晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

宮部みゆき 『あんじゅう 三島屋変調百物語事続』

2021-04-09 | 日本人作家 ま
いつのころからか、たぶんまだ二十年は経ってないと思うのですが、桜の花が満開を迎えるのが三月の中旬ぐらいになってしまいました。あ、これは関東南部の話です。思えば昭和の時代は、学校の入学式、というと四月の第一週あたりですか、その前後に満開を迎えてたような記憶が。
そのうちどんどん早まって、桜の開花が節分あたりになる日が来るかもしれません。
あとはここ最近、東京で雪が降るのはけっこう珍しく、たまに降ったかと思えばドカ雪で交通がマヒしてしまったり。昭和くらいまではけっこう降ったりしてましたっけ。でも江戸時代は、それこそ忠臣蔵なんかは、旧暦の師走、あとは桜田門外の変、あれは旧暦の三月、東京になってからも二二六事件は雪ですね。

地球温暖化に警鐘を鳴らしたところで。

宮部みゆきさんです。この『あんじゅう』は、「おそろし」という作品の続編で、その前作がいったいいつ読んだのやらと記憶のかなたで、当ブログで検索したら、約九年前。

ざっとあらすじ。
江戸、神田に「三島屋」という袋物屋さんがあって、そこの主人の伊兵衛の姪にあたるおちかが三島屋に住むことになります。おちかの実家は川崎の宿屋で、そこであるトラブルというか、恐ろしい体験をしたせいで心を閉ざしてしまい、家にいられなくなり、親は娘を江戸にやって気分転換でもさせようとします。
おちかは三島屋の主人と奥さん、女中や番頭からお客さん扱いされることをきらい、積極的に家の仕事を手伝います。

おちかの経験した「恐ろしい体験」は、別におちかに落ち度というか非があったわけではないのですが、おちかは自分を責めて、他人の辛い体験を聞くことで自分も過去の忌まわしさと向き合うことによって、少しずつ快復できるようになるのでは、と感じた伊兵衛は、ちょっと変わった「百物語」をしよう、と決めます。

といった感じ。

さて、今作では、ある店の番頭と小僧がやって来て、店での悩みを聞けば「水が逃げるのです」と意味不明なことを告げます。さてどういうことか。井戸からも水瓶からも花活けからも小僧が来てからというものの、空っぽになってしまうというのです。そんな手品みたいなことあるんかいなとおちかが不思議に思ってると、小僧は「お旱(ひでり)さん」の仕業だというのです。じっさい、三島屋でも、鉄瓶の中の湯が無くなったりします。話し合いの結果、小僧を三島屋で預かることに。小僧は江戸生まれではなく、上州の山奥出身で、じつはそこの奉公先でもあらゆる水が空になるというので江戸に寄越したそうなのですが、そもそもこの小僧の出身の村では「お旱さん」を祀る風習があって、小僧はその「お旱さん」の(ご神体)と会話をしたというのですが・・・という「逃げ水」。

三島屋の近所にある住吉屋という針問屋の娘がようやく嫁入りするとのこと。聞けば三十手前で、十代後半で嫁入りが普通のこの時代では「晩婚」どころの騒ぎではありません。その嫁入りの日、三島屋に挨拶に来た白無垢の花嫁をちらと見たおちかは驚愕します。これは住吉屋の娘さんではない。さらに、嫁入りを見ている人だかりの中にその娘がいるではありませんか。ではこの女はだれなのか・・・という「藪から千本」。

三島屋の新太という丁稚が、手習所で殴られたそうで、聞けば加害者は直太郎という友人で、複雑な家庭環境で心の病。直太郎の父親は火事で死んだのですが、その「空き屋敷」が怪しいと、おちかは塾の師匠に「百物語」の場を設けて話してもらいます。するとこの屋敷は前から誰も住んでいなかったようで植物は生えるがままの状態で、でも紫陽花が見事だったので「紫陽花屋敷」と呼ばれていたそうな。そこにがある老夫婦が住むことになったのですが、なにか生き物がいるような気配がすると・・・という「暗獣」。

塾の師匠の知り合いで偽坊主の行念坊が三島屋にやって来て、ある村を訪れた時の不思議な話をはじめます。いちおう修行僧の真似事をしていた行念坊は、とある山道で転げ落ちて、近くの村人に助けられます。その村には寺があって、そこの和尚の世話になることに。この村では和尚は本職の寺の住職としてはもちろん、庄屋でもあり代官でもあり医者でもあり、村人から崇拝されています。しかしある日、行念坊が田植えの手伝いに行くと、一枚だけ空白の田があるのに気付き、あれはなんで使ってないのと聞いても答えをはぐらかされます。そのすぐ後、寺に痩せ衰えた男が駆け込んできますが和尚は「連れ戻して二度と逃げられないようにしろ」というのです・・・という「吼える仏」。

これはあくまで想像ですが、例えば時代小説も書けば現代ものも書くしファンタジーも書く作家さんは、書きたいテーマがあってそのテーマに合う設定を決めたらそれが二、三百年前の日本つまり江戸時代というだけであって、特に「時代小説にしなきゃ」という強いこだわりみたいなものは無いように思うのです。あくまで想像です。
以前、ケン・フォレットの「大聖堂」のエピソードで、「書きたいテーマがあってふさわしい設定が中世だったので特にこの時代の話を書きたかったわけではない」というのを読んで、そうかなあと思いました。

「時代小説」となるとどうしても「難しいんじゃないの」「自分には敷居が高い」と、読書は好きなのに手を出さずにいるという方は少なくないと思います。そんな方には宮部みゆきさんの時代小説はオススメ。
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