた私の死に際をスクリーンで見た気分だ。
「下妻物語」の愛すべき馬鹿っぽさのエッセンスが「嫌われ松子の一生」でも沢山使われていた。
しかし、あの馬鹿っぽさの分量は匙加減を多目に間違えると飽きることが判明した。
「嫌われ松子の一生」でのCGを駆使したポップな歌のシーンなどをもう少し省いていたら、疾走感が損なわれなかったかもしれない。
「下妻物語」では、ハムより薄いと言われている女の友情の定義をうまく裏切ってくれた。「嫌われ松子の一生」でも、女の友情がうまく取り上げられていて、ついウルウルしてしまった。
全体的に聖書がベースになっていて、「神は愛だ」という神父の言葉が印象的だった。
「人生は与えられたものよりも、与えたものに意味がある」という劇中の台詞は、松子の一生を語る上で重要なものである。
最後のシーンで、笑顔で天国へ登る松子を見て納得した。
松子と私は似ていなさそう似ている。
この作品を観た女性は、みんなそう感じると思う。
そういう女性特有の何かがこの作品には滲出ているからだ。
映画の宣伝も兼ねてだろうか、来週月曜日「下妻物語」がテレビで放映されるらしい。
DVDを持っているのに月曜日の放送を楽しみにしている私は、けっこう一途で、やっぱり松子に似ているのだと、今思った。
あの「下妻物語」の中島哲也監督の作品ということで、前々から楽しみにしていた。
思い起こせば二年前。
「下妻物語」との出会いは衝撃的だった。
あんなに笑えて、あんなに泣けた映画は初めてだった。
中毒になった私は、上映期間中に4回も映画館へ通い、DVDはスペシャルエディションを購入した。
それだけでは飽き足らず、下妻市にロケ地巡りもした。
…ロリータな装いと日傘と巻き髪で。
「嫌われ松子の一生」…不幸っぷり炸裂の川尻松子が主人公。
昭和22年福岡県の島で生まれる。
父親に愛されたいがため健気に良い子を貫き、中学教師になる。
修学旅行での些細な事件がきっかけで、転落の人生を送ることになる。
平成13年、荒川河川敷にて他殺体で発見され、53歳の人生に終止符を打つ。
墜落の最中、愛されたいが故に、すぐに殿方と閨を供にし、泡や血に染まる彼女を見て、初めは理解出来なかった。
「ばっかじゃん」と思った。
起き上がり鼓舞しのように「どんな困難だって乗り越えるわ!」という胡散臭い前向きさがイヤだった。
あと盲目的に殿方に惚れるところとか。
しかし、終盤にかけての彼女に目が離せなかった。
老女となり、「もう、誰も信じない」と呟きつつ、故郷の川に似た荒川近くのボロアパートで、ゴミまみれの生活をして、のっそりと精神科に通っている松子。
しかも、テレビで偶然見た光GENJIの内海君の熱狂的なファンになり、自分の半生と熱烈な内海君への愛を書いたファンレターを送る。
毎日ポストをチェックし、「どうして返事が来ないのよォ~!」と泣き叫ぶ松子はエキセントリックだった。
なんか、ほんのりと私の20年後を見た気がした…。
相手は内海君ではなくて小室氏に置き換えたら…正直、ぞっとした。
場所も足立区で、北区の私の家から微妙に近いし。
誰にも看取られずに、孤独死した松子。
普段、目をそらせていた私の死に際をスクリーンで見た気分だ。
「下妻物語」の愛すべき馬鹿っぽさのエッセンスが「嫌われ松子の一生」でも沢山使われていた。
しかし、あの馬鹿っぽさの分量は匙加減を多目に間違えると飽きることが判明した。
「嫌われ松子の一生」でのCGを駆使したポップな歌のシーンなどをもう少し省いていたら、疾走感が損なわれなかったかもしれない。
「下妻物語」では、ハムより薄いと言われている女の友情の定義をうまく裏切ってくれた。「嫌われ松子の一生」でも、女の友情がうまく取り上げられていて、ついウルウルしてしまった。
全体的に聖書がベースになっていて、「神は愛だ」という神父の言葉が印象的だった。
「人生は与えられたものよりも、与えたものに意味がある」という劇中の台詞は、松子の一生を語る上で重要なものである。
最後のシーンで、笑顔で天国へ登る松子を見て納得した。
松子と私は似ていなさそう似ている。
この作品を観た女性は、みんなそう感じると思う。
そういう女性特有の何かがこの作品には滲出ているからだ。
映画の宣伝も兼ねてだろうか、来週月曜日「下妻物語」がテレビで放映されるらしい。
DVDを持っているのに月曜日の放送を楽しみにしている私は、けっこう一途で、やっぱり松子に似ているのだと、今思った。