晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

三浦綾子 『細川ガラシャ夫人』

2010-07-12 | 日本人作家 ま
歴史というものは単純に勧善懲悪ではなく、視点が変われば評価も変わる
というもので、この前読んだ、遠藤周作の大友宗麟を書いた小説では、敵方
である毛利元就を「狐」と嘲り、人間性も良くないような描かれ方をされて、
でも一方では、織田信長、豊臣秀吉も彼には一目置いていた、という側面も
あったのです。

主人公である細川ガラシャとは洗礼名で、実名は「お玉」。お玉の父親は誰
あろう、歴史教科書では悪臣、謀反人として名高い明智光秀。
しかし、これまた別の側面から見ると、たとえば主君の信長が仏教を徹底して
弾圧してきたのですが、その後始末というかフォローに光秀は奔走したり、
彼の領地であった地域では、今でも(つまり400年間)続いている、領主光秀の
祭事があり、それからなんといっても有名な、家康のブレイン、天海はじつは
光秀ではないのか説。

まあ天海の説はちょっと無理もあるのですが、この説の出所は、彼の汚名返上、
名誉挽回のためなのではないか、特に仏教関係者からではないか、との考えも
あるそうです。

まず、物語では冒頭、光秀の素晴らしい人柄を表すエピソードからはじまります。
お玉の母は、妻木家という小さな豪族出身で、なんとしても名門明智家との縁を
持ちたいのですが、結婚前に疱瘡にかかってしまい、美しい顔には痘痕が残って
しまうのです。そこで、妹を明智家に嫁がせようとしますが、光秀は「このような
替え玉ではなく、どんな面変りをしようとも、もとの許婚と一緒になりたい」
と妻木家に書状を送るのです。

そうして生まれたのが、お玉。幼いころから美しく、周りの人間は私を褒めそやして
当然とばかりに振る舞い、そして母の痘痕についてからかい、それを聞いた父光秀は
激怒、お玉を呼びつけ、人間の価値は外の顔形ではなく、心で決まる、謙遜は美しく、
思い上がった心ほど醜いものはない、と叱りつけます。

時は戦国、親兄弟とも殺し合いをしなければならず、休戦協定には人質として、領主の
肉親を相手方に差し出さねばならず、いわば女性は体のいい「政略の道具」なのです。
当然お玉も、年頃となり、光秀の盟友、細川家の忠興との縁談があり、嫁ぐことに。
先に嫁いでいた姉は、お玉に「女が嫁ぐとは、死ぬこと」と言い残し、それがお玉の耳に
残っていて、忠興との結婚に反対こそしませんが、どうにも釈然としない気持ち。

ここから話は、父光秀が信長を討ち、お玉の嫁ぎ先の細川は、家を守ることを最優先
として、どっちともつかずの状態を決めこみ、しかし明智の血をひくお玉にも危険が
迫り、丹後の海沿いの、断崖を分け入ってようやく着くような集落に匿われ・・・

史実と脚色が織り交ざっているようで、どこまでが本当か分かりませんが、とにかく
美しかったというお玉、忠興の弟も一目惚れしてしまい、まあとにかく忠興は悋気が
ものすごく、なるべくなら人前に出したくなかったほどで、自分に自信のない男なら
よくしてしまう、いわゆる「束縛タイプ」となるのですが、家柄、伝統こそあれ弱小武将
の細川忠興は、いつお家滅亡の危機が訪れるか知れず、こんな時代に自信家であるには、
それこそ信長のような暴君のようにならなければいけなかったのでしょう。

そして、お玉は、侍女のお佳代の、またはキリシタン武将、高山右近の影響で、
洗礼を受け、キリシタンとなり、洗礼名は「ガラシャ」となります。英語でいう
ところの「グレース」で、意味は神の恩寵、恵み。
しかし、キリスト教の布教に協力的だった信長から秀吉に天下は移り、はじめこそ
静観していたのですが、突如秀吉は、キリスト教の弾圧をはじめるのです。

日本のような高温多湿で水も豊富な土地に住んでいると、キリスト教、ユダヤ教、
イスラム教の誕生した中東エリアの、水も乏しく、限界的な状況がいつ訪れるやも
しれない中で、特別な「存在」を見出す、という理解は難しいと思うのですが、
しかし、そんな日本にも、明日をも知れぬ極限状態という時代はあったわけで、
とりわけ、戦国時代はまさにそれで、仏教は金儲けで堕落し、キリスト教にすがる
ことで、心の均衡を保つことができたのでしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする