晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

平岩弓枝 『花影の花』

2016-02-28 | 日本人作家 は
この小説は、忠臣蔵の大石内蔵助の妻、りくの話で、吉良の討ち入りやその後の話を生き残った家族の視点から描くという、面白いといってはそんな簡単な説明では終わらない、もっとこう、深く、重い。

但馬、豊岡(兵庫県北部)の京極家家老の石束家の娘、りくのもとに縁談が。相手は播州、赤穂(兵庫県南部)浅野家家老、大石内蔵助良雄。

りくと良雄は夫婦となります。あまり口数の多いほうではない良雄、意地悪するでもないけど仲良くもない姑、大石家の親戚で意地悪な人もいますが、良雄の弟、喜内とは話し相手になってくれて、りくの心をなごませてくれます。

そんなこんなで月日は経ち、りくと良雄のあいだには三男二女と五人の子どもが。

江戸では、主君の浅野内匠頭が千代田城内で吉良上野介に対して刃傷におよぶという事件が勃発。あのかの有名な「刃傷松の廊下」ですね。話は脱線しますが、今までずっと「松の廊下」は庭に面した外廊下だと思ってたのですが、千代田城内の間取り図によれば、内廊下なんだそうですね。「殿中にござる!」って斬られそうになった吉良が内庭に逃げるというシーンがものすごく記憶にあるのですが、映画かテレビでしょうか。もともと歌舞伎だったので、舞台のセッティング上、外に面した廊下っていう設定に変えたのか。

それはさておき、浅野内匠頭は切腹、殿中で刀を抜くという挙に出たのはよほど腹に据えかねた何かがあったのでしょうけど、吉良には特にこれといってお咎めなし。内匠頭には息子がいて、どこかでお家再興という期待もあったのですが、それもかなわず。

吉良を許すまじという機運がだんだんと高まってきて、そしてとうとう例のあれ。

内匠頭の切腹から討ち入りまでだいぶ時間がかかったのは、討ち入りの人が集まらなかった(途中で抜けたり)ことや、諸準備もあったのですが、吉良の江戸屋敷が千代田城の真ん前で討ち入りはできず、そのうちに吉良は隠居して大川(隅田川)の向こう側、深川に移って、これで討ち入りができるようになったわけですね。

さて、亡き主君のかたき討ちは終えて、大石内蔵助、息子の主税はともに切腹。幕府は、討ち入りに参加した全員の親類縁者を教えるようにと言ってきます。
中には浪士の長兄で島流しとなった者もいました。で、首謀者の大石はというと、長兄はすでに切腹、次男は出家して、三男は他家に養子に出ていて、ふたりの娘は母方の実家にいることでなんとか助かりました。

それから月日は流れ、ふたりの娘は嫁ぎ、次男は病気で早逝し、三男の大三郎は広島の浅野本家に召し抱えられます。というのも、綱吉の時代はとにかく評判が悪くて、討ち入りの一件も、赤穂浪士がかわいそうだという声が出てきて、そのうち「義士」と呼ばれるようになり、大名のなかでは、義士の遺族を引き取ってるというのがある種のステータスになって、そういうわけで大三郎とりくは広島へ。

ところが、父の良雄が死んだのは大三郎が2歳か3歳で記憶はなく、「忠臣の義士の息子」というのがプレシャーになってるようで、ちょっと性格に難ありに育ってしまって・・・

久しぶりに「これは素晴らしい小説だなあ」と思わせてくれた一冊です。





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