晴耕雨ログ

晴れの国の片田舎で暮らす自然派おばさん
畑仕事に生甲斐感じながらゆるゆる歩む農婆の人生

介護百人一首

2014-04-11 21:22:17 | Weblog
 申し込んでいた<介護百人一首>の冊子が送られてきました。ホームページで読むよりも、一冊の本で持ちたいと思い・・・。 
 NHKが募集した「介護短歌」の応募作の中から優秀作100選です。

 ≪ごはんつぶ頬につけたるわが母は食事はまだと我に応へり≫
こんな一首を詠んでみて、思い出します、わが家の母(姑)の介護の日。

 深夜でした。認知はあるものの、まだ歩行も出来た母でした。
「〇〇ちゃんがご飯よ…と呼んだ」と、孫がご飯を知らせたと起き出す母でした。
あの時、私はどのようにな母との会話だったでしょう。
きっと、「もうみんな寝てるよー。もう早く寝よう・・・」そう言ってベッドに押しやったと思います。
 
 核家族で育ち、実父母も年寄りとは言えない年齢で送った私に、人の老いを教えてくれたのは間違いなく姑でした。
 100歳の生きざまが、「あんたも、これから通る道よ」といっていたのでしょう。
 歳を重ね、悲しいけれど幼児のように変わってしまった姑の愛おしいこと。その反面、ときには苛立ちの気分を顔や態度に出していたのではなかろうか嫁の私。
 明るく穏やかな母が認知症で10年。
「おかあさん~、おかあさん~」と子どものように嫁を頼り呼んでくれた母を思い出します。

  < よみがえる めくるページは 家族の日 >

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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ルイコさんへ (くりまんじゅう)
2014-04-12 00:14:15
この記事を何度も読み返しました。
そして 紹介された百人一首の歌も
しみじみと読みました。
まだまだ私は修業が足りません。
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重いです (釣志です)
2014-04-12 01:07:51
4年前まで、夜中に下拵えやぼた餅も作っていた母が、低下と劣化、、、灯が消えて行く様を見るのは辛く、人生の60数年を共に生きて来た、、、分身。
重く受け止めさせられてます。
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Unknown (のん太)
2014-04-12 18:49:22
シミジミ読みました。
耳の遠いハハ(姑)は、夢や幻聴のほうがはっきり聞こえます。
なので、現実との区別が付かないようです。
私も早朝の電話など、「まだ夜中ですよ、寝てくだっさい」って、
きっと尖った声で言ったと思います。
そうですか。って言えるには時間が掛かりました。
まだ、愛おしいとは感じられません。。。。
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何時か行く道 (スイカ)
2014-04-12 20:27:38
よく聞く話ですが、昔はそんなに認知症の人は居なかった・・・認知症に成る程まで長生きする人が少なかっただけの事・・・
脳より先に身体がダメに成っていたのが、食生活の影響?医学の進歩?生活環境の向上?か要するに脳の耐用年数以上に身体が長持ちしているだけの事だと思っているのです。
何時かは行く道ですが、若い者に迷惑は掛けられません。
現代版「楢山節考」如何にすべきか?
   <今の今 より美しく? 老い二人> 
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Unknown (博多の華)
2014-04-12 21:20:33
介護百人一首って言うのがあるんですね。

気持ちを切り替えるのが大事ですね。
う~ん・・・難しい問題。
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我が身の事 (ルイコ)
2014-04-12 22:53:42
 くりまんじゅう さんへ
 介護する人、介護される人が感じた思いを短歌にした心の歌とでもいえますね。
我が身の事のようにも思えました。
 4人の両親を送ってしまうと、今度は介護を受ける身なんだと感じましたよ。
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かけがえのない人 (ルイコ)
2014-04-12 23:00:27
 釣志 さんへ
 私たち夫婦は、どちらも両親は亡くなっています。介護を要したのは100歳で亡くなった姑だけでした。
 何歳で別れようが、かけがえのない人たちでした。
小さくなっていく親ですが、目の前にいらっしゃるのが幸せですよ。
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悔いのないように (ルイコ)
2014-04-12 23:18:22
 のん太 さんへ
 幻聴は入院で環境が変わると間もなく現われました。
 わが家の母は、根っから明るい性格でした。徘徊に困るより高齢のため寝たきりになってしまったので、下のお世話が一番の難でしたね。
 認知でも歌が好きで上手に唱歌など歌っていたので老いてこんなに可愛い所がみえました。
協力も得られたし、タイミングよく施設に入所でき、恵まれた介護だったと思います。
 義妹さんたちの協力をお願いして、ひとり抱え込まないでね。
私は同じ時期に介護にあたっていた親友が大きな支えでした。
 いつか来るお別れ、無理なく、悔いなくね。
 
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団塊世代です (ルイコ)
2014-04-12 23:28:39
 スイカ さんへ
 私たち夫婦はどちらも両親を送ってしまいましたので、今度は自分たちのこれからはどうなるのか・・・少し気になります。
 団塊世代の60代はきっと施設でなんて無理でしょうから、ピンピン・・・を目標に無理なく働きながら健康年齢を保ちたいです。
こども達に手を取らせられない・・・そう思いますね。
 < 爺よりも 少し長生き 婆願い >
やはり爺は婆が看なければ・・・。
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感謝ですよ (ルイコ)
2014-04-12 23:36:38
 博多の華 さん
 短歌は自分が詠むことはないのですが、日常を短歌にした介護百人一首は母の介護と重なりしみじみ読んでいます。NHKハートプロゼクト・ホームページにも掲載されています。
 博多の華さん宅のお母様は、家庭でのしっかりとした役割を持っていらっしゃり介護とは無関係ですね。
 健康で居て下さることはありがたいことですね。感謝ですね。
 
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